見出し画像

【掌編小説】悲劇 奇癖

 まだ電気を知らない頃の時代に、とある小さな村があった。近くにはとある小さな山があり、頂上には村を治めるとある殿のとある小さな城があった。
 村の政治は一風変わっていた。村を治める代価として、採れた作物等を農民が殿に納める……というのがこの時代によくある政治だが、この村では月に一度、農民に魚介類を納めさせていた。海まで六十里ほどあるところに位置する村だが、殿に逆らい、村全体で野たれ死ぬという末路を想像すると、農民たちは海に行かざる得なかった。
 生鮮な魚介類を運ぶには、六十里の道のりは残酷的に長く、いかなる魚でも腐敗は免れ ない。そのため、農民たちは殿にそれを訴え、干物や酢〆の保存が効くもののみの納付の承諾を得た。
 というのが、今の殿の父の代の話。
 現在の殿は11歳、その幼さゆえに酷く横暴であった。「生の魚が食べたい」と言って聞かないのだ。しかも、「山に沖に住む者でも食べられないような珍品が食べたい」と駄々をこねる。物理的に不可能なその条件を、村の者たちは呑まずには生きていけなかった。
 村の人々は考えた。六十里も離れた海からどうやって生の魚介を運ぶか、ではなく、如 何様にすれば殿の欲を満たすことが出来るかを考え抜いたのだ。



 若大将の伍介ごすけは城の御殿にいた。向かいには幼き殿の姿。護衛兵が殿を挟むように立ち、ひざまずき頭を下げたままの伍介と、伍介が持ってきたその包みの上の珍品を睨む。
「これはなんじゃ」
 殿が声高に問う。
さめの肉でございます」
「鮫? 食べたことないけど聞いたことある。ありがち。れ」
「お、お持ちください! ただの鮫ではございませぬ」
「……さば?」
「それはもう鮫ですらございませぬ」
「じゃあなんじゃ。たこか」
「遠のきましてございます。しかし、お色は蛸同等。艶だけで言えば蛸にも勝るかと」
「じらすな、言うてみよ」
「赤い鮫でございます」
 殿は目を丸くして、伍介の持ってきたその血色鮮やかな生肉を見る。伍介は続けて解説する。
「肉質は通常の鮫肉よりも柔らかく、上質。魚とは思えない獣肉にも似た歯応えが面白く、漁師でも中々目にかかることのできない代物で。刺身でも召し上がれますが、一度火を入れた方が美味かと」
「食べたのか?」
「とんでもございません。殿とお城の皆様以外に食させる気はさらさら。私たちは殿に尽くすために生まれてきました故」
 殿は満面の笑みで、珍品の納付を受け入れた。一時はどうなるかと思ったが、またこれ で一ヶ月耐え忍ぶことができる伍介は殿に頭を垂れたまま、床に安堵の涙を落とした。



 伍介は村長を含む村の人々と酒を酌み交わしていた。殿を欺くことが出来たことを祝う宴である。
 作戦は成功した。殿に納付した肉は 馬肉である。伍介は豪快に杯の酒を飲み干すと馬鹿に高らかに笑う。
「馬なら村にいくらでもいるからな! 馬の数だけ安泰よ」
 村長は伍介の大声に片耳を塞ぎながら尋ねた。
「しかし、殿が馬の味を知っていたら偉いことになるぞ」
「平気、平気、坊っちゃんは馬なんて食ってねえ。兵馬に回すのに手一杯よ。それに、アイツは魚ばかり食う偏食家。俺達が納めた干物ばっかさ!」
「ならいいんだが……」
 村長は俯くと寂し気な笑みで伍介に問うた。
「なあ、儂のふな公も殿に納められちまうのかのう」
 ふな公とは村長の愛馬の名前であり、村民皆で可愛がっていた。その理由は特徴的な一芸にあった。誰かがふな公に問いかけると、首を左右に激しく振る。何かを必死に拒否し ているようなその姿を、村人たちはケラケラと面白がっていた。
 豪傑溢れた声で、伍介は答えた。
「心配すんな、ふな公はアイツに食わせねえよ。ふな公が村から消えたら、それこそ村が意気消沈して野たれ死んじまう! ウハハハハ! どれ、ちょいと人気者ふな公様の顔でも拝みにいくかな。おい、菊!」
 伍介は、酒でよろめく足を恋人の菊に心配されながら、馬小屋の中へと消えて行った。





「殿を殺す」
 片手にくわを持った伍介は怒りで唇を震わせながら、村長にそう言った。
 昨夜の殿の暴虐ぶりは、村の人間にまで及んだ。菊が殿を筆頭とした城の者数人に淫行を強制させられたという。菊は殿に口止めされていたが、伍介にだけはそのことを打ち明けた。泣きじゃくり、顔を伍介の胸に思い切り埋めながら、一夜の全てを話したのだ。
 すぐに伍介の憤怒は殺意に変わったが、こんなにも小さな村が一揆を起こしたところで、 殺すことはおろか、殿に辿り着くことさえ出来ないだろう。
 そこで伍介は先代の殿からの命令で海へ行った際に聞いた、港の噂を思い出した。
「馬が左右に激しく首を振る仕草は、病気の印」。
 殺意により思い出された噂話は、その仕草をするふな公が病気だと嫌厭されたり、最悪殺処分になる様を見なくないと、蓋をしていたものだった。
 しかし、その蓋ももう効かない。
 ふな公の肉を殿に納めたら、殿は病気に感染し、死に至るのではないか。
 安易すぎる考えだった。それが病気の表れなのかも、そしてその病気が人間にも感染す るのかも、全く以て確信を得られない。しかし、今の伍介には確信など待つほどの余裕はなかった。
「落着け伍介、早まるな」
 焦りの混ざった声を荒げながら村長は伍介の腕を掴む。伍介はそれを一瞥もくれず、いとも簡単に振り切る。何度も何度も止めようと、村長は老体を痛めつけながら伍介を血眼で止めるが、伍介はそれに耳も貸さず、ただ馬小屋へと足を進める。
 伍介はふな公の前に立った。愛らしい眼を見ないように、鍬を振り上げる。
 数秒間のためらいの後、伍介は涙声でふな公に言った。
「ふな公、ごめんよ」
 左右に激しく動くふな公の脳天目がけて、鍬を振り下ろした。

 

 理性が入り込む隙もない悲劇は、後にも先にも、この村ではこれだけであった。

 殿は死ななかった。



おわり



●○●○●○●○●○

【罪状】酒税法違反

村の宴会で酌み交わした酒が、村長自家製の密造酒だったため。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?