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戦前東埼の名車達
・デ1形
1913年導入。東埼電車の前身にあたる城北電軌開業時の車両。
・500形
1924年導入。東埼電軌初のボギー車であり、巣鴨-浦和間を22分で結ぶ急行運転専属車として設計された。
#4 東埼電車の「いま」
3本(+番外編)と、概要ながら東埼電車の通史を綴ってきたわけであるが、ついに最終回である。
発展期 ─好況の中で
1972年、沿線での宅地化の進行を受けて従来の急行を格上げし、新種別である「特急」を新設。これによって、殆ど現在の東埼電車の形が確立したともいえる。まこれに合わせ、新鋭特急車である「5000形」が投入された。
この新型車の画一的な点は、従来座席指定の有料特急であったものを刷新し、通
番外編 参詣電車としての東埼電車
今回は番外編として、東埼の参詣輸送とその成立について考えて行きたい。
序文
1932年・東埼電軌は浦和中町-氷川口間を開業させ、当時埼玉県下第五の都市であった大宮町へ乗り入れた。
この大宮延伸の目的は、
・新規沿線の獲得・開拓(文化都市開発等)
・主要寺社へのアクセスによる行楽客確保 の二点であった。
題の通り、本稿においては主に下項の「主要寺社へのアクセスによる行楽客確保」について考えたい。
山下祐介著「地域学入門」を読みました。
古代集落の形成条件から始まり、ムラ、クニ、近代国家、グローバル化へと、論の裾野を広げ、人類の生活の根幹を照らしながら、今後の日本の形について思索してゆくといった内容で、「村と町との連続性」という新しい視点を得られたと思います。
#3 東埼電車戦後史
今回は、戦前の話を考えた前回に続き、戦中・戦後の東埼電車の振る舞いの移り変わりを考えてゆきたい。
大戦期 ─絶頂からの転落
大恐慌の影響は受けたものの、31年に満州事変が発生すると、軍需により景気は向上し、沿線人口も若干の増加を見せた。
1937年、巣鴨駅併設の形で「東埼百貨店」が開店した。これは29年に大阪・梅田に設立された阪急百貨店をモデルとしたもので、極めて先進的な取り組みであった。沿
#2 東埼電車戦前史
今回は、東埼電車の起こりと拡張について考えて行きたい。
黎明期 ─砂利電車としてのオリジン
東埼電車のオリジンとなったのは、巣鴨-志村間を結んだ城北電気軌道である。
これは鉄道開業により地位を脅かされていた地元板橋の商人が主体となり、東京近傍の河川(ここでは荒川)で採取砂利を都心へ輸送することと、電気鉄道による地域の活性化を目的として敷設された軌道である。1904年に敷設免許を得て、1907年