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【百科詩典】※人名50音順です…内田樹 小田嶋隆 斎藤幸平 槇原敬之 村上春樹 吉本ばなな 詠み人知らず 等々…

つぶやきとか名言とかテレビコメントとか夫婦の会話とか、短い言葉が飛び交う日々をどうにか寛ぎたいので、情理を尽くした文章や小説の凝った描写や恥ずかしい歌詞や内田樹先生の至言などなど集めています。


内田樹

【愛情】

愛情をずいぶん乱暴にこき使う人がいます。さまざまな「試練」を愛情に与えて、それを生き延びたら、それが「ほんとうの愛情」だ、というようなことを考える。愛情は「試す」ものではありません。「育てる」ものです。愛情を最大化するためには、愛情にも「命がある」ということを知る必要があります。

~内田樹『疲れすぎて眠れぬ夜のために』

【愛想】

愛想がいいというのは、すごく良質な文化です。他人に向かって親切にしてあげることが自分にとって屈辱的なふるまいだと思うような文化よりもぼくは日本の方がずっと好きです。クライアント・フレンドリーは日本が世界に誇る伝統文化ですよ。

~内田樹『疲れすぎて眠れぬ夜のために』

【あはは・ぷりぷり・さめざめ】

笑うときは「あはは」と大声で笑う。怒るときは「ぷりぷり」怒る。悲しいときは「さめざめ」と泣く。そういうシンプルでストレートな感情表現はもうなかなか見ることができません。あらゆるメッセージが二重三重のコノテーション(言外の意味)でコーティングされている。

内田樹『ローカリズム宣言「成長」から「定常」へ』

【安倍政権】

有害無益な政策を強権的に推し進め、国民的分断を進める政治家は「ふつうの政治家がしないこと、できないこと」をあえて実行しているわけです。ですから、本人は全能感を享受し、国民は「この全権者には逆らうことができない」という無力感を扶植されます。安倍政権はそれにみごとに成功したのです。

内田樹

【安倍元首相と韓国】

安倍元首相の韓国に対するスタンスは、ネトウヨの感情的な「嫌韓」とはかなり異質なものだったと思います。彼の場合は感情的な「嫌韓」でも「親韓」でもない、もっと複雑なものです。とりあえず彼にとって優先するのは、国と国との関係じゃなくて、誰が自分の味方で、誰が敵かということです。自分に反対する人間は自国民であっても敵だし、自分を支援する人間は隣国の人間でも味方である。そういう人のことを「ナショナリスト」とは言いません。

〜内田樹

【生き残るメディア】

これから後、生き残ることができるのは、そういう「小回りのきく」メディアではないかと思います。つまり、制作経費が大きくないので、大手スポンサーからの資金提供を要さないということ、小規模でも、安定的な読者・視聴者がいるので「言いたいこと」が言えるということ、この二つがメディアにとってのアドバンテージになるということです。

内田樹『ローカリズム宣言「成長」から「定常」へ』

【育児戦略】

両親の育児戦略は違うんです。違って当然だし、違うほうがいいんです。子どもが葛藤するから。(中略)子どもは葛藤のうちで成熟します。だから、適切な葛藤のうちに放置しておけばいいんです。父親が「ああしろ」と言ったら母親が「あんなこと言ってるけど、無視していいのよ」とささやき、母親が「そんなことしちゃダメ!」と叱っても父親が「母さんに見つからないところでやればいいんだよ」と悪知恵を授ける。そういうのがいいんです。

~内田樹『困難な成熟』


【異常な国】

「あきらかに異常なことが現に行われているのだけれども、似たようなことがあまりに頻繁に起きるので、それが異常だとみんな思わなくなる」というしかたで「まともな国」が「異常な国」に化してゆくということがよくわかりました。「頻度は力なり。」いま思いついた格言ですが、わりと真実。

~内田樹 2020/08/04


【一直線の成長】

社会は一直線に成長と進化の歴史的過程を歩むはずだという信憑もまたヨーロッパ人という「種族」に固有の「民族誌的偏見」に過ぎません。

内田樹『ローカリズム宣言「成長」から「定常」へ』

【陰謀論】

「陰謀論」を語る人がいますけれど、残念ながら、そういう理論は「世界のすべての出来事の背後には神の摂理がひそんでいる。全ては神の意志だ』というのと同じく、今日の魂の安らぎを与えては暮れますけれど、明日何が起きるかについては何も教えてくれません。

内田樹『ローカリズム宣言「成長」から「定常」へ』

【売り買いするものではありません】

医療や教育や治安や公衆衛生のようなものは、商品として売り買いするものではありません。共同体が存続するために必須のものだからです。そういう制度は公共的に整備し、管理運営すべきもので、市場に委ねるものではありません。社会的共通資本は、政治イデオロギーとも市場経済とも無関係に、非情緒的かつテクニカルに制御されなければならない。

内田樹『ローカリズム宣言「成長」から「定常」へ』

【教える】

教えるときに必要なものは「おせっかい」と「忍耐力」なのです。この二つの気質は、よく考えると相反するものです。(中略)たいへんです。まったく背馳する二つの能力を同時に発揮しなくちゃいけないんですから。(中略)この二つの傾向のうちに「引き裂かれてある」こと。それが「教える」という仕事が人間に求めることです。これを受け容れることのできる人が「教える資格」のある人です。
~内田樹『困難な成熟』

~内田樹『困難な成熟』

【男を狙うポイント】

男を狙うポイントは「才能」のひとことである。「あなたには才能があるわ。他の人には見えなくても、私にはわかるの」と上目遣い斜め45度の視線で決めれば、まず80%の男は落ちると断言してよろしいであろう。(中略)男が待望しているのは、「それが備わっているのかどうか、ちょっとだけ自信がない」美質についての「保証」のひとことだけなのである。

内田樹『ひとりでは生きられないのも芸のうち』

【学術的な劣化】

学術的発信力の劣化は、先進国中日本だけで起きた特異な、病的な現象です。

内田樹『ローカリズム宣言「成長」から「定常」へ』

【身体を動かす喜び】

日本の学校体育では「身体能力が低い」「運動神経がない」「どんくさい」という評価を下された子どもたちはそのあとは放置されます。彼らに「自分の身体に敬意と好奇心を持つ」仕方を教える人はどこにもいません。教育資源は才能のある子どもを世界的なアスリートにすることに集中される。
僕はそれが「間違っている」とは言いません。でも、世界的なアスリートになるチャンスがない99.9%の子どもたちにも身体を動かすことの喜びを感じ、自分の身体に誇りをもつ機会は豊かに提供されるべきだと僕は思います。自分の体とは死ぬまで付き合うしかないんですから。

内田樹


【危機に備える】

だから、「危機に備える」というのは、貯金することでも、他人を蹴落として生き延びるエゴイズムを養うことでもなく、「自己利益よりも公共的な利益を優先させることの必要性を理解できる程度に知的であること」である。いま「 」で括った部分を一言に言い換えると、「倫理的」となる。

内田樹

【機動性の多寡】

「国が滅びても困らない人間たち」が国政の舵を任されているのである。いわば「操船に失敗したせいで船が沈むときにも自分だけは上空に手配しておいたヘリコプターで脱出できる船長」が船を操舵しているのに似ている。そういう手際のいい人間でなければ指導層に入り込めないようにプロモーション・システムそのものが作り込まれているのである。とりわけマスメディアは「機動性が高い」という能力に過剰なプラス価値を賦与する傾向にあるので、機動性の多寡が国家内部の深刻な対立要因になっているという事実そのものをメディアは決して主題化しない。

内田樹


【帰農の意味】

市場原理が覆い尽くした社会からの脱出、それがいま起きている帰農というムーブメントの人類史的な意味だと僕は理解しています。市場経済に覆い尽くされた社会から、とりあえず「市場と切り離された場所」を創り出すこと、それが生き延びるための急務であると考える人たちが出てきたということです。

内田樹『ローカリズム宣言「成長」から「定常」へ』

【教育資源の配分】

限りある教育資源を「金で買える人間」に優先配分するということを許したら、いずれ教育のあるなしが社会的差別化の重要な指標になる。そうやって教育資源が富裕層にだけ排他的に蓄積されれば、いずれその社会は全体としては無教養になります。そういう社会から知的なイノベーションが起きるということはもうありません。

内田樹『ローカリズム宣言「成長」から「定常」へ』

【共同育児】

できるだけ早い時期から、できるだけ多くの人が、できるだけさまざまなタイプの赤ちゃんとかかわりをもつ、というのはとてもたいせつなことだと思います。「共同育児」は単に育児という「負荷」をみんなで分担して負担を減らすということだけでなく、育児する「機会」に多くの人が触れることで、人間的成熟を促すという教育的な意味もあります。

内田樹『ローカリズム宣言「成長」から「定常」へ』

【具体的でせこい話】

今回の事件で異常なのは、政府と体制派の言論人がこれを「民主主義の危機」というような「漠然とした抽象的な話」にして、「カルトと政治家の相互依存」という「具体的な話」として取り扱うことを必死で妨害していることです。「具体的でせこい話」に及ぶほど自民党にとっては致命的になる。
〜内田樹

【クリスマスプレゼント】

他にもキリスト教由来の儀礼はいくつもあるのに、なぜクリスマス(プレゼント)だけが例外的にスケールが巨大なのか。それはこれが「贈与」の儀礼だからだと僕は思います。いかなる見返りも求めない一方的な贈り物の儀礼。
なにしろ、子どもたちにプレゼントをする親たちは「贈り主であるのに、あえて名乗らない」んですから。親たちがあえて固有名を名乗らず、「サンタさん」という偽名を全員が採用している。それはこの儀礼が贈与の本質を教えることを目的としているからでしょう。最初からそれが目的の儀礼であったかどうかは知りませんが、いつのまにか、クリスマスの「親から子へのプレゼント」だけが「純粋贈与」儀礼として典礼化し、生き残った。「純粋贈与」というのは「返礼をすることができない」ということです。
〜内田樹『困難な成熟』

〜内田樹『困難な成熟』

【グローバル資本主義】

グローバル資本主義というシステムが終焉を迎えようとしています。資本主義は人口増と生産技術の進化と経済成長を前提にした仕組みなので、どれか一つの条件が失われれば、終わります。(中略)これは経済の自然過程であって、もう回復することはありません。

内田樹『ローカリズム宣言「成長」から「定常」へ』

【経済活動】

経済活動とは、ぎりぎり切り詰めて言えば、人間が生きて行くために必要な商品やサービスを交換することです。だから、経済には人間の身体というリミッターがかかる。当たり前過ぎて誰も口にしませんが、これが基本です。そして、経済をめぐる無数の倒錯はこの基本を忘れたせいで起きています。

内田樹『ローカリズム宣言「成長」から「定常」へ』

【経済活動】

人間が経済活動をするのは社会的成熟を果すためです。そうであるなら、できるだけ多くの人間が経済活動に参加することの方が生産性や利益率や株価よりもはるかに重要です。(中略)僕たちが過去20年間のグローバル資本主義の推移を通じて学んだことは、グローバル資本主義は雇用機会の拡大にも、市民たちひとりひとりの市民的成熟にも何の関心もないということでした。ということは、グローバル資本主義のルールの下で行われているもろもろの営みは言葉の正確な意味での経済活動ではないということです。

内田樹『ローカリズム宣言「成長」から「定常」へ』

【経済成長の鈍化】

内戦中の国であれば、利用しようと思えば天文学的な金額を用意しなければならないようなインフラの恩恵が成熟社会では無償ないしは安価で安定的に提供されている。だから経済成長が鈍化する。

内田樹『ローカリズム宣言「成長」から「定常」へ』

【検閲耐性】

逆に、もともと部数が少なくて、それほど大量に売る必要がないビジネスモデルの出版物はなかなか意気軒昂です。「お姉さんの裸のグラビアが出てると、それだけで買ってくれる読者が一定数いるので、記事は何を書いても部数の増減とあまり関係ないんです」という驚くべき事実を告げられました。経団連企業がメインの広告主で、電通が広告出稿を仕切っているメディアでは、こんな記事は載せられないでしょう。「小商い」で回しているところの方が「検閲耐性」はあきらかに強い。

内田樹『ローカリズム宣言「成長」から「定常」へ』

【嫌韓記事】

前に嫌韓記事で売っている週刊誌の編集者に「どうしてこんなにひどい記事を書くのか」と訊いたことがあります。すると、あっさりと「別に、僕たち、こんなこと本気で書いているわけじゃないです」と答えました。編集長からそういう記事を書けと言われるので、「そういう記事」を書いて載せている。「でも、これで部数がほんとに伸びるんです」。

内田樹『ローカリズム宣言「成長」から「定常」へ』

【県議会議員】

県議会議員の活動に県民たちが無関心だったのは、県議会が自分たちの生活に直結する案件を議する場ではなく、県議たちは自分たちの生活に直結する代表者ではないという印象が深く定着していたからでしょう。

内田樹『ローカリズム宣言「成長」から「定常」へ』

【言葉の重み】

言葉の重みや深みというのは、それを書いた人が、その生き方そのものを通じて「債務保証」するものです。

内田樹『街場のメディア論』

【コミュニケーション・communication】

コミュニケーションの現場では、理解できたりできなかったり、いろんな音が聴こえてるはずなんです。それを「ノイズ」として切り捨てるか、「声」として拾い上げるかは聴き手が決めることです。
そのとき、できるだけ可聴音域を広げて、拾える言葉の数を増やしていく人がコミュニケーション能力を育てていける人だと思うんです。
もちろん拾う言葉の数が増えると、メッセージの意味は複雑になるから、それを理解するためのフレームワークは絶えずヴァージョン・アップしていかないと追いつかない。
それはすごく手間のかかる仕事ですよね。
そのとき、「もう少しで『声』として聞こえるようになるかもしれないノイズ」をあえて引き受けるか、面倒だからそんなものは切り捨てるかで、その人のそれから後のコミュニケーション能力が決定的に違ってしまうような気がする。

〜内田樹『14歳の子を持つ親たちへ』


【コンテンツの信頼性】

旧メディアの場合には、ジャーナリストの個人としての可傷性がコンテンツの信頼性を担保していたわけです。

内田樹『ローカリズム宣言「成長」から「定常」へ』

【ジキル博士とハイド氏】

ジキル博士とハイド氏の没落の理由は、知性と獣性、欲望抑制と解放をひとりの人間のうちに同居させるという困難な人間的課題を忌避して、知性と獣性に人格分裂することで内的葛藤を解決しようとしたことにある。

内田樹

【私塾と藩校】

江戸時代にも藩校という、いまでいう国立大学に相当する教育機関がありました。でも、そこからは残念ながら乱世を縦横に往来するような人材は生まれなかった。既成のキャリアパスで出世しそうな秀才しか育てられなかった。だから、私塾ができた。現代における私塾の登場は、時代が乱世に入りつつあることの証拠だと思います。

内田樹『ローカリズム宣言「成長」から「定常」へ』

【資本主義が終わる】

そもそも資本主義経済がもうすぐ終わるかも知れないなんてことは新聞やテレビのようなマスメディアは絶対報道しません(だって、それは「そのうちわが社は消滅するかも知れません」という話なんですから)。ネットは速報性・拡散性優位のメディアですので、こんな複雑な話は扱えない。ですから、「資本主義経済はもうすぐ終わるかも」というのはごく少数の学者やエコノミストの書くあまり読まれないほんをたまたま手にとる機会があった人を除くと、『なんか、ふっとそんな気がしてきた』という直感以外には根拠のないアイディアなんです。

内田樹『ローカリズム宣言「成長」から「定常」へ』

【資本主義のプレイヤーたちは】

経営方針の決定に組織全体での気長な議論とていねいな合意形成を要するような企業は、この生き馬の目を抜く資本主義では競争に勝ち残ることができません。少なくとも資本主義のプレイヤーたちはそう信じています。そう信じている人ばかりになったので、日本の社会集団はいつのまにかすべてが株式会社のようなものになりました。行政も、医療も、学校も、別に「金儲け」のために存在するのではない機関までも、すべてが株式会社をモデルにして制度を作り直すことを求められるようになった。それに誰も反論しなかった。

内田樹『ローカリズム宣言「成長」から「定常」へ』

【資本主義の理想】

「できるだけ早く製品が使用不能になること」、それだけを目的にして商品を生産する業種があります。兵器産業です。これはある意味で資本主義の理想です。末期資本主義が最終的に兵器産業にぶら下がって延命するようになったのは、その意味では自然なことなのです。 内田樹『ローカリズム宣言「成長」から「定常」へ』

内田樹『ローカリズム宣言「成長」から「定常」へ』

【衆知を集める】

困ったときには「衆知を集める」というのは集団の生存戦略の基本です。みんなで知恵を出し合って得た解であれば、それが失敗した場合も「オレは知らんよ」とか「責任者は腹を切れ」とかいうような殺伐としたことにならずに済む。そういう失敗からの復元力の強い集団を創ることが「衆知を集める」というふるまいの遂行的な意義なんです。

内田樹『ローカリズム宣言「成長」から「定常」へ』

【主人公】

すべての民話は「家族の誰かがいなくなる」(悪魔にさらわれる、壁の向こうに消えてしまう、井戸に落ちるなどなど)から始まります。それに続くのは「それを見つけ出すことを残った家族たちは願う」です。王女さまが怪物に拉致されてしまった。王様が悲嘆にくれている、というような状況です。その後にはじめて「主人公」が登場します。「あなたが失ったものを私が見つけ出します」と名乗るもの、それが主人公です。

〜内田樹『困難な成熟』

【食文化と発酵食品】

人類の食文化というのは二種類の工夫から成り立っています。一つは不可食物の可食化です。「食えないもの」を「食えるもの」にする。そのために先人たちがどれほどの努力をしてきたことでしょう。(中略)もう一つは、他の集団と主食を「ずらす」ことです。(中略)食習慣の「ずれ」があれば、同じ食物を奪い合うということは起こらない。(中略)それだけではありません。どの集団も主食を美味しく食べるために、それに「調味料」をぶっかけますが、これはだいたい発酵食品です。(中略)これも食文化のすばらしい達成の一つです。隣の人たちからみると「腐ったもの」を食べているようにしか見えないようにする。「自分たちの集団外の人は、それを見ただけでげろを吐きそうになるもの」を主食にするというのも飢餓を回避するきわめて効果的な方法です。

内田樹『ローカリズム宣言「成長」から「定常」へ』

【シンガポール】

シンガポールが経済成長を国是に掲げざるを得ないのは、国民資源がほとんどゼロに等しいからです。飲み水から食糧からエネルギーから、集団が生きてゆくために必要なものはいずれも金で買うしかない。カネの流れが止まった瞬間に、文字通り、国民は飲むものも食べるものもなくなるのです。だから、経済成長が最優先する。それを阻害するなら、民主政も立憲主義も言論の自由も、すべて否定する。これはたしかにシンガポールについては十分合理的な判断です。

内田樹『ローカリズム宣言「成長」から「定常」へ』

【新卒一括採用】

今の若者たちは「新卒一括採用」というルールに縛られていて、そこから脱落したら「人生おしまい」というような恐怖を植え付けられています。でも、ほんとうはそんなことないんです。キャリアへの道は無数に開かれている。それを限定して見せているのは企業の人事と就職情報産業の「仕掛け」です。わずかな求人のところに求職者が殺到すれば、それだけ「能力の高い若者を低賃金で雇える」からです。

~内田樹『困難な成熟』

【新聞】

新聞の存否にかかわる問題について「そんなことは考えたくない」から思考停止する。そんな批評性のない新聞メディアに未来があると僕は思われません。

内田樹『ローカリズム宣言「成長」から「定常」へ』

【ストレートな思い】

「他人に自分の欲望の尻尾をつかまえられること」を病的に恐れている。それがいまの時代の一つの徴候なのだと思います。自分のストレートな思いを語ることは「恥ずかしい」ことであり、他人につけこまれる隙をつくることだと思っているからです。

内田樹『ローカリズム宣言「成長」から「定常」へ』

【成長経済】

成長経済では、資本家たちは自分たちの手で市場に商品を投入しておきながら、それができるだけ速やかに痛み、飽きられ、使用不能になることを求めなければいけない。

内田樹『ローカリズム宣言「成長」から「定常」へ』

【戦争ができる国】

「戦争ができる国」と「戦争ができない国」のどちらが戦乱に巻き込まれるリスクが多いかは足し算ができれば小学生でもわかる。「戦争ができない国」が戦争に巻き込まれるのは「外国からの侵略」の場合だけだが、「戦争ができる国」はそれに「外国への侵略」が戦争機会として加算される。

【双方向性】

相手が黙って話を聴いているだけ、という状況でも「双方向性」というのは担保されると僕は思っています。だって、こちらの話が「自分たちを聴き手に想定していない」ということに気付いた瞬間に、学生たちは寝ちゃいますから。

~内田樹『街場のメディア論』


【代案を出せ】

そのつど「じゃあ、代案を出せ」と言われても、困る。こちらは起案してくれる官僚も、諮問すべき有識者会議も、根回ししてくれる国会議員も持たない一市民ですから。政府案と同じ完成度の代案をここで出せと言われたって、出せるはずがない。だったら黙ってろというのは、要するに「お上のいうことに逆らうな」という以外の意味を持たない。

内田樹『ローカリズム宣言「成長」から「定常」へ』

【脱資本主義的な経済】

小さいスケールの地域共同体を核にしたもの、と僕は予測しています。今手元にある資源を大切に守り、次の世代に手渡してゆくことだけを目標に据えたロングスパンの、定常経済モデルです。

内田樹『ローカリズム宣言「成長」から「定常」へ』

【地方移住】

現代日本の地方移住の運動を僕は「資本主義システムの顔を見てしまった人たち」の逃れの旅のようなものと理解しています。彼らの旅が無事なものでありますように。彼らがいつか約束の土地に辿り着けますように。God speed you.

内田樹『ローカリズム宣言「成長」から「定常」へ』

【地方創生】

「地方創生」というのは、地方における一極集中のことです。列島規模で行われている「首都への一極集中」を都道府県別に小規模に再演するものです。だから、とりあえずは地方都市への人口の集中、インフラの集中、資本の集中を支持している。山間部の人たちはまず地方都市の駅前に集まれ。駅前のマンションで暮らせ。そこなら医療機関もあるし、高齢者のための介護サービスも充実している。でも、これは「地方創生」という名の里山の放棄と行政コストの削減に過ぎません。

内田樹『ローカリズム宣言「成長」から「定常」へ』

【中年のオヤジ】

世に言う「中年のオヤジ」というのは、この「耐えること」が劇的に人格化されたものだ、といってよいでしょう。人生のある段階で(たぶん、かなり早い時期に)、不愉快な人間関係に耐えている自分を「許す」か、あるいは「誇る」か、とにかく「認めて」しまったのです。そして、その後、「不快に耐えている」ということを自分の人間的な器量の大きさを示す指標であるとか、人間的成熟のあかしであるとか、そういうふうに合理化してしまったのです。

~内田樹『疲れすぎて眠れぬ夜のために』


【定常】

江戸時代の統治原理は「定常」です。「成長」ではありません。子の代も孫の代も、百年後、二百年後を生きる子孫までも、今の自分と同じ土地で、同じような生産様式で、同じような生活文化を営んでいることを前提にした社会を設計したのです。それが森を守った。

内田樹『ローカリズム宣言「成長」から「定常」へ』

【定常経済】

定常経済というのは、手持ちの資源をできるだけ高い質において維持するということです。一言で言えば、資源を「軽々に換金しない」ということです。

内田樹『ローカリズム宣言「成長」から「定常」へ』

【道州制】

道州制のような、数値に基づいて「線引き」が行われて統廃合された自治体は結局うまく機能しません。身体感覚に基づく「同郷」感覚が生まれないからです。

内田樹『ローカリズム宣言「成長」から「定常」へ』

【独裁体制の成立】

立法府がその威信を失い、国民から「機能してない」とみなされた時点で、自動的に独裁体制は成立します。
〜内田樹『ローカリズム宣言「成長」から「定常」へ』

内田樹『ローカリズム宣言「成長」から「定常」へ』

【途絶えさせてはいけないという動機】

後継者不足の農業や漁業や林業も、そこに伝わる伝統的な技能や文化を途絶えさせてはならないという動機で入ってくる若者たちが出てくれば、きっと継承されるだろうと思います。時間はかかりますが、そういう行程が本物の「地方再生」につながると思います

内田樹『ローカリズム宣言「成長」から「定常」へ』

【都道府県民】

150年かけても、われわれは都道府県民というアイデンティティーの形成に成功しなかった。

内田樹『ローカリズム宣言「成長」から「定常」へ』

【怒鳴りつける】

怒鳴りつけられたり、恫喝を加えられたりされると、知性の活動が好調になるという人間は存在しない。だから、他人を怒鳴りつける人間は、目の前にいる人間の心身のパフォーマンスを向上させることを願っていない。彼はむしろ相手の状況認識や対応能力を低下させることをめざしている。

内田樹

【内戦国の経済成長】

なぜ内戦やテロで苦しんでいる国が経済成長するのか。考えればわかります。戦争は社会の基幹的なインフラを破壊するからです。

内田樹『ローカリズム宣言「成長」から「定常」へ』

【ナショナリズムの使い方】

グローバリストはナショナリズムを実に巧妙に利用しています。彼らがよく使うのは「どうすれば日本は勝てるか?」という問いですが、これは具体的には「どうすれば日本の企業が世界市場のトップシェアを取れるか?」ということを意味しています。国際競争力のある日本企業が勝ち残れるために、国民はどれほど自分の資源を供出できるか、どこまで犠牲を払う覚悟があるか、それを問い詰めてくる。
これが「ナショナリズムの使い方」です。「それでは日本が勝てない」という言い分で、国民的資源を私企業の収益に付け替えているのです。
でも、ここにトリックがあります。ここで言われる「日本企業」は実は本質的に無国籍だということです。製造コストが上がるという理由だけで日本を出て行くと公言する企業を「日本企業」と呼ぶことに僕は同意できません。

~内田樹


【日本の山河】

日本には、豊かな山河という世界でも例外的なアドバンテージがあります。多様な植生に恵まれ、様々な動物種が繁殖し、きれいな水があふれるように流れ、強い偏西風がよどんだ大気を吹き払ってくれる。日本のこの自然環境は「プライスレス」です。国民的な「ストック」は潤沢にある。けれども、経済成長論者が日本の「ストック」のありがたさに感謝する言葉というものを僕は聞いた覚えがありません。彼らはこれの価値をあっさりゼロ査定した上で、「フローがない。カネがない。このままでは日本は終わりだ」と騒ぎ立てる。日本がほんとうは豊かな国であること、この資源を国民全員がフェアにわかち合い、使い延ばしてゆけば、まだまだ百年二百年は気分よく暮らせるという事実を彼らはひた隠しにします。

内田樹『ローカリズム宣言「成長」から「定常」へ』

【日本の教育格差】

現在日本の学校教育で起きているもっとも深刻な格差は、進学校と底辺校の間の「目に見える格差」ではなく「日本から出られる子ども」と「出られない子ども」の間の格差です。日本から出られない子どもたちは、その事実によってすでにキャリアの出発点で「二級市民」に格付けされている。

内田樹『ローカリズム宣言「成長」から「定常」へ』

【日本の組織】

日本の組織は「上下関係の確認」「誰が発令者かの確認」「誰にマウントしても罰せられないかの確認」のために資源の半分くらい消費しているように見えます。
〜内田樹 

2023/4/26

【ネット上で最も致命的な攻撃】

ネット上で最も致命的な攻撃は、匿名の発信者の身元を明らかにすること(晒し)だということになります。彼がそれまで享受してきた匿名での発信特権を剥ぎ取ること。

内田樹『ローカリズム宣言「成長」から「定常」へ』

【ネトウヨ】

「ネトウヨ」と言いますけれど、別にこの人たちは「右翼」じゃないですよ。あれは何と言うか、大日本帝国に漠然とした郷愁を感じているレイシストだと思います。

内田樹

【農業を考える】

農作物というのは、その供給量が安定している間は商品として仮象します。(中略)けれども何らかの理由で供給量があるレベルを下回ると、とたんに商品性格を失う。「それがないと飢え死にする」ものに変じる。人々は市場のルールを無視して、それを奪い合うようになる。(中略)だから農業を考えるときには「飢餓ベース」で制度を考えなければならない。いかにして人々が飢えないようにするか。それが農政の基本中の基本です。それ以外のことはすべて副次的なことに過ぎません。(中略)人類の文明の相当部分はこの目的のために割かれてきました。そもそも食文化というのは「飢餓を避けるための工夫」以外の何ものでもありません。

内田樹『ローカリズム宣言「成長」から「定常」へ』

【農民工のリアリズム】

悲しんだり、怒ったりすることで飯が食えるなら、そういう感情を持ってもいいが、そんな感情を抱いても腹の足しにはならないなら、感情の出費を節約する。そういうのがあるいは農民工のリアリズムなのかも知れない。

内田樹の研究室

【独り】

「人間はひとりでは生きられない」ということはよく言われることですが、「ひとりでは生きられない」という事実をむしろ積極的に「能力」としてとらえなおすことだってできるのではないかと私は思います。
「ひとりでは生きられない」からこそ私たちはコミュニケーション能力の開発に、他者と共生する仕方の工夫に惜しみなく資源を注ぎ込むのです。

~内田樹『ひとりでは生きられないのも芸のうち』

【人を見る目】

「人を見る目」というのは、その人についての十分なデータがない時点で、どれくらい信頼できるのか、どの程度の能力があるのか、どういう仕事を任せればいいのかが「わかる」力のことです。自分で身銭を切って、煮え湯を飲まされ身につけるしかない。

内田樹『ローカリズム宣言「成長」から「定常」へ』

【不愉快な人間関係】

「不愉快な人間関係に耐える」というのは、人間が受ける精神的ダメージの中でももっとも破壊的なものの一つです。できるだけすみやかにそのような関係から逃れることが必須です。逃げ場を見つけられず、そのまま不愉快な人間関係の中にとどまっているうちに、やがて「耐える」ということが自己目的化し、「耐える」ことのうちに自己の存在証明が凝縮されてしまったような人間が出来上がります。

~内田樹『疲れすぎて眠れぬ夜のために』

【プランB】

最終的に失敗が隠せなくなった場合でも、「プランB」を立案できるだけの知性と判断力を備えた主体が集団内部にはもう存在しなくなっている。これはご覧の通り、大日本帝国の敗戦の構造そのものです。現代日本のさまざまなシステムの劣化は、どれも先の戦争の末期の戦争指導部のパターンをみごとになぞっている。「焼きが回った時」に日本人がどういう行動をとるようになるのか、これはあるいはわれわれのDNAに刷り込まれた「必殺の失敗パターン」なのかも知れません。

内田樹『ローカリズム宣言「成長」から「定常」へ』

【文章のほとんど】

僕たちが今読まされている、聴かされている文章のほとんどは、血の通った個人ではなく、定型が語っている、定型が書いている。

~内田樹『街場のメディア論』


【マスメディアの思い上がり】

(マスメディアが力を失った理由は)ジャーナリストたちが「自分がほんとうに言いたいこと」ではなく「こんなことを書いたら/放送したら、読者/視聴者が喜ぶだろう」と思うことを報道してきたことにあると僕は思います。「こんなことで喜ぶだろう」というのはサービス精神ではありません。それはメッセージの受信者の知性を見下すことです。「あいつら」は「こういうもの」を与えておけば喜ぶんだよ(バカだから)というのはずいぶんな思い上がりです。

内田樹『ローカリズム宣言「成長」から「定常」へ』

【メディアリテラシー】

メディア・リテラシーを構成するのは知識量ではありません。僕たちにできるのは「それを伝えている人間の信頼性を考量すること」だけです。これはコミュニケーションの場数をそれなりに積んでいる人間にはできないことではありません。

内田樹『ローカリズム宣言「成長」から「定常」へ』

【メディアの大きさ】

メディアはサイズが大きければ大きいほど有利だと思われてきました。でも、いまは違う。大きければ大きいほどむしろ「組織温存コスト」が負担になる。「自分が書きたいことを書くと読んでくれない読者」を当てにしないと回らないビジネスというのは制度設計そのものが間違っていると僕は思います。

内田樹『ローカリズム宣言「成長」から「定常」へ』

【メディアの劣化】

メディアの劣化の一因は「貧すれば鈍す」というところにあります。何をやっても売れないので、だんだんあがきがつかなくなって、「鬼面人を威す」的な記事で注目を集めようとし始めた。言い訳だけはするんです。「やっぱり出版もビジネスですから」と「上の指示には逆らえません」が二大言い訳です。

内田樹『ローカリズム宣言「成長」から「定常」へ』

【最も危険な誤解】

「人間の心身の力には限界がない」というのは現代人の陥りがちな誤解であるということを先ほど申し上げましたが、そのような誤解のうちもっとも危険なものの一つは「不愉快な人間関係に耐える能力」を人間的能力の一つだと思い込むことです。

~内田樹『疲れすぎて眠れぬ夜のために』

【最もたいせつな教訓】

ほんとうはたっぷり説教をしたかったのでしょうけれど、それを自制して、「そうか」だけで終えてくれた。僕はその父親の雅量には後になってずいぶん感謝しました。いろいろ言いたいことはあっただろうけれど、そういうときにかさにかかって子どもに恥をかかせるようなことはしなかった。僕はそのときに家出に失敗したことからよりも、人生最初の「大勝負」に失敗したぼんくら息子を両親が黙って受け入れてくれたことから、人生についてより多くを学んだように思います。
たとえ家族であっても、どれほど親しい間であっても、相手にどれほど非があっても、それでも「屈辱を与える」ことはしてはいけない。これは父母から学んだ最もたいせつな教訓だったと思います。

〜内田樹『そのうちなんとかなるだろう』

【与党議員】

与党議員たちにとって、次の選挙で公認を得るためには、「できるだけ国会で審議されないように努力する」ことが最優先の任務になる。国会の存在意義を空洞化することに功績の会ったものから順に公認を受けて、国会議員になる。

内田樹『ローカリズム宣言「成長」から「定常」へ』

【与党議員】

自分たちが「茶番の登場人物」であることを公言し、有権者たちに「国会はもう機能していない」という絶望的な評価を与えることによって、彼らは国会の次の議席を保証される。立法府の威信の低下とその形骸化に効果的に寄与したものが優先的に立法府に議席を得る。そういう悪魔的な仕組みがもう久しい以前から作動しています。

内田樹『ローカリズム宣言「成長」から「定常」へ』

【冷笑的な気分】

いまの日本社会に横溢する虚無的で、冷笑的な気分のいくぶんかはマスメディアから発信する人たちが(たぶん自分自身でもそれと気づかずに)分泌しているもののように僕には思われます。 内田樹『ローカリズム宣言「成長」から「定常」へ』

内田樹『ローカリズム宣言「成長」から「定常」へ』

『ローカリズム宣言「成長」から「定常」へ』

漆原友紀

【境界線】

ものごとの境界線上にあるものって・・・いいですよね。おかずとごはんをまぜると異様においしいし。里山や海辺は表情豊かだし、昼と夜、夜と朝の境目は美しい。蟲の居所も、境界線上です。まぜごはんや海辺のような・・・そんな話を描きたいです。

『蟲師』

大江千里

【秋にはあらねど】

月みれば ちぢにものこそ 悲しけれ
わが身一つの 秋にはあらねど
月を見ると、あれこれきりもなく物事が悲しく思われる。私一人だけに訪れた秋ではないのだけれど。

大江千里(23番) 『古今集』秋上・193

岡本太郎

【淋しい・寂しい】

寂しいということは、生きがいを見つける素晴らしいきっかけであり、 エネルギーだと思えば、勇気がわいてくるだろう。

尾崎世界観

【書いた分だけ】

真っ白な気持ちは書いた分だけ黒くなる
白紙の海泳ぐ黒い線にいつか 真っ赤な花が咲くその日まで

~尾崎世界観『破花』

小田嶋隆

【SNS】


ツイッターのようなSNSでは、怒っている人間や憎しみを抱いているアカウントの方が多弁になりがちで、共感を抱いている人々はより沈着な反応を示すものだからだ。
悲しみが人々をフリーズさせ、彼らから言葉を奪うのに対して、怒りはそれを抱いている人間を饒舌にさせ、行動を促す。
であるからSNSには、悲しみや落胆よりは、怒りと憎しみがより目立つカタチで集積することになる。
~小田嶋隆『ア・ピース・オブ・警句』

2019/5/31

【くよくよ】

くよくよ考えるな ぐだぐだ発言しごりごり行動しろ

〜小田嶋隆

【経団連の会長】

私は、経団連の会長のような立場の人間は、秋刀魚の裏表も分からない状態で執務させておくのが本人のためにも無難なのだと思っている。なんというのか、「象徴」的な地位の人間を、神輿の上に座らせて無力化することは、この国の組織人たちが長い歴史の中で学び得た知恵なのであって、最高権力者から実務的な権力を引き剥がして、単なる「権威」として遇するのは、組織防衛上の安全策なのである。むしろ、ああいう役柄の人間が、暴れん坊将軍よろしく市井の悪逆非道を手ずから正しにかかったりしたら、現場は大混乱に陥るだろう。

小田嶋隆

【五輪反対】

アスリートが見るかもしれないからという理由で、五輪開催反対の意見の表明をためらうのはウジ虫野郎です。ついでのついでに言えば、五輪に反対する市民の意見に気持ちをくじかれるようなアスリートがいるのだとしたら、そんな惰弱な人間はさっさと就活でも始めるべきです。

小田嶋隆

【投票するようになったのは】

若い頃、自分が投票に行かなかった理由は、信頼できる政治家や支持できる政党を見つけられなかったからなのだが、20年ほど前から投票するようになったのは、「きらいな候補者を落選させ、不快な政党にダメージを与えるためには、当面、誰に投票すれば良いのか」という視点を得たからだと思っている。

小田嶋隆

【日本のエンタメ市場】

いったいに、現代の商業メディアは、作品を制作している人間を遇するに当たって、クリエーター本人の「キャラクター」を消費する以外の術をあまりにも知らない。このことを、私は大変に残念な傾向だと考えている。(中略)1980年代以降に世に出たクリエーターは、おしなべて自己アピールの上手な人が多い。
というよりも、時代が進めば進むほど、作品が作品として評価されることよりも、作者の知名度が作品のオーラを高めるカタチで売り上げを伸ばしていくケースが目立つようになってきている。もう少し露骨な言い方をすれば、この国のエンターテインメント市場は、作品を売ることよりも、自分の名前を売ることに熱心な表現者が勝利をおさめる場所になってしまったということだ。

小田嶋隆「ア・ピース・オブ・警句」


【ポピュリズム論客】

「流されるような家に住む方が悪い」式の残酷な断言が人気を集めることを、政治学では「ポピュリズム」と呼ぶ。ポピュリズム論客の弁舌は、残酷さに徹するほど、切れ味を増す。だがダマされてはいけない。彼らは斬って捨てる対象を、遠い場所にいる他人のように思わせるのが得意なのだ。

小田嶋隆

【ヤクザな】

「ヤクザな生き方」「ヤクザな稼業」という言い方に、肯定的なニュアンス(自由な生き方、男っぽい気性、スジを通す傾向、みたいな)をこめて使う用語法がそもそも大嫌いです。私は「ヤクザな」という修飾語を、「卑怯な」「やり口がえげつない」という意味で使います。

小田嶋隆

【礼儀にうるさい】

いわゆる「礼儀にうるさい人」は、もっぱら下位者に対して上位者への恭順を求める。ところが、「礼儀」の逸脱は、事実上、上位者が下位者にパワハラを発動するケースにほぼ限られている。つまり、「礼儀にうるさい人間」は、そのまま「パワハラ体質の上位者」を意味すると考えて差し支えない。

小田嶋隆

【one team】

「one team」は、ラグビーとセットで使われている限り有害な言葉ではないのだが、流行語大賞の時点で、「悪用」される条件が整っていた。年が明けてみると、案の定、ラグビーとは無縁な場所で、大衆動員をたくらむ人間たちが、人々に忍耐や犠牲を強いる際のキーワードとして使いはじめている。(中略)
メンバーが多様性を欠いていて、役割分担もはっきりしていないそこいらへんの日本の組織が、「ONE TEAM」なんていうスローガンのもとに一丸となったら、またたく間に金太郎飴式の画一的かつ斉一的な上意下達のピラミッド抑圧ロボット軍団が形成されるに決まっている。

小田嶋隆

【祈り】

心を込めずに言葉を探すより、言葉を探さずに祈りに心を込める方がよい。

ガンジー

岸田繁

【魂の行方】

輝かしい未来は胸の中で咲く花のよう 
そこで揺れたものは魂のゆくえと呼ばないか

くるり『魂のゆくえ』

カミュ

【語彙の問題じゃないんです】

リシャールはためらい、じっとリウーの顔を見た――
「ほんとうのところ、君の考えをいってくれたまえ。君はこれがペストだと、はっきり確信をもってるんですか」
「そいつは問題の設定が間違ってますよ。これは語彙の問題じゃないんです。時間の問題です」
「君の考えは」と、知事がいった。「つまり、たといこれがペストでなくても、ペストの際に指定される予防措置をやはり適用すべきだ、というわけですね」
「どうしても私の考えを、とおっしゃるんでしたら、いかにもそれが私の考えです」
医者たちは相談し合い、リシャールが最後にこういった――
「つまりわれわれは、この病があたかもペストであるかのごとくふるまうという責任を負わねばならぬわけです」
この言いまわしは熱烈な賛意をもって迎えられた。
「これは君の意見でもあるわけですね、リウー君」と、リシャールは尋ねた。
「言いまわしは、私にはどうでもいいんです」と、リウーはいった。「ただ、これだけはいっておきたいですね――われわれはあたかも市民の半数が死滅させられる危険がないかのごとくふるまうべきではない、と。なぜなら、その場合には市民は実際そうなってしまうから」

~カミュ『ペスト』

キム・スコット

【気遣い】

他人への気遣いとは誕生日や家族の名前を暗記するではない。私達それぞれが大切にしている事、つまり毎朝仕事に行く動機や楽しみを語り合うことである。

〜キム・スコット『Radical Candor』

kenjpken

【栞】

私にとって、栞(ブックマーク)とは、小さな美術館であって、読書の間に立ち寄るものである。そういうものになりつつある。栞を集めている。
好きな画家や、気にいった絵画やデザインの栞をその時の気分に合わせて選ぶだけ。本読む中で、時々、栞の絵を観るというだけ。大体は読み終わるまで同じ栞一、二枚(本文と注)なんだけど、ずっと付き添われて読み終えます。たまに絵の解釈を考えることもある。なんか気分転換にになる。

レコード針の金剛石が空気をふるわすように 僕の指と栞が本のページを辿って世界を揺さぶりますように

斉藤和義

【運命線】

キミがぼくのだいたいを知って 魔法は少しずつ現実へ それでもふたり手を握って 重ね合わせる運命線

~斉藤和義『いたいけな秋』

斎藤幸平

【アンチテーゼとしての脱成長】

資本主義は経済成長が人々の繁栄をもたらすとして、私たちの社会はGDPの増大を目指してきた。だが、万人にとっての繁栄はいまだ訪れていない。
だからアンチテーゼとしての脱成長は、GDPに必ずしも反映されない、人々の繁栄や生活の質に重きを置く。量(成長)から質(発展)への転換だ。プラネタリー・バウンダリーに注意を払いつつ、経済格差の収縮、社会保障の拡充、余暇の増大を重視する経済モデルに転換しようという一大計画なのである。135p

斎藤幸平『人新世の「資本論」』(2020)

【エッセンシャル・ワーカーの抵抗】

現在、ケア労働者に代表されるエッセンシャル・ワーカーは、役に立つ、やりがいのある労働をしているという理由で、低賃金・長時間労働を強いられている。まさに、やりがいの搾取だ。そのうえ、余計な管理や規則の手間ばかりを増やすだけで、実際には役立たずの管理者たちに虐げられている。
だが、ついに、エッセンシャル・ワーカーたちは、抵抗のために立ち上がりつつある。彼らも、これ以上の労働条件悪化には耐えられない。そしてなにより、コストカットのせいで自分が提供するサービスの質が低下することに我慢できなくなっているのである。317p

斎藤幸平『人新世の「資本論」』(2020)

【外部化社会】

ミュンヘン大学の社会学者シュテファン・レーセニッヒは、このようにして、代償を遠くに転嫁して、不可視化してしまうことが、先進国社会の「豊かさ」には不可欠だと指摘する。これを「外部化社会」と彼は呼び、批判するのだ。30p

斎藤幸平『人新世の「資本論」』(2020)

【勤勉な労働者と長時間労働】

労働者が勤勉なのは、資本にとっては好都合だ。他方で、長時間労働は、本来必要ではないものの過剰生産につながり、その分だけ環境を破壊していく。長時間労働は家事や修理のための余裕を奪い、生活はますます商品に依存するようになっていく。255p

斎藤幸平『人新世の「資本論」』(2020)

【グレタの怒り】

グレタがあれほど激しく批判するのは、目先のことだけを考えて、貴重なチャンスを無駄にした大人たちの無責任さに対する怒りからである。そして、それでも依然として、経済成長を優先しようとする政治家やエリートの態度が、彼女の怒りの火に油を注ぐのだ。「あなたたちが科学に耳を傾けないのは、これまでの暮らし方を続けられる解決策しか興味がないからです。そんな答えはもうありません。あなたたち大人が間に合うときに行動しなかったからです」40p

斎藤幸平『人新世の「資本論」』(2020)

【グリーン・ニューディール】

逆説的に聞こえるかもしれないが、グリーン・ニューディールが本当に目指すべきは、破局につながる経済成長ではなく、経済のスケールダウンとスローダウンなのである。
そもそも、気候変動対策は、経済成長にとっての手段ではない。気候変動を止めることが目的そのものなはずだ。その場合、今以上に経済成長を目指さない方が、目的達成の可能性がそれだけ高まる。リチウムやコバルトの採掘がチリやコンゴで引き起こす問題も緩和することができる(もちろん、それでも環境破壊は起きるだろう)。
逆に、無限の経済成長を目指すグリーン・ニューディールに対しては、こう言うしかない。「絶滅への道は、善意で敷き詰められている」、と。96p

斎藤幸平『人新世の「資本論」』(2020)

【経済成長のための「構造改革」】

新たな潤沢さを求めて、現実に目を向けてみよう。すると気がつくはずだ。世の中は、経済成長のための「構造改革」が繰り返されることによって、むしろ、ますます経済格差、貧困や緊縮が溢れるようになっている、と。実際、世界で最も裕福な資本家26人は、貧困層38億人(世界人口の約半分)の総資産と同額の富を独占している。
これは偶然だろうか。いや、こう考えるべきではないか。資本主義こそが希少性を生み出すシステムだという風に。私たちは、普通、資本主義が豊かさや潤沢さをもたらしてくれると考えているが、本当は、逆なのではないか。231p

斎藤幸平『人新世の「資本論」』(2020)

【減速主義】

ポイントは経済成長が減速する分だけ、脱成長コミュニズムは、持続可能な経済への移行を促進するということだ。しかも、減速は、加速しかできない資本主義にとっての天敵である。無限に利潤を追求し続ける資本主義では、自然の循環の速度に合わせた生産は不可能なのだ。だから「加速主義」ではなく、「減速主義」こそが革命的なのである。300p

斎藤幸平『人新世の「資本論」』(2020)

【「公共の果樹」】

例えば、2019年にデンマークのコペンハーゲンは、誰もが無料で食べてよい、「公共の果樹」を市内に植えることを決めた。今後市全体が都市果樹園(エディブル・シティ)になるのだ。これは、現代版の入会地であり、「コモンズの復権」といっていい。資本主義の論理とは相容れない、ラディカルな潤沢さがここにはある。
街中での野菜・果実栽培は、飢えた人に食料を供給するだけでなく、住民の農業や自然環境への関心を高める。295p

斎藤幸平『人新世の「資本論」』(2020)


【「公富」と「私財」】

要するに、「公富」と「私財」の違いは、「希少性」の有無である。
「公富」は万人にとっての共有財なので、希少性とは無縁である。だが、「私財」の増大は希少性の増大なしには不可能である。ということは、多くの人々が必要としている「公富」を解体し、意図的に希少にすることで、「私財」は増えていく。つまり、希少性の増大が、「私財」を増やす。
他人を犠牲にして私腹を肥やすような行為が正当化されるとは、にわかに考え難いが、それこそまさに、ローダデールの目前で行われていた行為だったのだ。いや、これこそが資本主義の本質だ。そして、この問題は現在まで続いている。245p

斎藤幸平『人新世の「資本論」』(2020)

【<コモン>としての電力】

例えば、電力は<コモン>であるべきである。なぜなら、現代人は電気なしでは生きていくことができないからだ。水と同じように、電力は「人権」として保障されなくてはならないのであり、市場に任せてしまうわけにはいかない。市場は、貨幣を持たない人に、電気の利用権を与えないからである。
ただ、だからといって、国有化すればいいわけではない。なぜ国有でダメかといえば、電力を国有にしたところで、原子力発電のような閉鎖的技術が導入されてしまっては、安全性にも問題が残るからである。また、火力発電も、しばしば貧困層やマイノリティが住む地域へと押しつけられ、大気汚染が近隣住民の健康を脅かしてきた。
それに対して、<コモン>は、電力の管理を市民が取り戻すことを目指す。市民が参加しやすく、持続可能なエネルギーの管理方法を生み出す実践が<コモン>なのである。その一例が市民電力やエネルギー協同組合による再生可能エネルギーの普及である。これを「民営化」をもじって、市民の手による「<市民>営化」と呼ぼう。259p

斎藤幸平『人新世の「資本論」』(2020)

【<コモン>と社会共通資本】

「社会的共通資本」と比較すると、<コモン>は専門家任せではなく、市民が民主的・水平的に共同管理に参加することを重視する。そして、最終的には、この<コモン>の領域をどんどん拡張していくことで、資本主義の超克を目指すという決定的な違いがある。142p

斎藤幸平『人新世の「資本論」』(2020)

【参加型社会主義】

気候変動問題を前にして、国家が課す炭素税の限界も指摘している。市場原理主義でもダメだが、国家の租税だけでもダメだというわけだ。
気候変動との対峙を通じて、ピケティの関心は生産の現場へと向かう。彼が必須だと考えるのは、生産における「参加型社会主義」の実現である。それを実現するために、労働者による企業の「社会的所有」と経営参加を求めるようになっているのだ。289p

斎藤幸平『人新世の「資本論」』(2020)

【自治管理と相互扶助】

そして、こう言わねばらない。「コミュニズムか、野蛮か」、選択肢は二つで単純だ!もちろん、ここで選ぶべきは、「コミュニズム」である。だからこそ、国家や専門家に依存したくなる気持ちをぐっと抑え、自治管理や相互扶助の道を模索すべきなのである。287p

斎藤幸平『人新世の「資本論」』(2020)

【「資本の専制」】

大企業が刻一刻と変わる状況に合わせて、素早い意思決定を行うことができるのは、経営陣の意向に基づいて、非民主的な決定が行われているからである。マルクスはそれを「資本の専制」と呼んでいた。
それに対して、マルクスのアソシエーションは生産過程における民主主義を重視するがゆえに、経済活動を減速させる。だが、ソ連はこれを受け入れられず、官僚主導の独裁国家になってしまった。311p

斎藤幸平『人新世の「資本論」』(2020)

【『資本論』に秘められた構想】

エコロジー・共同体研究の意義をしっかりと押さえることではじめて、浮かび上がってくる『資本論』に秘められた真の構想があるのだ。そして、その真の構想こそが現代で役立つ武器になるのである。
この構想は、大きく五点にまとめられる。「使用価値経済への転換」「労働時間の短縮」「画一的な分業の廃止」「生産過程の民主化」そして「エッセンシャル・ワークの重視」である。299p

斎藤幸平『人新世の「資本論」』(2020)

【<市民>営化】

「<市民>営化」の試みは、これまでもデンマークやドイツで進められてきた。そして、近年では、日本でも非営利型の市民電力が広がりを見せている。福島原発事故後に、市民が市議会に働きかけ、私募債やグリーン債で資金を集め、、耕作放棄地に太陽光パネルを設置するなど、地産地消型の発電を行う事例が増えているのである。
エネルギーが地産地消になっていけば、電気代として支払われるお金は地元に落ちる。営利目的ではないため、収益は地域コミュニティの活性化のために使うことができる。そうすれば、市民は、自分たちの生活を改善してくれる<コモン>により関心をもち、より積極的に参加するようになる。261p

斎藤幸平『人新世の「資本論」』(2020)

【社会運動と政治の相互作用】

コミュニティや社会運動がどんどん動けば、政治家もより大きな変化に向けて動くことを恐れなくなる。バルセロナの市政やフランスの市民議会の例が象徴的である。
そうなれば、社会運動と政治の相互作用は促進されていく。そのときにこそ、ボトムアップ型の社会運動とトップダウン型の政党政治は、お互いの力を最大限に発揮できるようになるはずだ。「政治主義」とはまったく異なる民主主義の可能性が開けてくる。
ここまでくれば、無限の経済成長という虚妄とは決別し、持続可能で公正な社会に向けた跳躍がついに実現するだろう。閉ざされていた扉が開くのだ。
もちろん、この大きな跳躍の着地点は、相互扶助と自治に基づいた脱成長コミュニズムである。358p

斎藤幸平『人新世の「資本論」』(2020)

【商品としての「価値」】

土地でも水でも、本源的蓄積の前と後を比べてみればわかるように、「使用価値」(有用性)は変わらない。<コモンズ>から私的所有になって変わるのは、希少性なのだ。希少性の増大が、商品としての「価値」を増やすのである。
その結果、人々は、生活に必要な財を利用する機会を失い、困窮していく。貨幣で計測される「価値」は増えるが、人々はむしろ貧しくなる。いや、「価値」を増やすために、生活の質を意図的に犠牲にするのである。
というのも、破壊や浪費といった行為さえも、それが希少性を生む限り、資本主義にとってはチャンスになるからだ。破壊や浪費が、潤沢なものを、ますます希少にすることで、そこには、資本の価値増殖の機会が生まれるのである。251p

斎藤幸平『人新世の「資本論」』(2020)

【信頼と相互扶助】

「資本主義の超克」「民主主義の刷新」「社会の脱炭素化」という、三位一体のプロジェクトだ。経済、政治、環境のシナジー効果が増幅していくことで、社会システムの大転換を迫るのである。
そして、このプロジェクトの基礎となるのが、信頼と相互扶助である。なぜなら、信頼と相互扶助のない社会では、非民主的トップダウン型の解決策しか出てこないからだ。
ところが、新自由主義によって、相互扶助や他者への信頼が徹底的に解体された後の時代に私たちはいる。だとしたら、結局は、顔の見える関係であるコミュニティや地方自治体をベースにして信頼関係を回復していくしか道はない。357p

斎藤幸平『人新世の「資本論」』(2020)

【スポーツビジネス】

オリンピックにしても、大阪なおみさんの件にしても、行き過ぎたスポーツ・ビジネスが選手の健康や社会の繁栄を犠牲にするようになっている。スポーツは本来もっと誰にでも開かれ、健康に利するもののはず。広告や大会数の制限などスポーツにも「脱成長」が必要です。

斎藤幸平

【生産過程の民主化】

晩期マルクスの視点から大事なのは、生産過程の民主化も、経済の減速を伴うということだ。生産過程の民主化とは、「アソシエーション」による生産手段の共同管理である。つまり、なにを、どれだけ、どうやって生産するかについて、民主的に意思決定を行うことを目指す。当然、意見が違うこともあるだろう。強制的な力のない状態での意見調整には時間がかかる。「社会的所有」がもたらす決定的な変化は、意思決定の減速なのである。311p

斎藤幸平『人新世の「資本論」』(2020)


【政治と多様性】

政治的発言をするのが、なぜこの国ではこんなにハードルが高いかと言うのも、「多様性」=「中立であること」みたいな規範というか、誤解のせいなのか。

斎藤幸平




【石炭は「閉鎖的技術」】

当時の企業が化石燃料を採用するようになったのは、単なるエネルギー源としてではなく、「化石資本」としてなのだ。
石炭や石油は河川の水と異なり輸送可能で、なにより、排他的独占が可能なエネルギー源であった。この「自然的」属性が、資本にとっては有利な「社会的」意義をもつようになったというのである。
水車から蒸気機関へと移行すれば、工場を河川沿いから都市部に移すことができる。河川沿いの地域では労働力が希少であるがゆえに、資本に対して労働者が優位に立っていた。けれども、仕事を渇望する労働者たちが大量にいる都市部に工場を移せば、今度は資本が優位に立つことができ、問題は解決する。
資本は、希少なエネルギー源を都市において完全に独占し、それを基盤に生産を組織化した。これによって、資本と労働者の力関係は、一気に逆転したのだ。石炭は本源的な「閉鎖的技術」だったのである。242p

斎藤幸平『人新世の「資本論」』(2020)

【石油産業の悪あがき】

仮に、再生可能エネルギーが急速に発達したとして、石油産業は、石油の価格競争力がなくなりそうになったときに、自動的に廃業するだろうか。いや、もちろん、そんなことはしない。将来的な石油の価格崩壊が確実視されればされるほど、売り物にならなくなる前に、化石燃料を掘りつくそうと試み、採掘のペースは上がってしまうのだ。最後の悪あがきである。
これは、気候変動のような不可逆な問題にとっては、危険で致命的な過ちとなる。だからこそ、温室効果ガスの削減のためには、市場外の強い強制力が必要なのだ。80p

斎藤幸平『人新世の「資本論」』(2020)

【「先住民の教えから学ぼう」】

ジャーナリストのナオミ・クラインも、いまや資本主義の超克をはっきりと掲げるようになっている。
なかでも注目したいのは、そのときに発せられた、彼女の次のような言葉だ。「将来世代への義務やあらゆる生命のつながり合いについての先住民の教えから学ぼうとする謙虚な姿勢を伴っていなくてはならない」というのである。そして、彼女も脱成長の立場を受け入れている。
今、気候危機をきっかけとして、ヨーロッパ中心主義を改め、グローバル・サウスから学ぼうとする新しい運動が出てきている。そう、まさに晩年のマルクスが願っていたように。
そして、このコミュニズムの萌芽は、気候変動の危機の深まりとともに、より野心的になり、21世紀の環境革命として花開く可能性を秘めている。323p

斎藤幸平『人新世の「資本論」』(2020)

【相互扶助のネットワーク】

ワーカーズ・コープでもいい、学校ストライキでもいい、有機農業でもいい。地方自治体の議員を目指すのだっていい。環境NGOで活動するのも大切だ。仲間と市民電力を始めてもいい。もちろん、今所属している企業に厳しい環境対策を求めるのも、大きな一歩となる。労働時間の短縮や生産の民主化を実現するするなら、労働組合しかない。
そのうえで、気候非常事態宣言に向けて署名活動もすべきだし、富裕層への負担を求める運動を展開していく必要もある。そうやって、相互扶助のネットワークを発展させ、強靭なものに鍛え上げていこう。363p

斎藤幸平『人新世の「資本論」』(2020)

【第三の道としての<コモン>】

<コモン>は、アメリカ型新自由主義とソ連型国有化の両方に対峙する「第三の道」を切り拓く鍵だといっていい。つまり、市場原理主義のように、あらゆるものを商品化するのでもなく、かといって、ソ連型社会主義のようにあらゆるものの国有化を目指すのでもない。第三の道としての<コモン>は、水や電力、住居、医療、教育といったものを公共財として、自分たちで民主主義的に管理することを目指す。141p

斎藤幸平『人新世の「資本論」』(2020)

【絶えず欠乏を生み出すシステム】

比較的裕福な中流層ですら、マンハッタンに住むことは極めて難しい。家賃を支払うためだけに、過労死寸前まで働かねばならない。また、ニューヨークやロンドンの中心地で個人事業主がオフィスを構えたり、店を開いたりするのはもはや至難の業だ。そういった機会は、大資本にしか開かれていない。
果たして、これを豊かさと呼ぶのだろうか。多くの人々にとって、これは欠乏だ。そう、資本主義は、絶えず欠乏を生み出すシステムなのである。235p

斎藤幸平『人新世の「資本論」』(2020)

【電気自動車は1%】

ここにダメ押しのデータがある。IEA(国際エネルギー機関)によれば、2040年までに、電気自動車は現在の200万台から、2億8000万台にまで伸びるという。ところが、それで削減される世界の二酸化炭素排出量は、わずか1%と推計されているのだ。90p

斎藤幸平『人新世の「資本論」』(2020)

【ピケティの「転向」】

ピケティは言う。「現存の資本主義システムを超克できるし、21世紀の新しい参加型社会主義の輪郭を描くこともできると私は確信している。つまり、新しい社会的所有、教育、知と権力の共有に依拠した新しい普遍主義的で、平等主義的な未来像を描くことはできるのだ」。これほどはっきりとした社会主義への「転向」は近年、ほかにも存在しない。288p

斎藤幸平『人新世の「資本論」』(2020)

【「負債」による希少性の増大】

資本がその支配を完成させる、もうひとつの人工的希少性がある。それが「負債」によって引き起こされる貨幣の希少性の増大である。無限に欲望をかきたてる資本主義のもとでの消費の過程で、人々は豊かになるどころか、借金を背負うのである。そして、負債を背負うことで、人々は従順な労働者として、つまり資本主義の駒として仕えることを強制される。
その最たる例が、住宅ローンだろう。住宅ローンは、額が大きい分、規律権力としての力が強い。254p

斎藤幸平『人新世の「資本論」』(2020)

【分業の廃止】

マルクスによれば、労働の創造性と自律性を取り戻すために必要な第一歩が、「分業の廃止」である。資本主義の分業体制のもとでは、労働は画一的で、単調な作業のうちへの閉じ込められている。それに対抗して、労働を魅力的なものにするためには、人々が多種多様な労働に従事できる生産現場の設計が好ましい。
だからマルクスは繰り返し、「精神労働と肉体労働の対立」や「都市と農村の対立」の克服を将来社会の課題として提唱したのだった。308p

斎藤幸平『人新世の「資本論」』(2020)

【閉鎖的技術】

原子力を民主的に管理するのは無理である。「閉鎖的技術」はその性質からして、民主主義的な管理には馴染まず、中央集権的なトップダウン型の政治を要請する。このように、技術と政治は無関係ではない。特定の技術は、特定の政治的形態と結びついているのである。
もちろん、気候変動の文脈でいえば、ジオエンジニアリングやNETも民主主義を否定する「閉鎖的技術」にほかならない。227p

斎藤幸平『人新世の「資本論」』(2020)

【マーケティング産業と「使用価値」】

この無意味なブランド化や広告にかかるコストはとてつもなく大きい。マーケティング産業は、食料とエネルギーに次いで世界第三の産業になっている。商品価格に占めるパッケージングの費用は10~40%といわれており、化粧品の場合、商品そのものを作るよりも、3倍もの費用をかけている場合をもあるという。そして、魅力的なパッケージ・デザインのために、大量のプラスチックが使い捨てられる。だが、商品そのものの「使用価値」は、結局、なにも変わらないのである。257p

斎藤幸平『人新世の「資本論」』(2020)

【まず3.5%が動き出す】

これまで私たちが無関心だったせいで、1%の富裕層・エリート層が好き勝手にルールを変えて、自分たちの価値観に合わせて、社会の仕組みや利害を作りあげてしまった。
けれども、そろそろ、はっきりとしたNOを突きつけるときだ。冷笑主義を捨て、99%の力を見せつけてやろう。そのためには、まず3.5%が、今この瞬間から動き出すのが鍵である。その動きが、大きなうねりをなれば、資本の力は制限され、民主主義は刷新され、脱炭素社会も実現されるに違いない。364p

斎藤幸平『人新世の「資本論」』(2020)

【ラディカルな潤沢さ】

新自由主義の緊縮政策というのは、人工的希少性を増強するという意味で、資本主義にぴったりの政策であった。それに対して、潤沢さは、経済成長のパラダイムからの決別を求めていく。
「ラディカルな潤沢さ」を掲げる経済人類学者ジェイソン・ヒッケルも次のように述べている。「緊縮は成長を生み出すために希少性を求める一方で、脱成長は成長を不要にするために潤沢さを求める」。
もう新自由主義には、終止符を打つべきだ。必要なのは「反緊縮」である。だが、単に貨幣をばら撒くだけでは、新自由主義には対抗できても、資本主義に終止符を打つことはできない。
資本主義の人工的希少性に対する対抗策が、<コモン>の復権による「ラディカルな潤沢さ」の再建である。これこそ、脱成長コミュニズムが目指す「反緊縮」なのだ。269p

斎藤幸平『人新世の「資本論」』(2020)

【労働者の活動の幅】

晩期マルクスの脱成長の立場から、さらに踏み込んでいえることがある。人間らしい労働を取り戻すべく画一的な分業をやめれば、経済成長のための効率化は最優先事項ではなくなる。利益よりも、やりがいや助け合いが優先されるからだ。そして、労働者の活動の幅が多様化し、作業負担の平等なローテーションや地域貢献などが重視されれば、当然、これも、経済活動の減速をもたらす。それは望ましいことなのである。309p

斎藤幸平『人新世の「資本論」』(2020)

【労働者の「絶対的貧困」】

資本主義に生きる労働者のあり方を、マルクスはしばしば「奴隷制」と呼んでいた。意志にかかわりなく、暇もなく、延々と働くという点では、労働者も奴隷も同じなのである。いや、現代の労働者の方が酷い場合すらある。古代の奴隷には、生存保障があった。替えの奴隷を見つけるのも大変だったため、大事にされた。
それに対して、資本主義のもとでの労働者たちの代わりはいくらでもいる。労働者は、首になって仕事が見つからなければ、究極的には飢え死にしてしまう。
マルクスはこの不安定さを「絶対的貧困」と呼んだ。「絶対的貧困」という表現には、資本主義は恒久的な欠乏と希少性を生み出すシステムであることが凝縮されている。本書の言葉を使えば、「絶対的希少性」が貧困の原因である。253p

斎藤幸平『人新世の「資本論」』(2020)

【労働集約型のケア労働】

「使用価値」を重視する社会への移行が必要となる。それは、エッセンシャル・ワークが、きちんと評価される社会である。
これは、地球環境にとっても望ましい。ケア労働は社会的に有用なだけでなく、低炭素で、低資源使用なのだ。経済成長を至上目的にしないなら、男性中心型の製造業重視から脱却し、労働集約型のケア労働を重視する道が開ける。そして、これは、エネルギー収支比が低下していく時代にもふさわしい、労働のあり方である。316p

斎藤幸平『人新世の「資本論」』(2020)

【ワーカーズ・コープ】

労働組合は、生産力上昇のために資本による「包摂」を受け入れていった。資本に協力することで、再分配のためのパイを増やそうとしたのだ。その代償として、労働者たちの自律性は弱まっていった。
資本による包摂を受け入れた労働組合とは対照的に、ワーカーズ・コープは生産関係そのものを変更することを目指す。労働者たちが、労働の現場に民主主義を持ち込むことで、競争を抑制し、開発、教育や配置換えについての意思決定を自分たちで行う。事業を継続するための利益獲得を目指しはすものの、市場での短期的な利潤最大化や投機活動に投資が左右されることはない。263p

斎藤幸平『人新世の「資本論」』(2020)

佐原ディーン

【田舎の夏祭り】

地方出身の後輩が「東京に来て数年経ちましたが、田舎の夏祭りのあとの縁日のヨーヨー釣りを紺の浴衣を着た幼なじみのブスとしてた頃に戻りたい」としみじみと語っていた。さぞや良い思い出だったのであろう

〜佐原ディーン


【ごちそうさま】

牛丼屋を出る際「ごちそうさん」と言うと若い後輩達に「今の何すか?」「え、自宅きどり?」「この店、先生の自宅すか?」と大爆笑された為「ご馳走様というのは方々を走り回り食材を集めるという意味で」と解説すると「ごちそううんちくおじさん」と呼ばれた。世の中からご馳走様が消えようとしている

〜佐原ディーン

【五輪とコロナ】

後輩が「コロナが収まってないのにオリンピックやろうとする日本って、風邪で高熱出てるのにオナニーする俺と似てる。日本は俺。俺は日本」と言っていた。なんだか分からんが力強い発言である

~佐原ディーン

【氷川きよし】

乾物屋の婆に「中でお茶でも飲んでけ」としつこく言われた為、嫌々居間に上がると、仏壇の横にデカい紙が貼られ、マジックで「私の知ってる氷川きよしじゃなくなったけど、頑張ってついていなかくっちゃ」と書かれていた。事情はよく分からんが、大変な悩みを抱えている様であった。お茶は薄かった

〜佐原ディーン


【容疑者Xの献身】

後輩が「容疑者Xの献身、凄まじく悲惨な映画だから見て下さい」と言う為、共に見たが、見終わり「悲惨だが言う程か?」と聞くと「福山雅治がドラマシリーズを積み上げて映画化したのに、堤真一が演技力の差を見せつけ主役になる。こんな悲惨な映画なくないすか?」確かに悲惨な映画だと納得させられた

佐原ディーン


沢木耕太郎

【フェリーにだけは】

「人が狭い空間に密集し、叫び、笑い、泣き、食べ、飲み、そこで生じた熱が湯気を立てて天空に立ち昇っていくかのような喧噪の中にある香港で、この海上のフェリーにだけは不思議な静謐さがある。それは宗教的にも政治的にも絶対の聖域を持たない香港の人々にとって、ほとんど唯一の聖なる場所なのではないかと思えるほどだった。」

—『深夜特急1―香港・マカオ―(新潮文庫)【増補新版】』沢木耕太郎

新川和江

【歌】

はじめての子を持ったとき 女のくちびるから ひとりでに洩れだす歌は この世でいちばん優しい歌だ

~新川和江『歌』

周防正行

【あとはお前が、】

「相手は強い。お前が平幕なら向こうは横綱だ。しかしだからこそ勝機がある。向こうは勝って当たり前だからな。たぶん突き放してくる。素人とやる時は離れて勝負を着けたいもんだ。喰い付け。我慢して我慢して喰い付け。何も言わずに送り出そうかと思ったけど、お前ならもしかしてと思ってな。忘れるな、前みつを掴んだら絶対に離すな。安心しろ、オレはここまでこれただけで十分満足している。あとはお前が、満足するかどうかだ」

〜周防正行『シコふんじゃった。』

太宰治

【愛の表現】

人間の生活の苦しみは、愛の表現の困難に尽きるといってよいと思う。この表現のつたなさが、人間の不幸の源泉なのではあるまいか。

~太宰治


【道化】

自分は隣人と、ほとんど会話が出来ません。何を、どう言ったらいいのか、わからないのです。  そこで考え出したのは、道化でした。  それは、自分の、人間に対する最後の求愛でした。自分は、人間を極度に恐れていながら、それでいて、人間を、どうしても思い切れなかったらしいのです。そうして自分は、この道化の一線でわずかに人間につながる事が出来たのでした。

—『人間失格』太宰 治


【文学の心づくし】

文学において、最も大事なものは心づくしというものである。心づくしといっても君たちにはわからないかも知れぬ。しかし「親切」といってしまえば、身もふたもない。心趣(こころばえ)。心意気。心遣い。そう言ってもまだぴったりしない。つまり「心づくし」なのである。作者のその「心づくし」が読者に通じたとき、文学の永遠性とか、あるいは文学のありがたさとか、うれしさとか、そういったようなものが始めて成立するのであると思う。

『如是我聞』

【めしを食べなければ】

人間は、めしを食べなければ死ぬから、そのために働いて、めしを食べなければならぬ、という言葉ほど自分にとって難解で晦渋で、そうして脅迫めいた響きを感じさせる言葉は、無かったのです。

—『人間失格』太宰 治


立原道造

【花のひらくような】

一生に一度、花のひらくようなよい言葉が語りたいという願いを持たなくてはならないかなしき人々のひとりなのでありました。

x


タモリ

【緊張】

「緊張できることをやらせてもらっていることを、幸せだと思うことだよ」

~タモリ

【都市計画】

大企業が考える都市計画っていうのはどこも同じで、歩きたいような街というよりも、泣きたくなるような街だよね。

タモリ

団鬼六

【エロ】

本当のエロとは、ひとことでいえば、女性はひたすら隠し、男性はひたすら隠されたものを見ようとするところから生まれるものなんです。

~団鬼六

名越康文

【ラッシュアワー】

朝の山手線に乗って品川から新幹線。あのラッシュに乗ることがカタギのイニシエーションならば、日本は大きな舵を切るべきだな。あれに毎日乗ることで、どれだけのビビッドな感性と愛が失われ、他人に対する無関心と怒りが無意識層に暗々と蓄積されるかを何故考えないのだろうか。灯台下暗し。

~名越康文

野嶋剛

【發夢】

催涙弾の雨をくぐる闘いは、彼らにとってあまりに非日常的だった。それをよく言い表している新語が、夢を見ていることを意味する「發夢」である。大量の催涙弾を浴び、全武装の警察特殊チーム「速龍小隊」に追い回される日々。立法会ビルへも突入した。家族には打ち明けられず、心の中に留めているしかない。まるで夢の中のように思えるので、運動に向かう時、彼らは「夢を見に行こう」と言い合って最前線に向かった。一説によればジョン・レノンの「イマジン」の歌詞「 You may say I am a dreamer」から取ったという。新語は自然発生的に生まれるので立証は難しいが、なかなかの文学センスだ。

—『香港とは何か (ちくま新書)』野嶋剛

バカリズム

【武器なんて】

全世界の人たちが両手でおっぱいを揉んだら武器なんて持たなくなるのに。

~バカリズムのエロリズム論

ビートたけし

【笑い】

よく「被災地にも笑いを」なんていうヤツがいるけど、今まさに苦しみの渦中にある人を笑いで励まそうなんてのは、戯(ざ)れ言でしかない。しっかりメシが食えて、安らかに眠れる場所があって、人間は初めて心から笑えるんだ。悲しいけど、目の前に死がチラついてる時には、芸術や演芸なんてのはどうだっていいんだよ。

ビートたけし

平川克美

【カルトの二分法】

カルトは善と悪、天使と悪魔、天国と地獄という単純な二分法で世界を説明する。実際の私たちが生きている世界は単純でもなければ、割り切れる訳でもない。この複雑に錯綜した現実を知り、複雑なまま直視することからしか現実を変革することなどできない。

平川克美

【少子化と消費者】

「消費者」が、これまで述べてきたように自由を求める「個人」であるとするならば、彼ら、彼女らが、不自由の共同体であったイエから逃走したとしても、不思議ではない。その結果、伝統的な家族システムが崩壊し、結婚年齢が上昇し、その帰結として少子化が進行しているとは考えられないだろうか。もし、わたしの推論が正しければ、少子化は何か経済の不調や、社会のアンバランスによって生じていることではなく、社会の進歩によって消費化が進んだことの結果だと言うことになるだろう。

~平川克美「『消費者』主権国家まで」

ヒラギノ游ゴ

【サブカルの指針】

テレビでは見せない強烈なミソジニーを深夜帯の独壇場でここぞとばかりに発露するラジオパーソナリティ。
自ら業界をシュリンクさせるような、スノッブで排他的な姿勢をひけらかすファッション界の重鎮。
批評のはずが“この音楽を聴いている自分”についての自己陶酔的な散文詩を綴る音楽ライター。
“女子供にはわからない映画”などと宣い仲間内で盛り上がる映画ライター。
日本のアイドル文化のトキシックな側面に責任を負わず無反省に消費する芸能ライター。
そういうふうにならずに、いかにサブカルで身を立てていけるか。今なれているのかはわからないけれど、子供のころからの指針になっている。

〜ヒラギノ游ゴ

フランツ・カフカ

【ひとことでいい】

ひとことでいい。もとめるだけ。空気のうごきだけ。きみがまだ生きている、待っているというしるしだけ。いや、もとめなくていい。一息だけ。一息もいらない。かまえだけ。かまえもいらない。おもうだけで。おもうこともない。しずかな眠りだけでいい。
〜フランツ・カフカ

古谷経衡

【提案型野党】

「提案型野党」という概念だが、基本的に言葉遊びの範疇であり、何の意味もないと私は思う。なぜなら、そもそも日本語文脈のなかで、「批判という言葉そのものに既に、”提案”という概念が含意されている」からであり、逆に「提案という言葉にも既に”批判”という概念が含意されているから」である。

2023/4/25

槇原敬之

【うたた寝】

海からあがる潮風 絵葉書で見た晴空
うたたねのために数えるのは 羊ではなく思い出

~槇原敬之『うたたね』

【夕立】

真っ赤に焼けた体を夕立が急いでさます 刀鍛冶のように夏は子供達を強くしてくれる

槇原敬之『夏は憶えている』

町山智浩

【どれだけの個人が潰されてきたか】

アメフト、体操、山口敬之、ジャニーズ、レプロ、バーニング、NGT48運営、森友加計、吉本、この2、3年でどれだけの個人が組織や体制の不正を告発し、潰されてきたか。ひどいことになってるよ。で、贈賄五輪だぜ。
忘れてた。告発した個人を潰すといえば、幻冬舎の見城徹社長が「日本国紀」を批判した作家の実売部数を暴露して営業妨害した事件もあった。山口、見城、秋元、吉本、みんな安倍総理の仲間じゃん。権力と一体化した傲慢さだな。

町山智浩 2019/07/20

松本隆

【雨】

雨は斜めの点線 ぼくたちの未来を切り取っていた 窓の板ガラスへと "自由"って言葉を書いては消した

~ 松本隆『いつか晴れた日に』

三浦しをん

【言葉】

言葉は生まれ、死んでいくものもある。生きている間に変わっていくものもあるのです。言葉の意味を知りたいとは誰かの考えや気持ちを正確に知りたいということ。それは人とつながりたいという願望ではないでしょうか。だから私たちは今を生きている人たちに向けて辞書を作らなければならない。

三浦しをん『舟を編む』

ミヒャエル・エンデ

【時間を感じとる】

「時計というのはね、人間ひとりひとりの胸のなかにあるものを、きわめて不完全ながらもまねて象ったものなのだ。光を見るためには目があり、音を聞くためには耳があるのとおなじに、人間には時間を感じとるために心というものがある。そして、もしその心が時間を感じとらないようなときには、その時間はないもおなじだ。ちょうど」

—『モモ (岩波少年文庫)』ミヒャエル・エンデ,  大島 かおり著

【時間をケチケチ】

「時間をケチケチすることで、ほんとうはぜんぜんべつのなにかをケチケチしているということには、だれひとり気がついていないようでした。じぶんたちの生活が日ごとにまずしくなり、日ごとに画一的になり、日ごとに冷たくなっていることを、だれひとりみとめようとはしませんでした。  」

—『モモ (岩波少年文庫)』ミヒャエル・エンデ,  大島 かおり

【しずけさ】

余暇の時間でさえ、すこしのむだもなくつかわなくてはと考えました。ですからその時間のうちにできるだけたくさんの娯楽をつめこもうと、もうやたらとせわしなく遊ぶのです。  だからもうたのしいお祭りであれ、厳粛な祭典であれ、ほんとうのお祭りはできなくなりました。夢を見るなど、ほとんど犯罪もどうぜんです。けれどいちばん耐えがたく思うようになったのは、しずけさでした。じぶんたちの生活がほんとうはどうなってしまったのかを心のどこかで感じとっていましたから、しずかになると不安でたまらないのです。ですから、しずけさがやってきそうになると、そうぞうしい音をたてます。

—『モモ (岩波少年文庫)』ミヒャエル・エンデ,  大島 かおり

【人生でいちばん危険なこと】

「モモ、ひとつだけきみに言っておくけどね、人生でいちばん危険なことは、かなえられるはずのない夢が、かなえられてしまうことなんだよ。いずれにせよ、ぼくのような場合はそうなんだ。ぼくにはもう夢がのこっていない。きみたちみんなのところにかえっても、もう夢はとりかえせないだろうよ。もうすっかりうんざりしちゃったんだ。」

—『モモ (岩波少年文庫)』ミヒャエル・エンデ,  大島 かおり

【話を聞く】

「小さなモモにできたこと、それはほかでもありません、あいての話を聞くことでした。なあんだ、そんなこと、とみなさんは言うでしょうね。話を聞くなんて、だれにだってできるじゃないかって。  でもそれはまちがいです。ほんとうに聞くことのできる人は、めったにいないものです。そしてこのてんでモモは、それこそほかにはれいのないすばらしい才能をもっていたのです。  」

『モモ (岩波少年文庫)』ミヒャエル・エンデ,  大島 かおり

【ほんとうの遊び】

子どもたちが、そんなものをつかってもほんとうの遊びはできないような、いろいろなおもちゃをもってくることがおおくなったのです。たとえば、リモコンで走らせることのできる戦車 でも、それいじょうのことにはまるで役にたちません。あるいは、細長い棒の先でぐるぐる円をかいてとぶ宇宙ロケット これも、そのほかのことにはつかえません。あるいは、赤い目玉をチカチカひからせて歩いたり頭をまわしたりする小さなロボット これも、それだけのことです。

—『モモ (岩波少年文庫)』ミヒャエル・エンデ,  大島 かおり

【世のなかの不幸】

「ベッポの考えでは、世のなかの不幸というものはすべて、みんながやたらとうそをつくことから生まれている、それもわざとついたうそばかりではない、せっかちすぎたり、正しくものを見きわめずにうっかり口にしたりするうそのせいなのだ、というのです。」

—『モモ (岩波少年文庫)』ミヒャエル・エンデ,  大島 かおり著

村上春樹

【苛め】

「いじめというのは相手に自分がいじめられていると気づかせるのがそもそもの目的なんだもの。排斥している多数の側に属していることで、みんな安心できるわけ。ああ、あっちにいるのが自分じゃなくて良かったって」

~村上春樹『1Q84』

【インターネット】

世の中はこれから、インターネットから自由に離れられる人と離れられない人とに、二極化していくのかもしれませんね。恐ろしいことです。
~村上春樹

村上春樹

【記憶】

僕らくらいの歳になると、記憶というのがどれくらい大事なものかということが実感としてわかってくるような気がします。寒い夜には、記憶が暖炉の火のように僕らの心を暖めてくれます。人生でいちばん大事なことのひとつは、素晴らしい記憶を貯めていくことなんですよね。

【ケヤキの枝】

厳しい本物の冬が再び腰を据えようとしていた。ケヤキの枝先が、警告を与える古老の指のようにひからびた音を立てて震えた。

〜村上春樹


【小説家】

小説家という職業にー少なくとも僕にとってはということだけれど―勝ち負けはない。書いたものが自分の設定した基準に到達できているかいないというのが何よりも大事になってくるし、それは簡単には言い訳のきかないことだ。他人に対しては何とでも適当に説明できるだろう。しかし自分自身の心をごまかすことはできない。

~村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』

【小説の優れた点】

小説の優れた点は、読んでいるうちに、「嘘を検証する能力」が身についてくることです。小説というのはもともとが嘘の集積みたいなものですから、長いあいだ小説を読んでいると、何が実のない嘘で、何が実のある嘘であるのかを見分ける能力が自然に身についていきます。

〜村上春樹

【プジョーのワイパー】

マンションの地下の駐車場から車を出したとき、三月の冷ややかな雨はまだ音もなく降り続いていた。プジョーのワイパーは老人のかすれた咳のような音を立てていた。

〜村上春樹『騎士団長殺し』

安田弘之

【おっぱいが欲しかったら】

「いつでも触れるおっぱいが欲しかったら いい男になんないとね」

安田弘之『ちひろさん』

【懐いてくれる】

「あんたが懐いてくれるんなら わたしの生き方もまんざら悪くないのかもって思えるわ」

~安田弘之『ちひろさん』

柳家小三治

【笑う】

ただ笑っちゃうんじゃないの。なぜ必要たって。
笑ったときってみんな嬉しいんじゃない。
もっと深く言えば、笑っている自分が好きなんじゃない。

柳家小三治

吉本隆明

【詩を書く】

詩は書くことがいっぱいあるから書くんじゃない。書くこと感じることなんにもないからこそ書くんだ。

吉本隆明

吉本ばなな

【愛のないお金の使われ方】

その思い出さえも、何かにふみにじられたような感じがした。その何かは、きっと、お金だ。愛のない使われ方をしたお金のせいで、この町はこんなふうになってしまった……そういう気がした。外側から急に押し寄せてきたお金の流れは、町の人たちがちょこっと考えたいろんなかわいい工夫や、小さく大切にしてきたことをどっと流してしまった。

~よしもとばなな『海のふた』

【生き方を選ぶ】

しかし全てが自分の持っているものなはずなのに 、その家の中で 、奥様が取り逃がしているものの膨大さに 、私はがく然としてしまった 。これは奥様だけの問題ではなく 、私もきっと生きているだけで 、想像もできないくらいたくさんのことを取り逃がしていて 、それが生き方を選ぶということなんだ 、と悟ったのだ 。そして 、家の中はこんなにも 、気持ち悪いほどの生命のドラマに満ちあふれていて 、全てがうるさいくらいに 、うねるように何かを発しているのに 、それに気づかないでいる自由さえも人間にはあるのだ 。

吉本ばなな『虹』

【行き場のない欲望】

音楽は終わり 、雨音だけが車の中に入ってくるかのように響いていた 。彼はじっと黙って 、傷ついた心を抱え込んでいた 。まるでさかりのついた猫のように 、彼の全身から 、私に対するどうしようもない 、行き場のない欲望がにじみ出ていた 。苦しげに彼は沈黙していた 。

吉本ばなな『虹』

【海鳴りの音】

水上コテ ージがおそろしいほど大きな海鳴りの音に包まれていても 、私は目を覚ましてはまた眠った 。吹き荒れる風の音が夜は部屋を揺らし 、海の気配は部屋に満ちあふれて永遠に朝は來ないように思えた 。その音の激しさは 、私にとって外界や過去と私を隔ててくれる優しい子守唄だった 。

吉本ばなな『虹』

【お互いを好き】

お互いがお互いを好きだという安心感が 、私たちを覆っていた 。言葉も通じない生き物だというのに 、そのうきうきした感じに嘘はないのが不思議だった 。しっぽがふさふさと闇に躍り 、小さな鼻はあちこちをかぎまわっていた 。

吉本ばなな『虹』

【同じ気持ち】

「ここでレモン色の鮫を見ました 。おっしゃっていたとおりに 、すごく不思議な感じでした 。戻ったらすぐに店長に連絡し 、なるべく早くお店に復帰し 、今まで以上に働きます 。どうしても言えませんでしたが 、私も 、あの家で働くようになってからはずっと同じ気持ちでした 。同じことを見て 、共にがんばっていけたら 、と切に思っています 。もしまだ気持ちが変わっていらっしゃらなかったら 、嬉しく思います 。私は全てを受け入れます 。 」

吉本ばなな『虹』

【面白みと痛い気持ち】

私にとって 、面白みは必ず 、痛い気持ちと引きかえになっているような気がしていた 。世界につながるには幾千ものきっかけがある 。母が死んでひとりぼっちになった今 、よりいっそう 、それを増やしていきたかった 。それが私の生きている証のように思えた 。仕事を離れて家政婦もどきのアルバイトをしながらリハビリしていた私を 、本当の意味で立ち直らせてくれたのは 、東京の中にさえある小さな自然 、その家の犬や猫や 、庭の木々だった 。

吉本ばなな『虹』

【川の流れ】

私は川がある街というものに自分がどれだけなじみやすいのかを知った。そして、カフェにすわって人々を見ていることは、川の流れを見ているのと全く同じだということを知った。それは、歴史のある都市でなくてはならない。古く重く恐ろしい色や形をした建物の前を、現代の人々が流れていく、その様子こそが川なのだ。そして、私は知った。川の恐ろしさは、時の流れのはかりしれなさ、おそろしさそのものなのだと。

~よしもとばなな『あったかくなんかない』

【きれいなもの】

いろいろなことがあったけれど 、またこういうきれいなものを見ている … …生きているかぎり 、また苦しいこともあるだろう 、でもまた必ずこういうものが目の前に現れてくるのだ 。必ず 。

吉本ばなな『虹』

【きれいなふくらはぎ】

黒い足 、白いエイ 。天高く響き渡るかもめの声 。寄せては返す透明な水 。遠くの空にははけでさっと描いたような白い雲が薄く広がり 、光は刻一刻と強くなっていた 。餌付けの女性はきれいな布でできたスカ ートをたくしあげ 、きれいなふくらはぎを見せながら 、水の中をゆっくりと歩いていた 。たまにまぶしそうに手をかざして青い空を見上げた 。これから私は水際を歩いてコテ ージまで戻り 、昨日買ってきたパンと缶詰をつかって 、ツナサンドを作るだろう 。完璧に予想がつき 、きっと実現する 、そんなありふれた未来がこれほど嬉しいということが不思議だった 。

吉本ばなな『虹』

【黒真珠】

そんなことでこんな美しいものを嫌いになってはいけないとばかりに 、私はまん丸ではない小さな黒真珠でできたピアスを買って 、鏡の前でさっそく耳につけた 。あとしばらくこの島にいて 、もっと黒く焼けたなら 、きっともっと私に似合うようになるだろう 。そう思ったら黒真珠の悪いイメ ージは私から解き放たれて 、蝶のようにひらひらと店を出ていって夜の中に消えていった 。

吉本ばなな『虹』

【サラダ油の下の広告】

私の家はいつもぼろぼろですきま風が吹いていたし床はいつも砂っぽかったが 、母の手が触れた物は全て魔術のように母の面影を宿したものだった 。サラダ油の下にしいてある広告の紙さえ 、その折り方に母のたたずまいを感じさせた 。母が醤油を大瓶から小さい醤油差しに移し替える時の仕草や 、新聞を読む時の丸めた背中は祖母にそっくりだった 。そして祖母のそういう仕草は 、きっとそのまた母親の仕草とそっくりなのだろうと想像できた 。

吉本ばなな『虹』

【蒸気】

心ゆくまでひとりで過ごそうと決めてきた旅だったので 、意外な成り行きで人が部屋にいることがとても嬉しかった 。自分以外の人がお湯を沸かす蒸気が部屋に満ちていくのも 、あたたかい感じがした 。

吉本ばなな『虹』

【その坂道の光景】

空は遠くまで薄くきれいなピンク色で 、雲がレースのようにかかっていた 。もう淡い闇が今にも押し寄せてきそうな時刻だった 。あちこちの家でお母さんが夕餉の支度をしているような 、穏やかな時間帯だった 。肩を抱かれながら見たその坂道の光景を 、私は一生忘れないだろう 、と思った 。

吉本ばなな『虹』

【手の感じ】

人の手の感じがこんなに嬉しいのは 、それは国籍を超えて 、それがおじいちゃんとおばあちゃんの手だからだった 。もう子も孫もさんざん抱いた 、しわになった大きな手だった 。

吉本ばなな『虹』

【手の中に小さな虫】

そのみじめな気持ちは彼の手の 、どんなに抵抗しようと全然止まろうとしない感触ですぐに消えていった 。私の下着の中に入ってきた彼の手の感じは 、まるで割れそうな卵をなでるように 、手の中に小さな虫を持ってそっと歩いている人のように優しく柔らかく 、何かとても大切に思い畏れるものに触る時の感じだったからだ 。このような切実な願いを断るような強さは誰にもないのだ 、と私はあきらめて突然体の力を抜いた 。そしてもう 、彼の下で働く人間でいることを 、その瞬間は 、とにかく全てやめることにした 。初めて敬語ではなく 、同じ歳の男の人に言うのと同じように 、こう言った 。 「わかった 、いいよ 、寝よう 。でもここはいや 。ここから出たい 。 」

吉本ばなな『虹』

【鳥の巣のように】

それは奥様の女性性の問題ではなかった 。そこに住んでいる家族が 「これからもずっと住んでいこう 」と思っているあのなれあった 、鳥の巣のように汚れてこんもりと暖かい 、すっかりだらりとした気楽なものが 、そこにはどうしても感じられなかった 。

吉本ばなな『虹』

【なにがどうでもいい】

私の目に涙がにじみ 、もうなにがどうでもいいのだと思った 。真実が将来を切り開くだろう 。

吉本ばなな『虹』

【日傘で顔はよく見えないが】

ああ 、うらやましいなあと私は思った 。そしてお母さんは日傘をさして真っ白い光にさらされながら 、大きなおなかで気だるそうにかがんだ 。その様子を見ていたら 「何があってもあそこでお母さんが見ていてくれる 」と思って遠くまで走っていった子供の時を生々しく思い出した 。日傘で顔はよく見えないが母は微笑んでいるに違いない 、と思うことができたあの独特な感じが鮮やかによみがえってきた 。子供の時にはよく感じた 、安心して集中しすぎるくらいして遊んでいる時
の 、色の濃いはちみつのようにとろりとした楽しい感じ 。

吉本ばなな『虹』

【光】

私は何にでも時間がかかる 、とてもかかるのだ 。光はそんな私をこの地上の何ともわけへだてることもなく 、いつまでも待ってくれるような感じで暖かく照らしていた 。

吉本ばなな『虹』

【人と人との関係】

人と人との間には幸福な形はめったにないと私はずっと前から思っていた 。幼い時から客商売にたずさわり 、いろいろな人の涙を見ては学んだことだった 。そこには行き違いと悲しみと静かな幸福だけが 、寄せては返す波のようにくりかえし現れるだけだ 。それでも人と人の関係にはたまに蜜のような瞬間がある 。子供の頃の遊びみたいに罪がなくて激しく 、永遠にその琥珀色に閉じこめられた 、強烈な甘みを持つ瞬間 。

吉本ばなな『虹』

【胸の底の水】

モ ーレアの入り江は 、紀州の激しい景色とは似ても似つかなかった 。それでもそのこぢんまりとしながらも雄大である様子が 、私の胸の底の水を静かに揺らした 。思い出のきらめきが立ち上ってきて 、もう少しで涙になるところだった 。

吉本ばなな『虹』

【豊かな沈黙】

ところがその沈黙は 、少しもいやな沈黙ではなかった 。空気の中に時間の粒がきらきらと光るのが見えるような 、そんなおいしい空気を思い切り吸い込んで肺の中が美しいものに満たされているような 、そういう味のする豊かな沈黙だった 。

吉本ばなな『虹』

【若くて生きている】

私のふとももや、私の髪の毛や、はだしの足、若くて生きているそういうものがうろうろするだけで、ほんの少しずつでも、なにかが戻ってくるかもしれない。

吉本ばなな『ハネムーン』

レイ・ブラッドベリ

【苛烈な笑み】

「火炎にあおられ、あとじさる男たちが、ひとしなみに浮かべる凶暴な笑い。  詰所にもどれば、顔はまさにミンストレル・ショウ(黒人を茶化し、顔を黒塗りした白人が演じた舞台芸。二十世紀初頭まで流行)の芸人で、その黒んぼ顔を鏡に映し、ウインクするのがお決まりである。その後、眠りに落ちるときも、苛烈な笑みが先刻と変わらず顔の筋肉をかためているのを闇のなかで感じている。それは決して消えることはない。彼の知るかぎり、笑みが消えたことは一度たりとなかった。」

—『華氏451度〔新訳版〕』レイ ブラッドベリ

【本が鳩のように】

「夢にまで見るのは、古いジョークにあるように、串に刺したマシュマロを火にかざしてぱくつきながら、家のポーチや芝生で、本が鳩のようにはばたきながら死んでゆくのをながめること。本がきらめく渦を描きながら、煤けた黒い風に乗って散ってゆくのをながめることだった。」

—『華氏451度〔新訳版〕』レイ ブラッドベリ



詠み人知らず

【沖縄戦】

沖縄戦で死闘が続いている間に、東京では大相撲が行なわれていた。

史実

【失敗を批判すること】

赤の他人の失敗をあげつらって公然と批判するというのは、実は非常に難しい事なのです。私よりも年齢を重ねた人でさえも、きちんと出来ない人は少なくありません。その割に、得るものはあまり多くありません。批判自体は簡単です。ただし、自身の品位や人間性を損なわずに批判するというのは、これは極めて高度な技術に加えて、強い精神力も求められるのです。これが無いままに安易に批判する。手軽に正義感を振りかざせるので、やがてそれがクセになっていきます。クセになっていくとどうなるか。他人の失敗が許せない人間になってしまいます。そして失敗を悪い事だと思い込み過ぎて、失敗するくらいならば何もしない方がいいと考え始めるようになってしまいます。人間とは不完全なものです。肝心な時に大きな失敗をしてしまう事もあります。何かに挑んで、成功する事もあれば失敗する事もある人と、他人が失敗したときだけ批判し、何もしないが故に何も失敗しない人。みなさんはどちらになりたいですか。

とある大学講師