フラスコ堂

散文、自由詩、あるいはそれらがいっしょくたになったようなもの書いてます。

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最近の記事

DOUBLE BLUE |詩

届きたての贈り物 白くて円い 掛け時計 真ん中に「DOUBLE BLUE」 とだけ書いてある 岩戸を開く呪文みたいに 何だか唱えてみたくなる 「DOUBLE BLUE」 ふいに、文字盤から流れ出す 青のバイブレーション 澄みわたる空のブルー 見渡すかぎりの海のブルー わたしの睫毛や 指のさきを 蒼く染め そこいら中を 浄めるように ゆっくり ゆっくり 拡がっていく すべてが 青色に溶け込んだ時 遠くのどこかで 船出の汽笛が 鳴り響いた

    • シルビアのいる街で

      陽光、風、音、石畳、雑踏・・・ フランスの古都・ストラスブールの街並みの質感そのままに。 『シルビアのいる街で』――。 いつだったか、仏語友達から教えてもらった映画。 その不思議さたるや、仏映画の中でもダントツ(私比)。 それゆえ、何度も観たくなる作品。 『ミツバチのささやき』『エル・スール』の巨匠ビクトル・エリセが 「現代スペインで最も優れた映画作家」と評する ホセ・ルイス・ゲリンが監督。 (2010年公開・スペイン=フランス合作) 1日目・・・画家志望の青年は、 ホ

      • イリスの庭 |詩

        雨上がり 早春の庭 北側の窓辺に立てば 山すそにかかる虹を 見つけられるかな 君の指は 鍵盤の海を泳ぐ 七色の音階の波間を ゆらりゆらりと 育ち始めた願いの種は 掘り返さないよう 納屋の精霊たちに 気づかれないよう そっと守っていくよ 僕らはあの花のように いのちの力で咲くけれど 此処は大きな鳥かごの中 隠された鍵を探し出すまで 果てしなく続く学びの徒で モラトリアムで 永遠の淡い 春の虹で

        • 夜空にうかぶ |詩

          バスを降りたら 大きな、まるい月 昇ったばかりの月は 大気のレンズ効果とやらで ひどく巨きく見えたけれど それは、黄じろい飛行船 重力の全く感じられない月 ぽっかり ぽっかり そこにいるのは、誰ですか? 高台まで上りきったら 風は冷ややか  月の位置も高くなり いつもの大きさになったけれど ほんの少し欠けている14日目の月は 満月ほどに、おめでたくはないのです それは 見知らぬ虚からやってきて 世界の秘密を知っているような 謎めいたアイコン わずかに満ち

        DOUBLE BLUE |詩

          「描くという祈り」~画家と巨樹  

          昨年 10月に放送された、 NHK 日曜美術館「“描く”という祈り 日本画家・西田俊英」。 まさに神回で、NHKプラスでも何度か観てしまいました。 先週の日曜の朝、思いがけず、アンコール放送をしていて、 4ヶ月ぶりに視聴。 屋久島の森林。鹿と子鹿。三穂野杉の巨樹。夜の闇。 西田さんの言葉。声。素描。制作風景。 武蔵野美術大学美術館に飾られた、壮大な絵巻のような、 何十メートルもの絵・・・ 屋久島の森深く、人知れず、何千年と生き続ける巨樹―― その森に画材道具を背負って分け

          「描くという祈り」~画家と巨樹  

          檸檬

          以前、「りんご」について投稿したのですが、 今回は「レモン」への私見を書いてみたいと思います。 なお、「果物シリーズ・その 2 」 的な シリーズ化ではありません ・・笑 _______________________ ご存知の方もいるかもしれませんが、 何年か前、「丸善・京都支店」の閉店が決まった時、 「置きレモン」が、どんどん増えていったそうです。 置きレモンとは、  梶井基次郎の小説『檸檬』の主人公が、 近所の果物屋で買ったレモンを「レモン爆弾」として、 京都「丸

          二月の旋律 |詩

          いつだったろう、君が拾ってきた 猫の名前は、シュレーディンガー それは時々、波になるから 僕らも時々、波となって 猫じゃらしで遊んだ 陽光が差し込む 二月の部屋 そこ かしこの 春の胎動に 寄り添うような かろやかな足音に 福音はついてくるから 悲しみはぜんぶ風にあずけた 紙ヒコーキにして 立ち戻るのは、いつだってあの窓辺 コバルトブルーのガラスペンで 思いつくまま、ただ心のまま 書き連ねていく夢の音列 目を閉じて、僕は 波になる

          二月の旋律 |詩

          ことばのしずく |詩

          明け方の夢に 降りてきた いくつかの言葉 詩のようなフレーズ 目覚めたら もう思い出せない 朝露の珠のように つるるんと 落ちてきたけれど 閉じたまぶたの裏側で 蒸発してしまった あたたかなさざ波だけ この胸に残して けど それは 循環する水のように 空へ昇っていき 生まれたての つやつやとした 新たな言葉のしずくとなって いつか誰かの眠りのふち 祈りのように 春雨のように またしづかに降るでしょか

          ことばのしずく |詩

          水辺の光景 |詩

          水郷でもなんでもない所で 思いがけず 豊かな水路と出会った 果樹園のイチジクが 午睡のさなか 水底に透けていた秋天 針の目に通された 無数のタイムラインは この橋の上に 収束したらしい 振り向けば たくさんの老若男女が 自転車に乗って 駆け抜けてゆく 右から左へ 左から右へ ペンやカメラや絵筆や 愛するもろもろを かかえて 水と 光と 自転車と 私 同じ座標上で交差して それぞれの場所へ 分かたれていく じゃあまたと ひらり手を振っている 色なき風のように

          水辺の光景 |詩

          筆跡は語る

          「にんげんだもの」で、有名な相田みつをさん。 その詩や書は、どこでともなくお見かけする。 そんな感じでしょうか? 特にファンというわけでもなかったけど、 「こんな風貌の方だったんだ~」と ちょっと意外な感じがしたことを覚えています。 以前、NHKの新日曜美術館で 「自分のことば じぶんの書 ~書家で詩人・相田みつを」 という特集を観たときのこと。 痩せていて、やさしそうで、繊細そうなお顔立ち。  あの独特な書体とは、かなり違うイメージ。 「裸の大将」のような人を勝手に想

          筆跡は語る

          冬のデッサン|詩

          ミロのヴィーナスと 向きあう 斜め36度の椅子 描ききれない しずけさ あかるさ 安寧 そのうちに 私の眉間は広がって やがてギリシャの孤島に 辿り着いてしまう ときおり 消え入りそうに かすかな音色 そのやわらかく結ばれた 唇の端から こぼれ落ちる 拾い集めたら 薄羽のようで スケッチブックにはさんで 持って帰った

          冬のデッサン|詩

          Crystal Gate |詩

          くねくねカーブ  物語から抜けて、もっと高みへ お社があるのは、あの下弦の月の下 ツバメのように心すべらせる 暗闇に浮かび上がる クリスタルの鳥居 鼓動のままに、越えたなら 点滅する光……光のつぶたち すべてとつながる、聖なる空間 きらめきながら 涙ぐみながら 新しいみんなと、新春シャンソンショー 水鏡に揺らめく神さま ゆるやかに、冬の大六角形が回転し アップデートされてく世界線 いのちをつなぐ、奇跡の目撃 心を整えたなら さあ、すぐにそこへ戻ろう

          Crystal Gate |詩

          サガンの言葉

          フランソワーズ・サガンの「悲しみよ、こんにちは」は、 学生の頃、そんなに好きだとも思わなかったけれど、 いつしか、いいなと思えるようになった作品。 一人称の語りに、冒頭から引き込まれてしまう。 流れるような、詩的な筆致が、心地いい。 どこか悲しげで、青みがかった柑橘の すっぱくて、甘いかおりがする。 私にとっては、そんな文体。 (朝吹登水子さんの訳のうまさも大きいけれど) デリケートさと残酷さ。敏感さと鈍感さ。光と影。 青春期の、あるいは、少女という存在のもつ相反する要素

          サガンの言葉

          流れ星群|詩

          いつか願いをかけた夜空が ふたたび巡ってくる あの人が好きだった星座をさがそう アルセフィーナ観測所から 流星の数をかぞえる人は 波のオペラをききながら ホットチョコレイトを用意する 新月の宵 丘の上の子供が天空を指さす それが始まりの合図 そのさきっぽに 小さな螺旋がやどり 宝瓶宮からしたたり落ちる水で 透きとおるベクトルになった 流れゆく光 またひとつ またひとつ 窓辺でひとり見上げていた人も 天体ショーに歓声をあげていた人たちも いつしか手を組み、無口になる

          流れ星群|詩

          きよしこの夜

          あなたは、そりに乗ってやってきた トナカイではなく、七面鳥に引かれて 着くやいなや プレゼント用のヒモを取り出すと あなたは、あやとりを始めた と思ったら あっと言う間に、“ホウキ” の完成 赤いヒモだからかわいい あなたがそれで、サササと掃くと 私たちの罪が清められた それでも、後から後からそれは出てくるから 掃いても掃いても、きりがない 私もあやとりをする “さかずき” からの、“エプロン“ を作って 得意げに見せる 天使たちが手をたたく そのまま、左右の手を引っ

          きよしこの夜

          りんご不可思議論

          リンゴ・りんご・林檎・苹果…… どの表記がお好きでしょう? 私は、「林檎」という漢字のもつ抒情や いかにも、木箱に並んでいそうな雰囲気が好きです。 けれど、今回は何となく、ひらがなを採用しました。 そして、今が旬のりんごについて思いを巡らせることにします。 。。。。。。 りんごの形は、ちょっと不思議。 まん丸ではなく、少し角ばっていて、けっこう安定感がある。 そのわりには、どしっとした、ふてぶてしさがない。 りんごは物体、かつ、現象である。 なんらかの神秘性を内包した

          りんご不可思議論