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#写真
見えざる瞬間、見過ごされる瞬間たち
音楽関係の撮影をしていると、求められる写真はアーティスト本人の写真だったりするのですが、僕は主役であるアーティストと同じくらいに機材の写真を撮るのが好きだったりします。
若い頃、青山のスタジオに行った時にエンジニア長に見せていただいた古いマイク。とっても素敵なマイクは当時で50年以上前のものでした。幾多の名レコーディグを記録したマイクは風格に溢れていて、とっても素敵でした。
最近はレコーディグ
最低でも100回やって初めて、結果を「パーセンテージ」と呼ぶことができる。同じ撮影は二度とないから失敗したり成功したりしながら、おはようございます。
自分の能力に対する親バカ。
『ロバート・ツルッパゲとの対話』を書いて一番スッキリしたのは、「ビジュアルとは言葉である」という、映像の文学性について言及できたことだ。
言葉を意識せずに写真を撮ることができないのは、科学的な事実だと思っていたんだけど、そこに「温度」「情念」「言葉にできない」みたいなシュガーコーティングをほどこすオカルトな人がいる。
もちろん、映像で温度や情念も描けると思うんだけど、ビジュアルは言葉の定義に隷
雨の日に行くコンビニ。
写真を勉強している人から「写真を教えて欲しい」と言われた。
俺は勉強する人が好きなので、教えるなんていうのは僭越だけど、疑問に思うことがあれば答えると言っておいた。学ぶ人は、悩むことができる人だ。自分に何かができないということがわからなければ、進歩はない。
こういうときにいつも感じるのは、天性の才能とか持ち前のセンスなどではなく、どんな分野においても、「今までいかに勉強してきたか」に尽きると思
世界のメンテナンス。
フランクに大ザッパに言うと、「他人のことを思って行動する」人が好きだ。私はがんばっています、という人が何のためにやっているかと言えば、自分のためだったりして、そういう人は「自己実現さえすれば影響力を手に入れ、結果的に誰かの役に立つ」と、本気で思っている。
それはない。私利私欲で動いている人は誰からも愛されないし、応援されないからステージが上がらない。
ジャーナリストの堀潤さんや写真家のキセキミ
ヤギさんへお手紙書いた。
ヤギワタルくんがTwitterで、「批評家の必要性」について書いていた。俺はあまり必要だと思っていないので、そうリプライした。140字では到底書けない内容なので、「noteに詳しく書いて」とお願いしておいたらアップされていた。
ヤギくんの丁寧な説明で概要はわかった。批評家によって創作の世界がひらかれたり、作家が進化する可能性があるというのは納得できるし、批評にとどまらずに創作に転じる人がいるのも
17459以下の頂上。
今できることって全然どうでもいいんです。
いつかできるようになればいいだけだから。でも、理想が低いとダメなんです。もう結論は言いましたから、忙しい人はここから先を読まなくて大丈夫です。天丼で言えば海老を食べたことになるので、かぼちゃなどは残してもいいです。
あるヨーロッパの国の入国審査の時、仕事は何かと聞かれたことがあります。Art Directorだと答えると「そうか。じゃあ、うちの国の美し
1998年の、たまごっち。
NHKのワールドカップ中継のオープニング映像を作るため、パリとバルセロナに行った。1998年フランス大会の時だ。
現地のサッカー少年を撮影するので、スタッフがたまごっちをプレゼントしようと言って大量に買い集めたのだが、結局これは子どもたちにはあげていない。
そこで見たのは、リーガ・エスパニョーラを目指すレベルの、バルセロナの名門チーム、同じく名門のパリのチーム、パリ在住の日本人のチーム、それと