【歴史小説】『法隆寺燃ゆ』 第五章「法隆寺燃ゆ」 前編 7
「でも、なぜ私が?」
「冠位の改正は、当事者の思惑を排除するため、今回の一件に関わっていなかった人間がやるべきです。それに、そろそろあなたも、こういった仕事の一つや二つはすべきよ。遊び呆けていないで」
「いやあ、別に遊び呆けている訳ではないのですが……」
「それに、前に言っていたでしょう。男として生まれたら、一度は大八州国(おおやしまのくに)を治めてみたいと」
「いや、羨ましいとは言いましたが、治めたいとは言ってないと思いますが……」
「兎も角、是非にともあなたにやってもらいたいのです。いいですね」
大海人皇子に、否の言葉はないようだ。
「分かりました。何とかやってみましょう。ただ、なにぶん初めてのことですから、少々時間が掛かりますが、それでも宜しいですか?」
「できる限り、早急にお願いします」
大海人皇子は深いため息を吐き、やれやれといった表情で大殿を後にした。
間人大王は、どうしても大海人皇子を政界の真っ只中に引き込みたいと思っていた。
と言うのも、彼女は、彼を次の大王候補と考えていたのだ。
今回の百済支援の失敗で、もしかしたら間人大王は責任を取らされて、母と同じ様に生前退位させられるかもしれない。
そうなれば、中大兄が大王になる可能性も出てくる。
縦しんば群臣の反対にあっても、対抗馬がいなければ、中大兄が力尽で……ということも考えられる。
しかし、現時点で対抗馬となりうる人材は、大海人皇子しかいない。
であらば、彼を大王として相応しい人間に育てる必要がある。
大海人皇子は、その性格から人望も厚く、群臣の中には中大兄の対抗馬として注目している者も多い。
一方、執政能力を疑問視する声も少なくはない。
だからこそ、ここで大海人皇子に冠位改正の仕事をさせて、宮廷内での地位を確固たるものにしておきたいのだ。
それが、有間皇子(ありまのみこ)を死に追いやった中大兄を絶対に大王にさせないという、彼女の強い信念であった。
間人大王は、顳顬に手を添えた ―― 少し、頭が痛い ―― 休んだ方が良いかしら?
彼女は、椅子に凭れて天を仰ぐ。
天井の木目が、彼女を見下ろしている。
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