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「今、できることをやろう。」

これは、私が中学生の頃に、
母がかけてくれた言葉だ。

当時、腹痛や頭痛などの体調不良の波に加え、
いろんなことを悩んでは苦しい時間を多く過ごしていた。

そんな私が母に不安や悩みを吐き出すと、
それを聞いてくれたあと、母は、
「今できること(あるいは、すべきこと)に集中しようか?」
と言った。

当時は、ただ不安に共感してもらって、
辛いね、きついねと
言ってほしかっただけのような気もする。

もちろん、そういう寄り添いはとても大切だ。

共感してくれる、理解しようとしてくれる人の存在は、心を強く支えてくれる。

しかし、母はきっと私に、
少しずつでもいいから、明るい方へ、希望がありそうな方へ、
歩みを進めていってほしかったのだと思う。

少しは成長した今の私は、
私が苦しみに浸り続けている間にも、皆平等に時間は流れていく、ということを知っている。

ただでさえ人は暗いこと、嫌なことに目を向けがちだと言われているのに、
いつまでも苦しみの中に閉じこもっていたら、
自分から苦しみや悲しみに注目し続けてしまう「癖」がつくこともあるだろう。

それは、「なるべく楽しく、心地良い時間を多く過ごしたい」という、私の希望とは異なる。

だから、あの時母が言ってくれた、
「今できることをやろう」という言葉は、
これからも大切にしたい、と思う。

当時の私ができる範囲ですべきこと、
それは期末試験に向けた勉強だった。

そこまで一生懸命やった記憶はないけれど、
少しは取り組んだと信じたい。笑

あれから、いろんな人との出会いや、
自分の身体や心の変化と共に状況も変わり続けながら、
今、私はここにいる。

先日、たま~になることがある、腹痛や吐き気と共に視界がぼやけ、音の聴こえも鈍っていくという感覚の予兆を覚えた。

しばらく横になっていると、恐らく血圧が元に戻って気分も復活してくるのだが、
その後なんとなく不安になった。

右肩上がりに体調は回復する訳ではないと分かってはいるものの、
外出先で症状が起きたら困るなぁ、
今後自分はどんな風に働いていくのかな、
などと思考が膨らんでいった。

その時、母の言葉が思い起こされた。

「今、できることをやろう。」

そうだな、と思ったし、そうするしかないな、と感じた。

もちろん、きつい時は無理せず休んだり、落ち込んだりしたっていい。
むしろ、あらがわずにそうした方が良いと思う。

ただ、そんな中でも、
少しでも自分が楽しくなるような、
希望が見えるような方向にあることを、

今の自分にできる範囲でやる。

積み重ねていく。

その先に何が見えるかは分からないけれど、
そういった心持ちで力みすぎず、
日々過ごしたいと思っている。

最後に、糸井重里さんによる、私のお気に入りの言葉を紹介して終わりたい。

できることの少ない日は、少なくなにかをする。

糸井重里「ボールのようなことば。」p.37

お読みいただき、ありがとうございます。