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【エッセイ】本と宇宙と錯覚のはなし

1.本と宇宙

本には色々なジャンルがありますけれど、その多くは一つのテーマやストーリーについて語られたものです。ふつうなら見開き1面ずつ読んでいきますが、同時に異なるページ(時間)を並行して読むようなことは、それが必要とされない限りやりません。

(回想とかを挟まない)時間軸が真っすぐなストーリーだったら、今の見開きを現在とすれば、それ以降のページは未来、その前のページは過去となります。つまり、本を読むという行為は全体の中のわずかな時間の流れを眺めていると言えます。そう考えると、宇宙という存在は大量の微小時間を一冊の本にまとめたストーリーという感じがしてきます。

だとすると、宇宙の物語を書いた作者はひねくれていますね。「ビッグバンはどうして起こったの?」というはじまりの謎についての描写を全くせずに、解釈を読者/登場人物に丸投げしているからです。現実にはビッグバンが起こったあとの結果が残されているだけで、それを予想するための証拠を何一つ残してくれていません。

これは物語で言うと伏線に当たる部分で、それを作中に1、2行しか登場しない ”人類さん” が苦悩しながら想像するしかないという始末です。私には作者が「とりあえず爆発(ビッグバン)させといたら面白くなるやろ?」という思いつきにしか考えられません。だから、宇宙の終わりも風船がしぼむような王道を行くものではなくて、もっと脈絡のない作者の気まぐれに付き合わされそうな気がします。終わりがないのが終わり(未来永劫続く)というのが予定されている結末なら、もうひとひねりして斜め上のエンディングを用意してくれ、と作者にクレームを出したいと思います。

2.本と錯覚

これは個人的に子供の頃から本を読むのが嫌いだった理由で、書かれている出来事をあたかも自分が経験したかのような錯覚に陥ることです。なので、何もしていないのに登場人物の気持ちや行いが自分の中に入ってくることに対してものすごい違和感がありました。本を読むことで知識は増えても、人間としての厚みが増すことにはつながらない(=実際に経験していないから真実味・説得力のある言葉がでてこない)からです。

中身がペラッペラな人間が歴史上の偉人の名言を言い放っても、その言葉は大して力を持たないことと同じです。もしそうなら、自分で箔をつけていくしかありません。知識は知らないより知ってる方が良いのは間違いないですが、登場人物に感化されすぎて、借り物の言葉を遣うことには気をつけたいところです。つまりは、自分で考えたり行動して得た納得感の乗っかった言葉は、ウソが混じらない何よりも強力なものなのだと、そう思うわけです。


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