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somewhere,again~最後のピースがはまる時に~ 第一話 my girl (1)

「551,232なんだよ」

 引っ越しを月末に控えた夏帆が、突然途方もない自然数を口にしたのは、中二の修了式の前日のことだった。

「なに?その覚えにくそうな数字」

 空と同様に、心が鈍色に染まっている俺は、重々しい足取りが重々しい数字のせいで、さらに重々しくなる気がした。

「世界一のジグソーパズルのピースの数」

 そう言う夏帆の顔は、俺の心と違って、雲一つ見えない晴れやかなものだ。

 登校の道すがら、普段通りの会話を交わしているけれど、夏帆は俺と離れ離れになることを、どう思っているのだろうか。

「夏帆がいつも作ってるパズルの何倍もあるね」

 夏帆は穏やかな人柄だけど、とても根気がある人だ。趣味のジグソーパズルは、そんな夏帆の人間性をとてもよく象徴していると思う。

「100倍以上はあるよ。でもいいなぁ、きっと楽しいと思う」

 俺は夏帆と違って、ちまちました作業が苦手だから、一度挑戦したけれど、結局完成させることはできなかった。

 その中途半端な作品は今も部屋の隅で埃をかぶったままだ。

「夏帆はやっぱりジグソーパズルを作る会社に就職するの?」

「どうかなぁ。でも物を作る会社には就職したい。自分で作品を完成させた時って、すごく感動するの。私はそれをたくさんの人に届けたい」

 夢を語る夏帆はきらきらとしていて、俺にはとても眩しく映る。

 将来の夢なんて、俺にはまだぼんやりと浮かんですらいない。こういう話の度に、俺は夏帆との間に歴然とした隔たりを、いつも感じてしまう。

「すごいな、夏帆は……」

 夏帆から表情を隠すようにして、交差点の角を折れる。

「颯くんはやっぱり陸上関係に就職?」

「そうだな……」

 嘘だ。

 以前、夏帆に同様の質問をされた時に、ただ格好つけたくて、口から出まかせが飛んだのだ。

 夏帆との隔たりを少しでも解消したくて語ったけど、でも結局それはただの嘘でしかない。

 夏帆はいい加減な嘘を話す俺にも、澄んだ瞳で純真な眼差しを向けてくれる。

「すごいなぁ颯くんは」

 曇る空に目を移し、ニコリと夏帆は笑む。

 ──すごいか、すごいのは夏帆だよ。


 幼い頃から、走りでしか自己表現できない俺は、毎日運動場のトラックをぐるぐると競争馬のように回っていた。

 そんな風に走ることしかできない俺は、夏帆と互いの友人を介して知り合った。

 好きな子と距離を縮めたいと言う友人が、互いに友達を連れて遊びに行こうと好きな子に提案し、そこに連れて来られた友達が、俺と夏帆だった。

 夏帆とはクラスも違ったので、俺は初対面だと思っていたけれど、夏帆にとっては違った。

『陸上部の滝川くんですよね』

 にこりと穏やかに笑み、それが夏帆が俺に発した最初の言葉だった。

 いまでも、初めて会った夏帆のことは写真のように鮮明に記憶に焼きついている。

 夏にぴったりの、スカート丈が長い白いワンピースに、淡い桃色のサンダルと申し訳なさそうに麦わら帽子を被った夏帆は、濃い空色と大きく浮かぶ入道雲を背景にして、まるで青春映画から飛び出して来た純然なヒロインのように途方もなく美しかった。

 いま思えば俺はあの瞬間から、夏帆に心を奪われていた。


 (つづく)

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