私の若草物語
今日7月7日は七夕です。
『愛の不時着』の第5話にも
[織姫と彦星]の話が
出てきます。
でも、私にとって7月7日は
母の誕生日なので
生涯忘れることの出来ない日です。
母が生まれた時
もう既に4番目の女の子でしたので
祖母は名付ける時も
初めは手を抜いて
「7月7日だから《なな子》にしよう」
と言ったそうです。
(全国の「なな子」さん[手抜き]と言ってしまって、本当に申し訳ありませんσ^_^;。でも母がそう話してくれたのです(^^;;^^;。どうか母に免じてお許し下さいm(_ _)m)
しかし祖父が
「それは可哀想だ」と言い
別の名前になりました。
母は
お父さんっ子でした。
祖父は「とても厳しかったのよ?」と
私に何度も話してくれましたが
お家に遊びに来てくれる時は
とても優しくて
全くそんな風には
思えませんでした。
父が仕事上、留守にすることが
多かったので
祖父は度々
母の元へ様子を見に来てくれていたようです。
四姉妹の中でも
母は年子で1つ上の姉:K叔母と
いちばんの仲良しさんで
自分が亡くなる間際まで
姉妹で1人残るK叔母のことを
心配していました。
母とK叔母は
同じ中・高に進学しました。
1番上の姉:H叔母は
とても頭の良い人だったので
地域で1番良い都立高校に進学しました。
2番目のY叔母は文学少女でしたので
また別の学校に…
K叔母が進学した私立の女学校に
母も叔母を追いかけて
入学しました。
母は私と違って
幼い頃から明朗快活な性格だったので
沢山のお友だちに囲まれていました。
また、学校の合唱祭で
いきなりソロを任されたことも
あったとか……
歌にはあまり
自信がなかったそうですが
一生懸命練習して
本番に臨んだそうです。
また、(自分の母のことなので恐縮ですが(><)
とても綺麗な人だったので
正門に男子生徒が
待ち伏せしたこともあったとか!!
でも、奥手(不時着風に言えば【母胎ソロ】?)
だったので、お付き合いした人は
いなかったそうです。
ある日、K叔母が
母や祖父母に内緒で
勝手にSKD(松竹歌劇団)に
妹の履歴書を送ったことがありました。
書類選考合格の通知が来て
母は初めてそのことを知り
でも、頑なに断ったそうです。
思えば
祖父の雷が怖かったのかもしれません。
それに
もし、母がSKDに入ってしまっていたら
父と出会うこともなく
私という存在も
なくなってしまいますよね?(^∇^)
祖父母は子どもの教育は
本人主義でしたので
娘たちの進学先にも
特に何も言いませんでした。
大学卒業後に
マスコミに就職したH叔母が
業界のパーティーで
父と知り合い
後に妹を紹介したのが
2人の初めての
出会いでした。
いつも笑いが絶えない
明るい母が大好きでした。
母の娘として生まれることが
出来て良かったです。
今日もお読みいただき
ありがとうございました。
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