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建物より営みを

『アフリカ』の"セッション"が佳境なので、どうしてもその話題が続く。"セッション"はやっているうちに場があたたまり、白熱するので、だんだん楽しくなってくる。

前にも書いたけれど、『アフリカ』は同人雑誌とは言えない。ただし、もともとは同人雑誌を始めるつもりだった(しかも、日本の戦後文学における同人雑誌の話を聞いて時代に見合わない影響を受けていたので、いまの人が思い浮かべる"同人誌"ともちょっと違うような気がする)。そのあたりのことは、2013年7月の『アフリカ』第20号に載っている「“いま、プライベート・プレスをつくる”ということ──淘山竜子さんとの対話を中心に」に詳しい。

同人雑誌というのは、同人、つまり"お仲間"でつくっている雑誌だ。『アフリカ』は、あくまでもぼくという1人の編集者がつくっていて、雑誌に必要なものを集め、何を載せて、何を載せないかを判断し、どう載せるかを決め、おまけに自分で全てデザインしてしまう(ただし100%自分だけで完結させるのもつまらないから、表紙だけは旧知の守安君に任せている──という話も『アフリカ』を知る人には耳タコな話だ)。

完璧な独裁政権である。

というより、自分しかいないので独裁も何もないのである。

しかも、この編集者は貧しくて『アフリカ』にこき使われている可哀想な人であるから、独裁者という名にふさわしい感じは、あまりしないかもしれない。いやいや、全くしないか…?

ぼくは、『アフリカ』という場のイメージを、いつも、空っぽの草原のように見ている。

理想的な建物をつくり、それを所持したい、というようなこととは真逆のことを志向している。

いや、お前、建物くらいなきゃダメだろ? という声に対しては、こう応える。

建物ができるまで、待てというのか?

ここにいるのは、いま、すでに、いまを生きている者たちである。

たとえば、理想的な教育制度が出来るまで、こどもたちと先生に「待っておけ」と言うのは、最も大事なことを無視している。

"建物"ができてからの人生を夢見ているのでは、遅いのである。

『アフリカ』は、やろうと思えば、その場ですぐに始めることができる工房(workshop)だ。

想像力さえあればそれが可能で、それは仕事というよりも、"営み"というほうが似合っているような気がする。

いまはむしろ、たまたま"建物"を持ってしまっている場合、その"建物"をどうやって保持しようかということに囚われてしまうので、それがその人(たち)にとってほんとうに大事な仕事の邪魔になってしまうことすらあるような気もしている。

(つづく)

「道草の家・ことのは山房」のトップ・ページに置いてある"日めくりカレンダー"、1日めくって、6月19日。今日は、"やっちゃいけないこと"の話。

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