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第二十一回 臨時号 「暮らしを整える」

いま僕が何をしているのかといえば、「暮らしを改めること」に取り組んでいます。かれこれ三年前ほどかかっているのだけれど、コロナ禍によってそれを一気に進めることが出来ているように思えます。世界的に都市封鎖が起きた四月にも臨時号を発行しましたが、あれから半年たって改めて「今」に思いを巡らせて書いてみようと思います。

「暮らしを改めているんだ」と言うと、どういうこと?と言われます。時には「大丈夫?生活に困っているの?」と心配されることも多いですね。僕の場合はばイタリアに一年、家族とじっくり住んだことがきっかけでした。「誰と生きるか、何を愛するか」その気づきを与えてくれたのがイタリアの家族。本連載でもその辺りのことを継続的に書かせて頂いているから皆さんには分かってもらえているだろうという安心感があり、とても有難いことだなと実感しています。なんかいいですね。いま自分に起きていることを「書くことで、共有してもらえる」ということ。そういう場を与えて下さった獨協大学の元教授の府川さんに、この場を借りて感謝したいと思います。(府川さんとの出会いは、僕らの映画「ふるさとがえり」が大学の同窓会で上映された時からのご縁です)


さて、暮らしを改めるということはどういうことなのか、僕なりの現状を踏まえてお話させていただこうと思います。それは「一からはじめて、白紙にする」ということ。日々増えていく、コピーして使い回せるものは、今日にでも捨てた方がいいと思っています。一からはじめることは、過去の蓄積を土台にして近道をするよりも時間がかかるように見えるかもしれません。しかし、本当に目指す場所に辿り着きたいのならば、実は一からはじめた方が近道です。

でも、僕もそう思っていてもなかなか一からはじめることは難しいということも経験しました。自分の場合はイタリアに行くことになって、自分の経営する会社や事業、関わっている地域などのことの全てを「いったん止めて帰ってきた」のにも関わらず、無意識のうちに「以前のように戻さなきゃ」という思考が働いてしまったことが原因でした。それに気づいた時は、思わずハッとしました。誰しも今までやってきた経験や知識に基づいて処理する術を身に着けているでしょう。なるべくスムーズに、そして効率的に…。それは自身を守る為に必要な本能ではあります。

しかしそれによって、大人になればなるほど、困らなくなっていくように思います。困らなくなることが、実は自分に大きなダメージを与え、可能性を閉じていくことに繋がっていること、それが一番困ったことなのかもしれません。


僕の場合今まで二十五年以上、仕事は頑張って走り続けてきたと自分でも思えるのですが、やはり「暮らしをさぼってきたのではないか」と感じることがありました。世間では働き方・暮らし方改革などとこの数年声高に叫ばれています。しかし、自分自身のオリジナルの物語を生きる為には、両者を分けて考えるのではなく「暮らしの中に働きもある」といったように僕は転換を図ることにしています。

時々誤解されることがあるのですが、一からはじめるということは、ゼロに戻すということではありません。今までのやり方やデータに、決して依存しないこと、一は一で大事に持っておいてちゃんと手放し、「殻を破ることを意図する」ことです。


そんな中で、新たに始めたことがいくつもあります。そう、一からはじめることで「今まで心の奥底でやりたいと思っていたこと」が出来るようになりました。僕がこの度新たに始めたことは以下の通りになります。

一、家族との時間を味わうこと

二、家の手入れをすること

三、今まで関わってきた人に意識を巡らせること

四、フィルム写真を撮ること

五、人の思考を記録するインタビュー動画を貯めていくこと

六、本を書くこと

七、囲碁を子供と始めたこと


書いていくと結構ありますね。自分の中で決めているポイントは、身の回りの整理をして丁寧に暮らすことです。そしてご縁のある人たちに、自分ならではの出来ること(聴くこと・書くこと・撮ること・語ること)を粛々を行っていくこと。人と人との間で生まれる小さな出来事は深いコミュニケーションを生み出してくれます。囲碁の場合は「手談」といって言葉を介さないコミュニケーションが出来ることが素敵です。


仕事については「困った人を助けること」なのでしょうから、その延長線上にあると考えています。成果は「感動(感謝)×人数」でカウントするといった風にシンプルに…。耳を澄ませて聴くことで、色々なことが見えてきます。それを相手と共に表現していくことで「与え、与えられて」何かが実っていくことに繋がればいいですね。これを日本語で『藝』というそうです。


僕の中で面白い展開としては、父の遺品のフィルムカメラで撮影を始めたこと。父が亡くなってかれこれ二十年経つのですが、今になって押し入れに眠っていたカメラたちを引っ張り出したことなんです。十代の頃は母の日本舞踊の発表会の撮影をフィルムのカメラで行ったりはしていましたが、特に写真にのめりこむこともなかったというのに…。

時間はたっぷりあったから久しぶりに埃をかぶったカメラをクリーニングしてみました。試しに「まだ写るのかな」とフィルムを買ってパシャリ、また一枚パシャリとやっていたらこれが実に面白かったのです。機械式の何十年前のカメラは、電池がなくても健気に動きます。現像すれば失敗がちゃんと失敗として目の前に現れて、僕に語りかけてきます。気づかないうちに電化製品と化したカメラに慣れてしまって、そういう当たり前のことに驚きました。「こういうのあったなー、そういえばそうだったよな、アルバムの中にもあったよね」って。映画のつくり方を実践で学んできたにも関わらず、写真のことをちゃんと勉強してこなかったことを反省する思いです。

暮らしだけでなく、他にもさぼってきたことが色々あるかもしれないなと実感しました。撮って、じっくり観て確認しているうちに、周りの人にも観てもらいたいと思いました。いい写真かどうかは分からないけれど、これは僕のやりたくても出来なかったことに繋がる道だと感じたのです。そして、その作業を続ければ続けるほど写真の奥深さと分からなさに夢中になっていきました。紙焼きするだけでなく、SNSにも写真をアップし始めるとそれを聞きつけた人たちから連絡が来るようにもなりました。

「家に眠っているフィルムカメラ用品を寄贈するから活用して欲しい」という声が、じわじわ拡がり上等なカメラが次々に集まってきたのです。これには本当に心が沸き立つほど嬉しくなりました。それならばと、多くの家族や地域の日常の場面を撮影し、子供たちにも写真や映画のワークショップを始めることに繋がっていきました。


こうしてコロナ禍で今まで依頼があった仕事は全て中止や延期に見舞われましたが、新しい道が始まっている予感の中にいます。一歩ずつだけれども、それによって心穏やかに過ごせています。我が家にも多くの方が遊びに来たり、困りごとの相談に来られる人が増えました。その為、美味しいお茶やお菓子、手作りの料理やお酒が今まで以上に必要になってきました。なので、是非ご縁のある皆さんには「これ美味しいよ」「使って欲しい」といったようなものがありましたら、送って頂けたら嬉しいです(笑)。


まだ道は始まったばかりで、「殻を脱ぎ捨てること」について僕自身恐ろしいことだと思う時もあります。それを承知で、これまで生きてきた幾ばくかの経験に頼らない勇気を持つ。その勇気がこれまで以上に成長の種を生んでくれることを意図して、ゆっくり歩んでいこうと思っています。


(次回は、予定していた「九四年 冬「空っぽの部屋で姉が泣くこと」をお送りします)


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