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生音(ショートショート)

(ギターを持ってどれくらいの時が経ったろうか・・・・)

私は今日も、あの熱狂と活気の幻想を追い求めて、またこのエリアに足を運んでいた。

この道はそう、路地裏みたいなものだ。スナックや小料理屋、居酒屋などが建ち並び、ギラギラと光る看板には、いまだに豆電球が使われている。道の隅には瓶の酒を入れるケースが積み重なっていて、裏口に通じる階段の上にはタバコの吸い殻が捨てられていた。多分、この階段に座っていた酔っ払いが捨てたのだと思う。

「随分と、静かになったなぁ」

夜になれば、もう少し人どおりが増えるのだと思うが、メイン通りの看板を譲ってしまったこの通りに、明るい時間から人がいることは無かった。

私はギターケースを担ぎながら、数件のスナックを通り過ぎ、ジュークラインという店の中に入る。その店は、ピンクと黄色の派手な看板の居酒屋の脇にある階段を上るとあるのだが、階段を上がるのはずいぶんきつくなった。ギターを電脳世界に置いていけば、この階段も幾分楽になるのだろうけど、やっぱりギターは本物に限る。

6畳くらいのスペースに入り、シールドをつなぐ。光線はとても便利できれいな音が鳴るけれど、音はやっぱりここから出さないと意味がないと思う。どうしても、こう、立体感みたいなものが演出出来ないような気がしてしまうのだ。

目を閉じて、歓声と人の温もりを思い出す。想像すると照明の光に照らされて、ほんのりと汗をかいていくような体の温かさを覚える。こうやって、夢にまで見た音楽というロマンを身体に染み込まることで、心のこもった演奏になるのではないかと考えている。

私はモニターの前に付いているマイクに向かって話しかけた。

「私の姿が見えているかい?おや、今日はいつもよりも沢山の人が出力してくれているようだね。ありがとう」

埃だらけの銀色のギターは、夢は叶うと叫んだ遠い記憶だ。

今日はこのギターを使って「歌を歌う」
多くの人が、自分の好きな人と過ごすことが出来るこの世界で、わずかに残っている誰かの歌声と、振動から伝わる迫力を求める、ごく少数の人々に熱を届ける。

私はギターのストラップを肩にかけ、部屋の隅に折りたたまれている椅子を広げて座った。

家事をしながら、子供を寝かしつけながら、読書をしながら、自分に与えられた役割を全うしながら・・・

様々な人の生活を思い浮かべる。

歌は順調に進んでいった。昔は何曲も連続で歌えたのだが、今は1曲歌うのが精いっぱいという状況。年は取りたくないものである。

「背が伸びるにつれて、伝えたい事も増えてった。宛名のない手紙も、崩れるほど重なった」

大分声も出なくなった。テンポもスローになったものだ。それでも、私が生きた時代と起点を思い出しながら歌を歌う。声の高さが足りなくなっても、テクニックでごまかすことが出来るようになるくらい、歌って歌って歌い続けた。今は、そのテクニックが自分に浸透し、自然な歌となって表現されていることを信じたいと思う。

「この歌、懐かしい」

「昔聞き放題で聞いた」

「こんな言葉が、世界には蔓延していたっけ」

「明日も自分の役割を果たそう」

「懐かしい声!」

私の歌を聞き、私にとっては満足のいく、沢山の人が反応を返してくれた。言葉には「価値」がある。今日を生きるための「価値」だ。

歌い終えると、私の出力がぽつぽつと消えていった。

おや?

まだ消えないのか?

「今日は、まだ歌えるんじゃない?」

「もう1曲くらい披露してくれたら、明日もメリハリが持てるかも」

そうか。

まだ、歌っていいのか。ありがたい。

多くの曲がどこでも聞けるし、今では当人にリクエストすることさえ出来る。それは、生身の人間だけにとどまらず、アニメーションの世界に住むキャラクターでさえ実現可能となった。本物がそこら中にあふれ、いつの間にか生ものが消えていった世界で、こうやって生ものにすがるおいぼれを応援してくれる人がいる。世界は十分に温かい、それが分かる素敵な時間じゃないか。

私は嬉しくなってマイクに向かって話す。

「それじゃあ、もう1曲だけ歌わせてもらうよ。念のため、翻訳をオフにしてほしい。この歌は、ありのままを伝えた方が輝くと思うんだ」

翻訳の有無を促して、ギターのストロークを始める。コードは・・・問題ない。目の前に映し出されている。

「my war is over.」

この歌は遠くに行ってしまった思い人を歌う歌だけど、私にとっての思い人は「はるか昔」に消えてしまった。それはとても寂しいことで、何となく虚無感を覚えるものなのだが、それでも、今こうして歌が歌えるのは、ほんのわずかに残ったあの頃の香りと繋がりが脈々と受け継がれているからだと思う。

当たり前で、世界のすべてで、あの日の自分を虜にしてくれたものは、時間という大いなるものの前に流されていく。でも、誰かが細々と繋いでいくことで、あの時の感動とは違う、別の感動を生むことが出来る。表現や芸術の面白さは、延々とどこかで磨かれ続けることにあるのかもしれない。

馴染みの無くなった音も、出せなくなったあの声も、細くて小さいものだがしっかり残っている。私の演奏は一瞬で消えてしまうが、今もこうして誰かに届けることが出来ているのだから満足だ。

「これ、知らない」

「待って、だいぶ久しぶりに聞いた」

「久しぶりに聞き直すかなぁ」

「若い頃を思い出したよ」

「また歌いに来なよ。待ってるよ~」

「久々の生声って感じだったわ~」

また、沢山の言葉をもらうことが出来た。本当に良かった。

私は聞いてくれた皆に言う
「今日は2曲も聞いてくれてありがとう。また会えることを楽しみにしているよ」

バイバイ・お疲れ~という言葉と共に出力はどんどん途切れていった。私はギターと椅子を片付けた。そして、後ろの壁にもたれかかりふぅと息を吐いた。

「良かった。これで今日もご飯が食べられる」

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