見出し画像

なぜ、私たちは恋愛するのか

26歳の4月まで、
私は恋愛をタスクだと思っていた。

「誰かから愛されなければならない」
そんな焦燥感で必死だったのだ。

なぜかというと、理由は簡単。
恋愛経験が乏しかったから。

みんなに彼氏ができていくなか、
自分は全然彼氏ができない。

ぶっちゃけ顔が生理的に無理じゃなければ
誰でもよいと思ったし、
一回ご飯に行っただけで好きになる、
なんてこともあった。
(怖くない?焦り故冷静じゃなかった)

ティンダーでインスタントラーメンみたいな
安い、早い、旨い(上手い)男と出会い、
気付いたら腕の中にいる。

そんなことで、
ひたすらに自分の女としての価値を確認し、
消費される日々。

ティンダーで出会った
イケメン弁護士にしっかり遊ばれた後、
「ちゃんと愛されたい」
そんな気持ちでカタい婚活アプリを入れて
2人と付き合ったが、結局うまくいかず、
すっかりヘトヘトになってしまった私。

もう、一人で家にいても、全くさみしくない。
誰とも話さなくても、LINEをしなくても、
生産性のあることをしなくても、
のびのび生きていられる。

そこで私は気づいた。
自分は、本質的に「愛し合う」
ということから遠ざかり、
「男から好かれ、付き合う」
というタスクを
こなすことに必死になっていたことを。

そのタスクをこなした今、
私は人生で初めて、焦燥感にかられることなく
自分の人生を生られている。

老後のことを考えると
結婚した方が
幾分楽なこともあるとは思うのだが、
どうしてもやる気が起きない。

エゴ的なニュアンスが含まれる
「色恋」や「色気」から離れたい。
ずっと26歳のままでいられるなら、
(そんなことは不可能なのだが)
一生恋人なんていらない。
そう思っていた。

そんなある日、松居大悟監督の
『ちょっと思い出しただけ』を観返した。
恋人同士の男女が別れたところから
物語が始まり、
2人の出会いまで時は遡っていく。

最初に見た2人(別れ際の2人)は、
喧嘩をしていた。
次に見た2人はベッドでイチャついていた。
その次に見た2人は一緒にケーキを食べていた。
出会った日の2人は…ぜひ映画を観てほしい。

なぜ、私たちは恋愛するのか。
恋愛の最後は辛く、悲しいけれど、
「ちょっと思い出せる」ような
あたたかい思い出が増えていくから。

しんどくも辛くても、
「恋愛をする」ということの意味を
映画に教えてもらったような気がする。
(もちろん無理にする必要はない)

公開時にこの映画を一緒に観た元カレ、
元気にしてるかなあ。

この記事が参加している募集

スキしてみて

眠れない夜に

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?