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美術史第48章『古代エジプト美術-前編-』

エジプト王国の建国者ナルメルの「ナルメル・パレット」
ヒエログリフ

  メソポタミア文明の誕生と同時期、アフリカ北東部のナイル川流域でエジプト文明が誕生、メソポタミアで都市国家が発展し芸術も発展したメソポタミア初期王朝時代と同時期の紀元前30世紀頃にはエジプトで南部の王国と北部の王国が統一されてメンフィスを首都とするエジプト初期王朝の時代となっており、ヒエログリフという文字もこの前後に誕生した。

蛇王の碑

 また、この頃にメソポタミア美術に影響を受けたと思われる古代エジプト美術が生まれ、「蛇王の碑」の様な浮彫彫刻や丸彫彫刻が盛んに制作されるなど独自の発展を開始し、神殿に奉納するパレットなどが作られた。

模様
船の模型

 エジプトの工芸品では水蓮、パピルス、棕櫚などの植物や鷹、コブラ、兜虫、山羊、人間などの動物、生命アンク、心臓イブ、再生ウェルズなどの象徴的図形、幾何学模様のロゼッタ、ジグザグ、渦巻きなどがモチーフとして用いられ、複雑に組み合わされ、宗教的な意味を付与されており、木工品では船の模型がよく作られナイル川の恵みによって暮らすエジプト人にとっての船の重要性が伺える。

 建築の分野では古代エジプト人は宗教的に死者の復活を信じ、死者のための永遠の家として頑丈な墓を築く風習があり、初期王朝時代は「マスタバ」という長方形の基盤の上に日干しれんがを積み重ね地下に竪穴を掘って、それに接して遺体を安置する玄室と付属室を作り、壁に死者の姿のレリーフを刻んだものが貴族や王族の墓として作られた。

ジェセル王のピラミッド

 しかし、紀元前27世紀頃に古王国時代と呼ばれる時代になるとメソポタミアでの巨大神殿ジッグラトに影響を受けたと思われるピラミッドという墳墓の建設が開始、ファラオ(王)であるジェセルに仕えた政治を行う宰相であり内科医、建築家でもあったイムホテプにより建てられた「ジェセル王の階段ピラミッド」が建設されて以降、王族の墓はマスタバという四角い墳墓から三角形のピラミッドへと変わっていった。

三大ピラミッド

 紀元前25世紀頃にはギザにクフ王の墓として巨大な「ギザの大ピラミッド」が築かれ、「カフラー王のピラミッド」、「メンカウラー王のピラミッド」も建設、これらは三つ併せて「三大ピラミッド」と呼ばれていて、これらピラミッドには礼拝所、参道、神殿が付属して作られ、ピラミッドの周辺には王族や貴族のマスタバ様式の墓が作られた。

メイドゥームの鴨
人物画

 また、ピラミッドが作られ始めると壁画では「メイドゥームの鴨」のような動植物は写実的に描くが、人物は非常に抽象的で上半身は正面、下半身は真横を向いているという構図で描くという様式が確立された。

 古代エジプトでは先述した宗教的な理由から永遠にふさわしい人体の表現が模索されていくこととなり、結果、遠近法や透視図法などは関係ない独自の発展を遂げたという歴史があり、エジプトの人物表現や「正面性の法則」もしくは「変動視点描法」と呼ばれる。

メンカウラー王の像
書記官カーペルの木像
ポートレート的な像

 一方、彫刻の分野でもピラミッドの発達と共に巨大な人物像が礼拝所に設置されるようになり、これらの像は死者の霊を宿らせることを目的としているためなるべく写実的に作られるのが特徴で、エジプトの彫刻全てにおいて顔は正面で両足を揃えるか立像であれば片足を半歩前に出すこともある程度で動きが少ないという特徴がある。

オベリスク
ピラミッドの石

 古王国中期の第5王朝時代には太陽神ラーへの信仰が強まり神殿などの付近に日の出を象徴するモニュメントとして「オベリスク」という長い何かが建設され、ピラミッドやオベリスク、マスタばなどのような巨大建築を可能にしたのはエジプトが石材が豊富な土地であったことが理由であると言える。

  

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