不安な夜と目覚めの合図
午前4時。
新聞配達のバイクの音が聞こえる。
僕はこの音が好きだ。
世界が目を覚ました合図だ。
その合図と共に僕は目を閉じる。
誰もが寝静まっている夜が怖い。
夜中に外に出てもこの街では圧倒的な暗闇は存在しない。
外灯が沢山あって、それなりに明るい。
だけど、誰一人として歩いていない事も多い。
そんな時は、この街に一人取り残されたような不安に駆られる。
通りの角にある自販機は飲み物を買うと「ピンコーン」という聞こえるか聞こえないかくらいの小さい音を鳴らして寂しさを煽る。
もう少し大きな音か、逆に音を鳴らさなければ、こんな寂しさを味わう事はないのにと、夜中に自販機を使う時はいつも恨めしく思ってしまう。
僕はもう田舎には住めないかもしれない。
そう思ってしまう。
人とつるむのは疲れるが人がいないと寂しい。
なかなかに矛盾しているのだが、人が生活している気配があればあるほど寂しさも紛れるのだ。
子供の頃は田舎に住んでいたから、圧倒的な暗闇があって、それはそれで刺激的だったのだが。
明るい夜に慣れすぎてしまった。
人の息づかいに慣れすぎてしまった。
だから僕は、世界が目を覚ます合図が出るまで安心して寝られないのかもしれない。
世界がデジタルに支配されている時代。
紙媒体も弱体化し、新聞を取る家庭も減っている事だろう。
もしかしたら、その流れでこの『世界が目を覚ました合図』も無くなってしまったら、僕はどのタイミングで眠ればいいのだろうか。
近くの小学校の子供達の声が聞こえるまで起きているとなると、危険だなと今から不安になるのである。
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