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ゆっくり、確実に進んでいく見た目の老化について心が揺れながら思うこと

 体調が悪くなると目が据わる、ふらふらです。

そう、いま目が据わった状態で焦点が合っているのか気にするのも面倒なほど体調がよろしくないです。
考えなしに頭に浮かんだままキーボードに打ち込むのが結構好き。
そして振り返った時に何だこれと思って削除するまでがセット



「痩せたい」とは違うフェーズに来た

 現在の私は18歳、高校3年生の身体検査で測った体重と変わらない。
MAX体重は現在のプラス4キロ、胃腸を壊した時はマイナス2キロくらい。妊娠した時は10キロ増えたけどいつの間にか緩やかに体重が戻っていた。

 体重は変わらない。でも3つ変わったところがある。
筋肉の痩せ 脂肪の液体化 そして表皮の質感
これは私が感じた事であって脂肪の液体化なんてどういう事と思うかもしれないが、私の感覚を文字に起こしただけなので「そういう感じ」で見てほしい。

 中学時代は陸上部に入っていて、長距離や短距離なんでもした。
練習では数十キロも走りこんだりする。人によるとは思うが、私の場合長距離を走ってきた当時の脚は綺麗だったと思う。

足首は引き締まっているしアキレス腱もむくみがなく、ふくらはぎは大きくなりすぎず筋肉が張っていて肌のハリと相まって艶々していた。
膝も余計な脂肪もなく、太ももは筋肉の上にハリのある脂肪が薄く覆われている感じで歩いても脂肪で揺れたりしない持久力のある脚だった。

 骨格ウェーブなので(当時はもちろんそんなもの知らない)、元々お腹にお肉がつかず、たくさん食べるのに痩せてるよねと言われていた。
もちろん運動もしていたから太りはしなかったが、せっかくだからと腹筋を14歳から始めた。
気が向いたらやっていたくらいだが、17歳の頃には成長のタイミングとも合ってかなりウエストから脚にかけて綺麗なラインができた。
 
だから調子に乗って制服のスカートを短くしたりして脚を出していた。
寒くても。素足で紺のハイソックスだけで3年冬を越した。今ではありえないけど。

 もう20年近く前の話。
筋肉は運動不足で痩せてむくみ、脂肪は柔らかくなって身体の下に溜まっていく。
表皮というのは自分が触れる肌表面のこと。パンパンに張っていた筋肉や脂肪が痩せたり移動したせいで余った皮膚が少しずつ緩み、肌質が変わっていく。

 私の場合、痩せると顔から痩せていく。
これは顔が小顔になるということではない。元々体重の増減があまり変わらなかったのでまだフェイスラインは健在だが、顔全体がキュッと小さくなった♡というのはおそらくもう無いと思う。医療の力を借りない限り。

 顔が痩せるというのは、頬の脂肪が減ってムンクの叫びの如く削げて見えるということ。
瞼の脂肪が減って目が落ち窪むということ。
こめかみや頬骨の脂肪も減って骨っぽくなるということ。
私はこの「骨っぽくなる」のが一番いやだ。

 身体もそう。
骨格にもよるのだろうが、ウェーブタイプの私はデコルテの筋肉や脂肪がつきにくいため筋トレなど意識しないと骨が浮いてくる。
なのに今まで気にもしたことがなかった腰回りにはセメントのようにカチカチに冷えた脂肪がまとわりついてくる。

自慢だった脚も、シルエットは昔と大きく変わっていないが、筋肉が減ったため足首がむくみやすくなったし冷えやすくなった。
歩くと脂肪でプルプル揺れる。若くても揺れるのは知っている。その揺れと違うのだ。
ナタデココとスライムという感じ。同じ「プルプル」と表現できるが、揺れ感が違う。

身体は筋肉をつければ救いはある。顔は?

 筋肉がつきにくい私。女性的で華奢。ただ年齢を重ねるとそれは華奢ではなく貧弱という言葉に変わっていく。
なので私は体重を減らすことは考えていない。体重計も年に数回気が向いたときにしか測らない。
ただ❶健康❷見た目を意識して、体調がいい日は筋トレを頑張っている。
今日は体調が最悪なので絶対したくない

筋肉はつきにくいが、学生時代に頑張っていたおかげか腹筋やふくらはぎは結構簡単に筋肉がついて引き締まりやすいなと感じる。ありがとう、学生時代の私。反対に諦めて見放していたデコルテや鍛えるという概念がなかった背中は筋肉がつきにくい。猫背になりやすいし腰が痛くなりやすい。

 でも少しでも続けていけば体の見た目は変えられると思っている。
60歳にでもなれば諦めがついてクレアおばさんのような可愛いワンピースとか割烹着が似合う着物とか着たいなあと思うんだけど。今はまだ老いの受け入れと上手く調整中。

 問題は顔ですわよ!
かといって整形する勇気もないし、そこにお金をかけるなら将来旅行に行くための資金にしたいと思うタイプ。

先日棚の整理をしていてふと自分のパスポートを見てみた。
2017年の当時の写真に写った自分とやはり、違った。
いや、当たり前なんだけども。毎日自分の顔を見ていると大きく変化したか気づかない。

ほうれい線もないし頬骨のほねっぽさもない。むしろ頬骨の下の頬肉があって頬がなだらかに見える。凹凸が少ないとやはり若く見える。
「あーやっぱり老けたねえ」と思わざるをえない。しょうがない。

ヒアルロン酸でパンパンにしようとも思わない。お金をかけまくっても限界があると先人たちは証明してくれている。
マッサージや顔の筋トレなるものもあるが、逆にしわや変な所に筋肉がついてそれも何だか違うと思うのだ。

その顔は生きた証

 誰か忘れてしまったのだけど、X(旧Twitter)で素敵なポストがあったので日記に書き残している文がある。


【美】さえあれば全てうまくいくと思っていた。
でもある時気づいた。至極当たり前で気づけなかったこと。
それは私たちはナマモノ(生物)であり、皆同じように「時」が与えられていて、いつかは老いて死ぬこと。
憧れの女優も人気アイドルも私と同じようにシミやしわができて老いていく。
その時、元から美しい人が感じる老いへの恐怖はどんな思いなんだろう。
私は欲深いから、もし望む【美】を手にしたとしても今後はその美が衰える恐怖にい苛まれるに違いないと。
 だから「今」だけを犠牲にして美容整形や過剰なダイエットをする必要なんかない。
【美】さえあれば幸せになれるという概念が間違いだったことに気づいた。
この世のものは全ていつか変わっていく。逆に変わるからこそ美しいこともあると思うのです。

 ・裸視だからこそ感じられる陽に当たった時の輪郭に宿る様々な色彩
 ・笑った個所に刻まれたシワ
 ・日焼け止めを塗り忘れるほどはしゃいだ海でできたシミも

それが私が生きた証であり、自然な姿であり、それこそが人の魅力となり、
輝いて見えるんだと。
 だから今の私は昔の私より今の私が好き。それと幸せ。
今の自分の容姿を受け入れることができなかったり苦しい方も、気持ちはよく分かります。けれど今一度、なぜ自分が美しく在りたいのかという自身の思考に目を向けてみる。
案外それは思っていたほど大したことじゃないかもしれない。「何か」の概念に捉われることなく、自分の自由に幸せであるように願っています。


 自分の老いが目に見えたとき、それを受け入れたくなくて悩んでいるとき、この文のおかげで冷静になれるし自己受容できるのでかなり救われている。

このポストを読んだとき、桜や金木犀や桔梗や色んな花が思い浮かんだ。
咲くまでが花じゃない。
散った花弁が地面に色を添えて土に還るまでが花。
人間も同じかなあって。壮大だけど。

 今までの思い出を消すように医療技術に頼って造花のように残すよりも、毎日自分の好きなアイテムで手入れをして
いつか今気になっているほうれい線や、ドライブで窓を開けて風と太陽を笑いながら浴びた目じりのシミも思い出として愛せたらなあと思う。


最後までお読みいただきありがとうございます!
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