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「国」と「私」と、「私」と「国」と

~安全保障をめぐる対話を成り立たせるために~

※この文章は、国際基督教大学の授業の期末レポートとして提出したものを、一部改変して掲載するものです。

序章 この課題の意図


 今回の課題は、授業で扱ったテーマのいずれかに関して研究をし、なんかしらの成果物を提出すること、その形式はなんでもよし、ということらしい。散々迷って、幾つかのテーマで行き詰った結果、分断を産み得る安全保障を巡る議論において、対話を成り立たせる為には何が必要かについて、未だに記憶に残る個人的な経験をきっかけに、この授業以前から、そしてこの授業を通してより深く考え、研究した結果を、エッセイという形で提出することにした。学術的なレポートや論文では、個人的な経験を語ることはあまり好まれないだろうが、このテーマを考える上で僕にとっては非常に大きな要素となっているあるイスラエルにルーツを持つ友人との口論についてどうしても触れたかったので、「成果物の形式はなんでもよし」という指示を活かして、エッセイを選択した。この課題形式の意図として、生成系AIが登場した現在の世の中での新たな課題の在り方の模索ということがあることを
鑑みても、AIは決して語りえない個人的経験から、学術的テーマを探求することは、試みとしては多少なりとも意義があるのではないかと思う。以下、しばしお付き合いください。


第一章 ある友人との口論 ~この問題を考える為の入口として~

 小学生から中学生にかけて、父親が日本人、母親がイスラエル人の友人がいた。彼は切手の収集が趣味で、僕も彼の影響を受けて切手の収集をはじめた。度々その他の友人と一緒に集まって、切手の交換会を開催した。彼のお陰で、今も手元にある僕の切手帳には、イスラエルの切手を初め、世界の多様な切手が収録されている。学校でも仲良しで、日常会話には支障はないが学校の授業となると時々語学力の面で苦労していた彼を、僕も積極的に応援したし、彼も頼ってくれた。

 中学生になった時だろうか、彼がユダヤ教の勉強を本格的にはじめた。放課後に、どこかにある教会に通って勉強をしていたらしい。段々と彼はユダヤ教の戒律を厳格に守るようになり、学校の仕組みや日本の習慣と、ユダヤ教の戒律との間で悩むようになった。僕を含めてクラスメートも、まだ子供だったこともあり、なかなか彼のことが理解できず、彼との間で衝突が起きるようになった。日本の環境下でうまくいかなかったことも影響したのだろうか、彼は段々とイスラエルに対する帰属意識を強めていった。

 ある日の昼休み、僕は彼と、未だに記憶に残る口論をした。なんでそんな話題になったのかはまるで覚えていないのだが、彼が「自分はいつかイスラエルの軍隊にいく」という話をはじめたのだ。この発言は僕にとって衝撃だった。当時の僕にとって、軍隊、そしてそこから発生する戦争のイメージは
絶対悪だったのだ。それも、単になんとなく怖い、という程度を超えて、「反戦」は僕にとって、家族を貫く理念的な大黒柱のようなものだったのである。
 
 母方の曽祖父は、第二次世界大戦前から農民運動に参加し、社会主義思想に傾倒した。その流れの中で、第二次世界大戦にも反対をし、治安維持法違反で逮捕され、二年六か月の懲役生活を経験している。出所後も監視対象とされ、南方の激戦地に送られる可能性があると聞き、知り合いのつてで中国へ避難。そこで現地の住民とともに運河を作る仕事をしていた。終戦後、帰国。日本社会党に参加し、長年に渡って「平和」に対する強い思い入れをもって国会議員を努めた。幼少期を中国で過ごしたその息子である祖父も、60年安保で大学自治会の委員長としてデモの指導にあたり、留置場行きからの退学を経験した筋金入り。後に裁判官になって一度政治から離れたが、父親の急逝を受けて政界に転身。リベラルで「自由」「平和」を重んじる立場から、長年政治家を努めた。その娘である母も、上二代に増して「平和」に対する思い入れが強かった。ひょんな縁から、沖縄で非暴力抵抗を貫き、「日本のガンジー」として知られた運動家・阿波根昌鴻氏に出会い、会社を辞めて沖縄へ。結婚を機に東京に戻るまでの間、彼の下で沖縄の基地問題を巡る活動に従事した。「信仰は持たないけれど、強いて言うなら阿波根教徒」というほど、彼の非暴力・反戦の思想に強い思い入れを寄せる母からは、繰り返し、阿波根氏の言葉を聞かされたし、僕自身も、阿波根氏が設立した「わびあいの里」を何度か訪問している。遊びで、積み木で作った建物を「ミサイル~」といって上から者を落として壊していたら、「いくら遊びでも、私はそういう場面はみたくない」とものすごく真剣な顔で怒る程、「平和」に対する強い思い入れを持った人物なのだ。

 父方の祖父も、当時は別に珍しいことではなかっただろうが、海軍にいた兄を戦争で亡くし、姉を戦後の困窮の中、栄養失調で亡くしている。戦後、弁護士になった彼もまた、アメリカ占領下の沖縄の地位向上の為、度々沖縄入りをしていた。祖母も、パレスチナ支援運動に関わるなど、平和に対する強い思いを持って活動していた人物である。

 そんな訳で、「反戦」「平和」を家族を貫く大黒柱のように感じていた僕にとって、目の前の友人がいつか軍隊にいく、というのは衝撃だった。

「じゃぁ君は戦争にいって人を殺せるの?」
「今は、戦争にいくっていったって、直接人を殺すわけじゃない。飛行機でいって爆弾を落とすんだ。君がイメージしているように、僕が直接誰かを殺すわけじゃないよ。」
「それだって、君が爆弾を落とすその飛行機の下には人間が住んでいるんじゃないか。」
「・・・・。それでも、僕は家族や友達が国を守るために戦争にいくのを黙ってみていることはできないよ。」

 そこで会話は終ったが、最後に「それでも僕は黙ってみていることはできない」と言ったときの、彼の困ったような、哀しそうな表情を僕は忘れることができない。あの時僕は、平和な日本の中でのうのうと安全を享受し、「反戦」「平和」という、すくなくとも僕にとっては頭で理解しているに過ぎない理念を振りかざして、未だにパレスチナとの関係や周辺国との関係で不安定な状況にあり、「国を守る」ということが目の前の課題であるイスラエルにルーツを持つ彼にひどく無遠慮に殴りかかったのではないか、もっととことん考えて、対話をするべきだった、という後悔が未だに消えないのである。

 その後、彼はますます学校の中でうまくいかなくなり、「ユダヤ教をもっと本格的に勉強したい」と家族と共にイスラエルにいってしまった。最近になって、久々に彼の母親とSNSを通してやり取りをしたところ、元気にしているらしい。なんと結婚したというのだから驚きである。今、イスラエルとガザを巡ってのニュースを見るたびに、彼と彼の家族の事が頭をよぎって、非常に複雑な気持ちになる。

第二章 「国家」と「私」の関係


 今から振り返ると、あの時彼と僕の間を隔てていたのは、「国」と「私」の関係の捉え方の違いだったと思う。彼は、イスラエルという国に強い帰属意識を持ち、イスラエルの人々に対する強い同胞意識を元に、「国を守る」ことに対して強い使命感を持っていたのではないか。それに対して僕は、「戦前への反省」に思想的な基礎を置く、「反戦・平和」ファミリーの中で育ち、国に対して帰属意識を持ち、「国を守るために戦う」ことに非常に強い忌避感を持っていた。第二次世界大戦中、「お国の為」と多くの若者を戦場に送り出した歴史に対する反省が、我がファミリーが属する勢力の「反戦」の根本的な動機となっているからである。

 この対立をより深く理解する為に、イギリスの国際政治学者、バーリー・ブザンの議論を参照しよう。ブザンは、その代表的な著書『People, States, and Fear』の中で、国家は国民にとって、安全保障の源であると同時に脅威の源でもあると指摘した₁。ブザンはホッブズの議論を引用して説明する。ホッブズは、人は自らの安全を犠牲にした時にのみ自らの自由の向上を得られると指摘した。逆に言えば、人間は自由を犠牲にした範囲においてのみ安全を得られるのである。ホッブズやロックの社会契約論において、政府成立以前の自然状態では、人間は一切の束縛を受けないという意味で自由だが、それゆえに互いに争い、彼らの自由と権利は決して安全な状態にはなかった。この状態を打開する為に、人間は束縛を受けないという意味での自由を一部放棄する契約を結ぶことで国家を成立させ、安全を手に入れた。まさに、自由を犠牲にすることで安全を手に入れたのである。この論理に従えば、国家が発展しより強度の安全を保障するようになることは、同時に国家が人間の自由にとって脅威となることを意味する。これが、本段落冒頭に述べたことの意味である。

 国家が人間にとっての脅威となってしまっては、国家そのものの存在の正当化根拠が崩れてしまうのではないか。国家が国民の安全を保護しようとした結果、逆に国民にとって脅威となるという、このパラドクスを理解するために、ブザンは市民と国家の関係性についての考察が必要であると指摘する。ブザンは国家と市民の関係性を、最低限国家構想と最大限国家構想₂の2つのモデルに分類する。

 まず、ブザンによれば、最低限国家構想はジョン・ロックの社会契約論から派生する国家観であり、国家を構成する国民に対して強い志向性を持つ国家観である。国家の基礎は、国民の統治されることに対する合意にあり、国家の行動はその行動が国民の利益に対してどのような影響を与えるのかを基準として判断される。個人の利益が守られることが、国家の行動判断にあたっての最大の参照点となるのである。この観点から言えば、国家はそれを構成する1人1人の個人の総和以上のものではありえない。また、国家の安全保障は個々人の市民の利益を保護することに重きを置いたものでなくてはならないことになるとブザンは指摘する。

 一方で最大限国家構想は、国家は単なる個人の集合体を超えた存在であり、従ってそれ自身の利益を持つ、という前提から派生する。この発想を極端に極めた例としてブザンは、ハインリヒ・フォン・トライチュケによる「国家の神格化」の考えを上げる。トライチュケは、国家は「原始的で必要不可欠」で、独立した力であり、単に服従を要求してくる存在であると考えた。この考えかたによれば、国家は社会契約論が考えたように個人の集合体ではなく、それ自体として独立して存在するものということになる。

 理論上は以上の2通りの国家構想が考えられるとしたブザンだが、実際にはこの両者の境目は極めて曖昧だと述べる。というのも、最低限国家構想の基底にある社会契約論も、皮肉にも究極的には最大限国家構想にいきついてしまう可能性があるからだ。人々の利益を守るという重要な役割を達成するために、国家は個人を超越した独立的地位を持たなくてはならない、という理論が成立してしまうからである。このようにしてブザンは結果として国民を守るためには国家そのものを守らなくてはならないとして、安全保障の対象は個人ではなく国家であると結論づける。後に、安全保障の対象を国家から個人へと措定しなおす学術的議論の中で批判を浴びることになるブザンだが₃、ここで僕が理解を試みている僕と彼との間の溝を理解する上では、以上に紹介したブザンの考察は非常に役に立つように思われる。総じてブザンの議論から読み取れるのは、国家は安全保障の源と、国民に対する脅威の源という2つの特性を両端に持ち、それぞれの特性が国家の役割全体に占める割合の変化によって、グラデーション状に、異なる様相を呈するということである。そして、彼と僕の間の立場の違いは、背景に持つ国家のイメージがこのグラデーションのどの位置に属するかということによるものなのではないか。

イスラエルは、想像を絶する程の年月に渡って離散の憂き目にあい、数々の苦難に見舞われてきたユダヤ人が、ようやく手に入れた国家である₄。であるから、国家をもたずに数々の苦難を経験してきた彼らにとって、イスラエルという国家は自分たちの安全を守り、生きていく為に守り抜かなければ
ならないものなのではないだろうか。その長い苦難の歴史に裏打ちされた強い思いが、また今、希望の見えない泥沼の戦闘状態を生み出してしまっている訳で、対するパレスチナの人々のことを思えば簡単に首肯できるものではないが、その立場自体は理解できる。誤解してほしくないのだが、イスラエルによるパレスチナに対する虐殺行為を肯定する趣旨ではない。あくまでも、イスラエルの人々が持つと考えられる国家を守ることに対する強い意識について、一定程度理解できると述べているのである。国家を安全保障の源と捉える傾向が強いと考えられる。

 一方で日本では、第二次世界大戦において、軍部を中心とする国家の暴走の結果、人々の生活は困窮し、大量の人々が戦火に倒れ、国民は非常に多くの苦難に見舞われた。そればかりか、朝鮮半島・中国・その他のアジア諸国を中心として、他国の国民にまで危害を及ぼした。そのことに思想的な原点を見出す「反戦・平和」ファミリーにとって、国家は安全保障の源というよりも、国民の生活・生命を脅かす脅威の源というイメージの方が近いのである。この違いを充分に理解していなかったことが、彼と僕との間での「国を守る」ということに対するお互いの姿勢への無理解を産んだのではないだろうか。

 彼と僕の間に起こったこの対立は、今の日本の安全保障を巡る議論の中でも見られることだと思う。「日本」という国に強い帰属意識を持ち、「自分の国は自分で守る」と訴える「保守」層₅と、戦前に日の丸の下に無残に散っていった若い命の記憶が未だ薄れず、国に対する強い帰属意識の下に「国を守る」ことに対する強い忌避感を持つ「リベラル」層の対立は、その根本的な構造において、彼と僕との間の対立と同様であるように思えるのである。「国」と「私」の関係についての異なる見解が、彼岸と此岸とを分け隔てているのだ。日本における「保守」と「リベラル」の安全保障を巡る議論における溝にも、上記検討の適用範囲を拡大してみよう。「保守」がいかなる点を持って、「国を守る」ことに対して積極的であるかはいくつかのパターンがあると考えられる。1つは、日本会議のように、彼らのイメージの中における「日本」に帰属することに強い誇りを持っており₆、従って「日本」の存続が彼らの誇りの源である場合である。2つめは、日本を取り巻く状況を差し迫った脅威と捉え、実際に自分たちに被害が及ぶ日はそう遠くないと考え、身を守るために「国を守る」ことに対して積極的な立場である₇。いずれにせよ、双方は国家を、どちらかと言えば安全保障の源(前者に関しては若干わかりづらいかもしれないが、国家の存続が彼らの「誇り」の安全を保障するものと捉えていると解釈できる)と捉えていることが読み取れるだろう。

 「リベラル」勢の考え方は、おおよそ「反戦・平和」ファミリーの立場として提示したものと変わらない₈。

 このように、彼と僕と、そして「保守」と「リベラル」との間には、国家は安全保障の源か、あるいは脅威の源かという点において決定的なイメージの差異があるのである。

第三章 河岸と此岸をつなぐもの


 では、この対立はどうやったら埋まるのだろうか。幸いなことに、彼も、そして日本の「保守」も、前述のトライチュケのように国家を神格化しているわけではない。(「誇り」を守るため、というのは若干神格化の節がないとはいえないが・・・。)根本的な動機は家族や友人といった個々人、あるいは自分たちの「誇り」といった個々人を主体とするものを守ることであり、その為の手段としての国家を守ることに対する積極的姿勢を示しているものである。また、僕も、そして日本の「リベラル」も、国家を国民に対する脅威とのみ捉えている訳ではない。戦争状態に陥った際に、国家の役割が必要以上に膨張し、それが国民にとっての脅威となることを危惧しているのである。前述したように、同じグラデーション上の帯の上で、やや異なる立場を取っているに過ぎないのである。この認識の上に立てば、双方が徹底した議論を行う中で多少なりとも歩み寄りを進め、なんかしらの合意点を見出すことは可能なのではないか。

 この歩み寄りは、一般的に軍備増強が是か非か、戦争にいくことが是か非か、という大きな視点からの議論の中では成立しない。そうした議論は、国家の役割が、安全保障の源か脅威の源かという両端の狭間で常に揺れ動いているものであることを理解せず、安全保障に絶対的に必要なものと捉え脅威に転じる可能性を無視する勢力と、脅威とのみ捉え安全保障上の国家の必要性を無視する勢力によってのみなされるものであり、合意に達することはできない。その時々、場所場所に、現実に目を向け、どの程度国家権力に自らの自由を譲渡すれば国民の安全が保障できるのか、逆にどの程度自由を譲渡してしまうと、かえって国家が国民にとって脅威となってしまうのかを、具体的に検討するべきということになるのではないだろうか。

 今、まさに戦争状態にあるイスラエルにいる彼と、対話してみたい。今、彼らが守ろうとしているものは何なのか。イスラエルという国が、安全保障の源ではなく、脅威の源となっていないのか。彼の眼には今、何が映っているのだろうか。

 そして僕たちも、安全保障環境が悪化しつつあるという指摘が盛んになされる今、日本という国家が安全保障の源であり続け、脅威の源とは決してならないよう、自分の国をしっかり見つめなおさなければならないだろう。

1.Buzan 1991、以下ブザンに関する記述は特記しない限り同書を参照している。
2.“Minimal conceptions of the state” と“Maximal conceptions of the state”に対する筆者による訳語である。 
3.遠藤・遠藤2014
4. ダニエル2018
5.例として、日本会議はホームページの「日本会議が目指すもの」のページで「まず自らの手で自らの国を守る気概を養わなければなりません。」と述べている。https://www.nipponkaigi.org/about/mokuteki
6. 日本会議の合言葉は「誇りある国づくりへ」であり、ホームページに掲載されている彼らの主張の中では度々日本が自分たちにとって「誇りある」国でなくてはならないことが強調されている。https://www.nipponkaigi.org/about 
7.例として、自由民主党は令和五年度の政策パンフレットにおいて、日本は今「戦後で最も厳しく複雑な安全保障環境」に置かれているとの認識を示し、「我が国を守り抜く」為に軍備を増強することに積極的な姿勢を示している。https://storage.jimin.jp/pdf/pamphlet/202303_pamphlet.pdf
8.例として、2015年、安全保障関連法を巡る反対運動の中で活躍したSEALDsの奥田愛基代表は、2015年9月15日の参議院特別委員会公聴会での公述で、安保法制の採決は「70年の不戦の誓い」を破るものだとし、「先の大戦で犠牲になった方々の思いを引き継ぎ、守りたい」という思いが、反対運動に参加する人々を繋げていると述べた。「リベラル・反戦」勢力が、先の大戦に対する反戦を共通の基盤としていることの証左である。(奥田他2015)


参考文献:

日本語文献・資料
遠藤誠治・遠藤乾『安全保障とは何か』岩波書店、2014年10月28日

奥田愛基・倉持麟太郎・福山哲郎『2015年安保 国会の内と外で』岩波書店、2015年12月22日

ダニエル・ゴーディス『イスラエル 民族復活の歴史』(神藤誉武 訳)ミルトス、2018年4月19日

『地域の声で、あらたな日本へ 自民党令和五年政策パンフレット』自由民主党、2023、
https://storage.jimin.jp/pdf/pamphlet/202303_pamphlet.pdf (参照 2023-11-12)
『日本会議が目指すもの』、日本会議ホームページ、https://www.nipponkaigi.org/about/mokuteki
(参照 2023-11-12)
『日本会議とは』日本会議ホームページ、https://www.nipponkaigi.org/about (参照 2023-11-12)

英語文献・資料
Buzan, Barry “People, States and Fear” Harvester Wheatsheaf, 1991.

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