時間と空間,振る舞い─『二つの「この世界の片隅に」 -マンガ、アニメーションの声と動作-』

「鳥」「笹」「バケツ」が象徴しているものは何か。登場人物に爪がないのはなぜなのか。一本のまつげは何を表そうとしているのか。ほんの小さな台詞の変更がもたらした思いがけない効果とは…
原作マンガとアニメーションを往復しながら、1カット、1コマにいたるまで詳細に「見/観」尽くした著者だからこそできる、ファン待望の分析本!

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細馬氏の著作は『ミッキーはなぜ口笛を吹くのか?』に続いて2冊目.相変わらず精緻で「細けー!」と言いたくなる分析が詰まった本で、思わず唸ってしまう.

元になったのは「マンバ通信」に掲載された連載記事.すごく面白いので,必読だと思います.

さて,漫画がアニメーション化するというのは一見,「漫画が実写化します!」というのよりは簡単そうに聞こえるが,実はそうはいかない.漫画とアニメーションではそもそも時間の流れや空間の構成され方が違っている.
例えば,漫画では3コマで表現していた動きをアニメーションでは1フレームの中で表現しなければならない.
つまりは24コマで表現しなければならないということだ.

漫画というのはとても不思議なメディアであって,読者の想像力を上手く使いながら読み進めさせる力を持っている.
『この世界の片隅に』の冒頭,私たちが最初に衝撃で受ける部分であろうすずの荷物を背負う場面は漫画ではたったの3コマで表現されている.ひとつの動作の事細かな部分をたったの3コマで表現できるはずがない.
私たちはその絶妙なコマ構成とキャラクターのシーンの切り取りを見て,コマとコマの間にある「動き」を想像して補完するのだ.
一方,アニメーションではそういうわけにはいかない.なぜならアニメーションとはひとつの流れであり,コマとコマの分断の上に成り立つ漫画とはそもそも時間の流れが違うからだ(とは言うもののアニメーションはさらに微小な分断の上に成り立っている,とも言える).

であるならば,漫画には表現されなかった「動き」をどう考えるか,それが漫画からアニメーションにするときの大きな壁としてひとつ出てくる.
アニメーション版の『この世界の片隅に』はその問いに上手く応答していると本書は解説する.その解説も著者がわざわざアニメーションのフレーム内の絵をひとつひとつ模写して漫画版と突き合わせながら分析していくというものだ.なんという執念.


しかし著者の執念深さはさることながら,この『この世界の片隅に』という作品自体がそういう分析に値たる稀有な作品であったということも言える.

そもそもSF的な要素を秘めた作品ではないにも関わらずこの作品にはどこか円環構造を感じさせる表現が取り入れられる.
作品内で描かれる全ての事物にはなんらかの意味が込められており,それが複雑に折り重なり意味のネットワークをつくりだしている.私たちはこの作品を読み(観)続けるうちにその意味のネットワークに取り込まれ,再帰的に作品を受容していく.こうした構造を持つ作品はなかなか見かけない(そういう意味では『それでも町は廻っている』もネットワークを持っている).
だからこそこうした精緻な分析は私たちの読みに補助線を与えてくれる.それは読みを強制するものではなく,私たちの読みを広げていくものだ.

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