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孤独な人びとの国で、生きてゆくために

昨日の、「幸せな人生とは◯◯をたくさんもつ人生」のつづき(ここは、毎回ずーっと「つづき」なのではありますが)。

小松由佳さんによると、シリア人(一般的な?)にとっては、「幸せな人生とは〈ゆとり〉をたくさんもつ人生」なのだそうだ。

ぼくの中には〈ゆとり〉ということばがなかった。でも、〈時間〉ということばはあった。何らかの時間だろう、と思った。だから、じつはけっこうぼくと〈シリア人〉は近いところにいた(かもしれない)。

彼らにとって〈ゆとり〉とは何か?

友人(=毎日会う人のこと)とお喋りをしたり、お喋りをしながらお茶をしたり、昼寝をしたり、することらしい。

〈仕事〉は、男性も女性も、毎日だいたい5時間くらいするのだそうだ。

〈仕事〉とは何か? という話も書いておいた方がよさそうだ。

日本では、どちらかというと、〈生業〉という方が、彼らの〈仕事〉に近いかもしれない。

女性と男性の仕事の役割が大きく分かれているあたりは、いまの日本人には「んー?」と思われるかもしれないが。女性は朝起きて、食事の準備をすることも〈仕事〉と言われていた。

男女差別? そんなことより…

何というかな… 家事が〈仕事〉から排除され、コストとしてカウントされなくなって久しい日本社会の方がぼくには異常な社会(というか、大人がしっかり頭で考えて社会構成することができていない)のように感じられてきている、のですよ。

その〈ゆとり〉を大切にしていた人たちが、平和を失って(平和というのは、失ってはじめてわかるもの、らしい)、難民になり──しかし難民には資金力やコミュニティがないとなれないらしくて、多くが国内を放浪している──たとえば日本に来て暮らすとなった時に、直面するのが、「お金がないと生きてゆけない」「働かないと生きてゆけない」という日本社会の現実に対する驚き、戸惑いらしい。

つまり彼らは、それまで生きてきて、「お金がないと生きてゆけない」「働かないと生きてゆけない」というふうに考えたことはなかった、というのだ。

ぼくにはここで何も考えるなという方が無理だ。

〈孤独〉も大きな悩みらしい。というのは、祖国から遠く離れて、孤独を感じてるという話ではなく、家族や友人とは「常に一緒にいる」という文化から来た人からすれば、日本社会は相当に人と人が遠く、遠く感じるのだろう。

イスラームの人たちがそんな人たちで、その文化を武力によって奪われ、民主主義を押し付けられたとしたら、自分なら、恨みを抱くだろう。そして、恨みを膨らませてゆくだろう。そんな想像もした。

その一方、日本というこの国は、子孫を残すことすら疎かになり(少子化対策を何十年も放ったらかしにして平気な人たちであり)、どんどん痩せ細っていっている。

自分に何ができるだろう。これから。何が考えられるだろう。

(つづく)

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