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世界レコード

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生きることを仕事にするときに考えたこと、出会ったものたち
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書く人のスランプの乗り越え方

書く人のスランプの乗り越え方

ずっと書いてるとどうしたって書けないときがある。仕事で書くプロだろうと好きで書いていようと。

書けないといっても、スランプのかたちはそれぞれだ。

そもそも筆が乗らなくて書けない。何を書けばいいのか見えなくなる。書きたいものがうまく書けない。書いても平板なものになってしまう。書いたものに手応えがない。まあ、ほんとにいろいろある。

スランプという用語は基本的にスポーツの世界で使われる。不調に陥っ

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りんごとルッキズム

りんごとルッキズム

思わず考え込んでしまった。自分の中に、あまり見たことのない自分が潜んでるのを発見してしまったからだ。

なんだろう。できれば、あまり出会いたくなかった自分。だけど、そいつは明らかに僕の中にいて、一瞬だけ姿を見せてすぐに森の奥へ消えて行った。まるで間違って人里に下りてしまった小さな獣のように。

毎年お手伝いしてる収穫したりんごを選果して、箱に詰めてるときに、そいつは現れた。

今年は春先の霜(開花

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道草を太陽に捧げた男

道草を太陽に捧げた男

突然、料理がしたくなる。ほんと気まぐれに。

けど、そういうの料理って呼ぶのは憚られる。なぜなら、思いつきレベルだからだ。

基本的に料理は逆算でつくられる。

最終的にこんな仕上がり(味、食感、見た目、いつ食べるか等々)にしたいがあって、そこから逆算でレシピ、手順が設計されていく。食材でも硬いものと柔らかいものがあったら、固いものから先に火を通す。これも逆算。

忙しい日常で何時までにこれとあれ

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「信州そば」に呪いをかけられて6年が過ぎた

「信州そば」に呪いをかけられて6年が過ぎた

他県から信州に遊びに来た人は、決まって言う。

「信州って言ったら、そばでしょ?」「本場のおそばが食べたい」

その言葉を聞くたびに、僕は少し複雑な気持ちになる。聞かされる「信州そば」への憧れが無邪気なものであればあるほど。

何が僕をそうさせるのか。なんなら、僕自身も信州に移り住む前は、同じように漠然と思っていた。本場の信州で食べるおそばは何か違うはず。

だけど、その勝手な想いは早々に覆される

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いまを食べて生きる

いまを食べて生きる

一食一食が大事で不味いものは食べたくない。

もしかしたら「は?」と思われたりカチンとくる(死語かも)言いぐさなのはわかってる。お前、何様のつもりなんだと。けど、本当にそうなのだから仕方ない。

もちろん、美味しい不味いなんて食のプロでもない限り日常レベルではほぼ主観だし、何を美味しく感じるかなんて自由。

その前提の上で「不味い」ものはなんか生きるちからが出ないのだ。自分が。

一応、補足してお

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思考の帰り道

思考の帰り道

ものを考えるとき。思考には「行き」と「帰り」がある。

じつは、そのことを言語化してくれたのは森本しおりさんで、そうか「思考の帰り」かと思った。

思考の沼みたいなところに「行く」というか嵌る話はよく見聞きする。けど、そこからどうやって帰るのかの「思考の帰り」の話って、あまりない。

山で言えば、こんな山にこう登ろう、ルートは装備は、そこで得られるものはという記事(山をビジネスや生き方に変えても通

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もう家具は買い取れない話

もう家具は買い取れない話

ダイニングテーブルを買い換えることになった。

疾患のこととかもいろいろ含めて、生き方暮らし方を変えてくなかでのこと。

いままで使ってきたダイニングテーブルは北欧風(よくわからない言い方だけど)と言えば、それっぽいオーク材の無垢のもので「虎斑(とらふ)」と呼ばれる木目が表面に出てるのも気に入っていた。

在りし日の(いや、いまもあるんだけど)お家騒動以前の、会員制でコンシェルジュっぽいスタッフが

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なぜメディアは華麗な掌返しをするのか

なぜメディアは華麗な掌返しをするのか

最初に断っておくと、べつに五輪に物申したいnoteとかではない。

いつも書いてるけど、アスリートの世界と腐海のように誰も制御できない五輪の世界、多くの人々の日常はどれも別のレイヤーで、一緒くたにしたものを書くことはできない。

いや、書きたい人は書けばいいのだけど、個人的には書かないだけの話。じゃあ、これは何を書いてるのか。

メディアの五輪文脈(あるいはそこにある空気)についての個人的な思索で

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なぜ僕はテレビを観ないのか

なぜ僕はテレビを観ないのか

僕は基本的にテレビを観ない。

これも一応、最初に書いておくと「テレビ」の存在を全否定したいわけじゃない。

観る観ないは自由だし、テレビに関わる人で、ほんとにすごく聡明で尊敬できる人だっている。良心的で良質な番組だってある。

ただ、それとは別の次元、僕の日常的な生活の中に「テレビ」がないのだ。

代わりにあるのは各種の音楽と自然の気配。とくに信州に移り住んでからは、余計にそうなっている。

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靴底だけ置いていく

靴底だけ置いていく

「あいつ、靴底だけ置いていったんだよ」

すれ違った、どこかの知らないリーマン二人連れの会話が不意打ちだった。

「やつは、そういうとこあるからな」

片方が同意しながら、あるあるという顔をしている。

――靴底だけ置いていく?

なんだか唐突に口の中に「おでんのちくわ」でも突っ込まれた気分になる。訳がわからない。

どこかのオフィスなのか、路上なのかに置いていかれた靴底の様子が浮かぶ。

けど、

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100%の生と死としての情報

100%の生と死としての情報

※センシティブな内容を含んでいる可能性のある記事です。

惨劇が起こる。メディアはセンセーショナルな最新映像と人々の興奮や混乱を流し続ける。そこに何の意味があるかどうかなんておざなりにして。評論家たちは惨劇の背景を探って口々に語る。そこに仕事があるからだ。

犠牲者は数万人以上。数字が増え続けても、映像が更新されても、リアリティは増すどころか希薄になっていく。新しいSFX映画のプロモーションかと思

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お金になるスピード

お金になるスピード

スピード、スピード、ヌード。

最後だけバグってるけど、まあいまはスピードが求められる。仕事をしていて「遅い」「時間がかかる」は害悪のエリート扱い。

いろんな分野で「これまで◯時間かかってたものが、1/3に短縮されました」とかいうのが評価され称賛される。

こんなこと書いてると、いまさらこいつは何言ってるんだろ感がすごい。とにかく「時間」「スピード」は絶対なのだ。

だけど、と思うところもある。

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