歴史は踏襲と変革の連続である

歴史の上に立つ

私の従事するお寺は、「織田信長の三将」のうちの1人、“戸次左近”(べっきさこん)が第一代住職と伝えられている。仏教を嫌っていた織田から解任され、仏教を重んじていた上杉謙信を頼りに越後へ、とも伝えられている。いくつか説はあるようだが、とにかく織田信長だの上杉謙信だの、誰でも知っている名将軍の名前が出てくることに歴史を感じざるを得ない。

この“歴史を感じる”ということはどういうことなのか。

私たちは普段、何気なく日々生活していて“感謝”とか“恩”とか忘れてしまいがちである。私たちが、今こうして生活できているのは人の歴史があるから。

例えば、自分には親がいて、その親の親であるおじいちゃんおばあちゃんもいて、そのおじいちゃんおばあちゃんにも同じように親がいて、というようにどんどん遡って行けば、そこには人の歴史というものが存在する。

この人の歴史という流れの上に、いま私たちは立っている。そのことへの“感謝”や“恩”は常々思い返されることではなくてはならないし、思想とか宗教とか関係なく人が人として存在する以上、これは義務でもあると思う。

私たち一人ひとりもその流れを止めてはならないし、どれだけ時代社会が変わっても流れ自体は止まらない。


“踏襲する”ということ

私たちは歴史の上に立つ存在であると同時に、また歴史を紡いでいく、残していく、そういう存在であることも言える。

言い換えれば、歴史の只中にいる自分自身もまた、歴史をつくる存在であるということ。

例えば、先ほどの人の歴史には脈々と続く親子の関係がある。その麓にいる自分自身もまた、家庭を持ち、親となり、脈々と人の歴史を重ねていく。

この人の歴史は、ある意味で“踏襲”されたもの、受け継がれたものである。過去の歴史を踏襲して、現在がある。こういうふうに言えると思う。

しかしながら、私たちが次世代に繋いでいくバトンは決して過去と全く同じものではない。この現在は、過去とは違う新しいものであるということも言える。それは、私たちは歴史を踏襲しながらも、また歴史をつくっていく側の存在であるから。

このときに、“変革”は起きているのだと思う。


“変革”とは

昨日、「踏襲したうえでのオリジナリティー」ということに少し触れた。

よく「自分らしく」とか言うけれど、自分は自分一人で存在していないわけだから、少なからず「自分」には誰かからの、何かからの“踏襲”がある。意固地になって、人の意見に聞く耳を持たないのではなく、それを受け入れて踏襲したうえで「自分らしさ」はつくられるべきだと思う。

このときにちょっとした変化というか“変革”が実は起きていて、この変革というものが歴史を繋いでいくときには重要なのではないか。

仏教は今から2500年も前に説かれた教え。この2500年という歴史の中で、確かに現代まで受け継がれてきている。

しかし、この受け継ぐということが起きるとき、ちょっとした変革があった。それは「結集(けつじゅう)」ということ。

仏陀亡きあと、お弟子さんたちがみんなで集まって教えについての意見交換会みたいなものを開いた。この最初を「第一結集」と言う。

この結集があったから受け継がれた。

だから、その受け継がれてきた経典、お経というものは必ず「如是我聞」と始まる。「かくの如く我聞きたまえり」とお弟子さんたちの頷きから始まっていく。

ここには“踏襲する”ということがたしかにあるのだけれども、それは「結集」によって共有されたわけで、この「結集」こそ“変革”だった。

解釈もそれぞれだし、並大抵のことではなかったはず。

ちょっと話がずれてしまったけど、要は自分自身もまた歴史をつくっていく一人であるということは、“踏襲する”だけではなくてちょっとした工夫というか“変革”が必要だと思うということ。


みんな違ってみんな良いのだけれども、みんな違うからみんなダメでもあるということ。

私自身、人と違うことをしてやろうとか全然そんなつもりないし、今関わっている人の頑張りや努力があってこその今だと思っている。

だから、当然のように“踏襲”させていただく。

でも、自分がまた歴史をつくる一人であると思うと、やっぱりちょっとした“変革”が必要なのかなと。

みんながみんなして過去の踏襲ばかりで「みんな一緒」ということはナシかな。みんな違うから、それぞれの人生があるわけだし、そのことは誰にも批判したりできない。

みんな違って、みんな良い。

本当にそう思う。けど、同時に

みんな違うから、みんなダメ。

ということも言えると思う。だから、誰かの意見やアンチに対しても聞く耳は持たなければならないし、その人もまた歴史のうえに立っているわけだから“踏襲”する姿勢も必要。

ただ、“踏襲する”だけでなく、それぞれのオリジナリティーがあっても良いじゃないか。みんな同じではないから、そこには歴史がつくられるのだと思う。

人と人との出会いも然り。


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