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【1935年台湾博覧会 #4.5】食欲の会場 “うまい名物”を漁る

 もうすぐ日本、台湾の間に自由に行き来できるようになりますが、やはり台湾旅行と言えば、欠かせないのは「食」ですね!10月になると「食欲の秋」にも入り、なのでこの記事を紹介するにはピッタリなタイミングではないかなと思います。

 1935年台湾博覧会には、たくさんの日本と台湾のご当地名産が会場内に販売され、それを紹介する記事がありました。そのタイトルは、「食欲の会場 “うまい名物”を漁る」です。

 このnote投稿は、記事に記載されている名産を一つずつ紹介したいと思います。今でも有名で、現地で食べれるものもあれば、現地の人には名前さえも聞いたことないお菓子もありました。

 当時の記者が書いた文字と共に、ちょっと会場内のグルメツアーをしてみましょう!


 記事には、第一会場と第二会場を中心に、いくつかのサービスやお店・お料理を紹介してくれました。

第一会場

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 まず、第一会場の部分に関しては、4ヶ所が取り上げられました。

(一)新竹案内所:紅茶、ポンカン羊羹、ザボン

鹿又光雄, 始政四十周年記念 臺灣博覽會誌, 台北市, 始政四十周年記念臺灣博覽會, 1939, ページ数未記載.

……まず第一会場から、飛び込んだのが新竹宣伝協会経営の新竹案内所。十銭玉たんだ一つポンと投出せば、竹東郡北埔茶業組合か関西庄自慢の紅茶に菓子一皿添えて、美しいサービスガールがいそいそ運んで来る。芳しいお茶に、新竹名物ポンカンの香りをホンノリ漂わしたポンカン羊羹は、正に風味掬すべきである。
 博覧会が一組六千圓の懸賞金付で新たに売出した特別入場券の茶菓券では、菓子の他に更にザボンの一片がつくそうである。素晴らしいサービスではあるまいか。……

須田一二三, 始政四十周年記念 臺灣博覽會ニュース 第17号, 始政四十周年記念 臺灣博覽會事務局, 1935年11月16日, p.2.

 新竹案内所では、台湾新竹州産の紅茶、ポンカン羊羹、ザボンが提供されています。

紅茶(イメージ画像)

 紅茶に関しては、新竹州竹東郡産の紅茶と新竹州新竹郡関西庄産の紅茶が言及され、この2つの産地について少し調べてみました。

 新竹州竹東郡(現・新竹県竹東鎮、芎林鄉、橫山鄉、北埔鄉、峨眉鄉、寶山鄉、五峰鄉、尖石鄉などが含まれた)の紅茶について、1935年出版された本『台湾特殊風景』に、「竹東郡の巻 地の利を得て 柑橘と茶の驚異的増産」というタイトルで記載され、「竹東郡は優良茶の代名詞として竹東茶の名を冠せられている事程に優良茶の名産地として全島に其の名を知られている」という称賛の言葉が綴られています。

 竹東郡が優良茶の名産地になった理由は、まず「地の利を占め」という点が挙げられます。竹東郡は「四辺殆んど山岳地を抱擁し、気候風土天恵的茶園の栽培に適し」、自然環境に恵まれたうえに指導や奨励、品質改善研究などを行い、更にそして新竹州産業五箇年計画に合わせて増産や販売の統制を実行し、茶業の発展に力を注いだ結果、優良茶の名産地として知られていました。

 一方、新竹州新竹郡関西庄(現・新竹県関西鎮)産の紅茶は、日本統治時代では台湾の名物として、1935年出版した『台湾を代表するもの』という本で取り上げられ、竹東郡と同じく、茶の栽培に適する環境に恵まれ、そのなかに、「紅茶が最も優勢で年産六十余万斤金額四十万圓を示し、品質亦良好で好評を博している」と記載されています。関西庄産の紅茶が評価された影響で、関西庄内に組合工場が増設され、十八箇所もありました。

ポンカン(イメージ画像)

 ポンカン羊羹(椪柑羊羹)に関しては、『台湾を代表するもの』にも記載がありました。こちらは明石屋商店が昭和6年1月に開発された商品で、「此の名はその時新竹の島田技師が命名したものである」と書かれています。ここの「島田技師」という方は、おそらく台湾産ポンカンの品種改良に多大な貢献のある「島田弥市」のことを指していると考えられます。ポンカン羊羹は、ポンカンの風味を楽しめるほか、保存しやすいやパッケージデザインが綺麗などメリットもあり、お土産として大人気でした。

ザボン(イメージ画像)

 新竹案内所では、「特別入場券の茶菓券」をお持ちの方だけに、「ザボンの一片」をサービスします。まず、「特別入場券」というのは、入場券+お菓子引換券+宝くじみたいなもので、一枚の金額が50銭で、宝くじのほうの賞金は5等賞の2圓から1等賞の1,000圓まで、賞金総額6,000圓でした。ちなみに、普通の入場券は20銭です。

鹿又光雄, 始政四十周年記念 臺灣博覽會誌, 台北市, 始政四十周年記念臺灣博覽會, 1939, ページ数未記載.(出典

 ザボンは、現在文旦/ブンタンと呼ばれるフルーツのことで、「台湾では麻豆文旦を除いたザボン類を土名で柚仔(ユーア)と称し」という1939年当時の記載通り、現在台湾語でも文旦を柚仔(ユーア)と呼んでいます。

 ちなみに、「食欲の会場 “うまい名物”を漁る」記事には書いていませんが、新竹案内所には名菓「▢〇柿」の試食も行われ、『台湾を代表するもの』によりますと、「〇柿」は「苗栗柿を主材とし、之に桃園丸糯、州下各地より産する蜂蜜を配合調味して蒸化したもので、▢〇商店の製菓である」、丸糯というのはもち米の一種で、柿ともち米で作られたはちみつ味の蒸し菓子のようです。

(二)森永ミルクホール:北海道の国産ミルク

鹿又光雄, 始政四十周年記念 臺灣博覽會誌, 台北市, 始政四十周年記念臺灣博覽會, 1939, ページ数未記載.

……陸橋を渡れば、袂近く第一府県入口前に森永ミルクホール。北海道国産の新鮮なミルクが舌にトロリ、此処も特別入場券指定茶菓接待所。……

須田一二三, 始政四十周年記念 臺灣博覽會ニュース 第17号, 始政四十周年記念 臺灣博覽會事務局, 1935年11月16日, p.2.

 森永ミルクホールは、正式名称は森永製菓出張販売店です。1906年に、台湾の新聞紙には既に森永製菓の広告が掲載されていますが、本格的に台湾で会社を立ち上げるのは1925年でした。当時台湾で販売されていたラインナップの全貌はわからないですが、新聞紙や雑誌の広告からみると、現在でもよく知られているキャラメルチョコレートなどの西洋菓子以外に、幼児用のドライミルクもありました。

(三)福岡:梅ヶ枝焼

鹿又光雄, 始政四十周年記念 臺灣博覽會誌, 台北市, 始政四十周年記念臺灣博覽會, 1939, ページ数未記載.

……福岡館横には名も床しい梅ヶ枝焼太宰府神社の名物。その昔、菅公が日頃愛した京の梅が遥に配所に慕って来て咲いたのが、同神社で有名な飛梅、その名に因んだ焼餅だ。米の粉はわざわざ内地から取寄せたとある。此処も焼手が汗の大車輪。……

須田一二三, 始政四十周年記念 臺灣博覽會ニュース 第17号, 始政四十周年記念 臺灣博覽會事務局, 1935年11月16日, p.2.
太宰府観光案内サイトに掲載されている梅ヶ枝焼のお写真

 梅ヶ枝焼は、梅を使ったお菓子ではなく、あんこ餅です。現在でも太宰府の名物になり、参道周辺には販売店30軒以上あるようです。詳しい紹介は、こちらの太宰府観光案内サイトをご覧くださいませ。

(四)熊本:特許銀杏饅頭

熊本観光案内サイトに掲載されている水前寺成趣園鳥居のお写真

……第二府県前、店構えこそ小さいが、熊本は銀杏城に因む特許銀杏饅頭、ほのかな風味を湛えて、県人は故郷の香と味をこの銀杏実大の小饅頭に見出して、必ず一包を家づとに購うとか。九州総本店熊本市水前寺朝日堂菓舗直々の出店である。……

須田一二三, 始政四十周年記念 臺灣博覽會ニュース 第17号, 始政四十周年記念 臺灣博覽會事務局, 1935年11月16日, p.2.

 熊本の朝日堂菓舗というお店については、ネットで検索してみましたが、見つかりませんでした。現在でも当時の特許銀杏饅頭と同じように、銀杏城に因んで作られた熊本名物のお菓子がありますので、もしかしたら、似たようなものはそのなかにあるかもしれませんね。

第二会場

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(一)台中物産紹介所:愛玉、ヘーソウ饅頭、新高紅茶、鳳眼糕

始政四十周年記念臺灣博覽會, 大阪市, 細谷真美館, 1936, p,102.

……まず台中州勧業課直営の台中物産紹介所。冷やし愛玉は、寒天の様な淡い君子の味を持ち、アンコでねばついた舌に快い。ここの自慢には他にヘーソウ饅頭もある。新高紅茶の香りも高い、特別入場券のサービスは紅茶、烏龍茶に鹿港で名高い鳳眼糕、落雁の一種なそうである。……

須田一二三, 始政四十周年記念 臺灣博覽會ニュース 第17号, 始政四十周年記念 臺灣博覽會事務局, 1935年11月16日, p.2.
現在でも街でよく見かける「レモン愛玉」(出典

 「愛玉」というのは、現在台湾でもよく食べられているゼリー状のデザートです。植物の「アイギョクシ」の果実から作られた薄い黄色の「愛玉」は、ほぼ無味なので、台湾で一般的にはレモンジュースに入れて、夏にぴったりな飲み物となります。

 「ヘーソウ饅頭」は、具体的にはどんなお菓子なのか、確かではないですが、「ヘーソウ」という発音で調べてたどり着いたのは『台日大辞典』に記載されている「生炸蝦酥」という料理です。説明文には、「蒲鉾をつくる方法と同じく蝦を磨砕き饅頭の様に固めてから油で揚げた料理」と書かれています。

 また、同じく台中物産紹介所の即売部では、「龍蝦餅」という商品が販売されていることは、1936年に出版された『中部臺灣宣傳協會事業報告書』の記載で確認できたので、「ヘーソウ饅頭」は海老かイセエビで作られたお菓子の可能性があると考えられます。

魚池郷農会公式サイトに掲載されている茶園のお写真

 「新高紅茶」は、台中州新高郡魚池庄(現・南投県魚池郷)産の紅茶を指しています。1936年に出版された『昭和十一年版 新高郡管內概況』には、その紅茶は在来山茶とインド産アッサム種を原料とする紅茶で、大正14年中央研究所の輸入になる原産地種子の一部の配布を受けたことがきっかけで、栽培し始めたようです。

 現在の台湾でも、南投県魚池郷産の紅茶がとても有名で、品種は台茶18号紅玉、アッサム紅茶、台茶21号紅韻 、台湾山茶蔵芽の4種類です。

自由時報に掲載されている鳳眼糕のお写真

 「鳳眼糕」も現在台湾でよく知られているお菓子です。その発祥地は現在の彰化県鹿港鎮と言われ、清時代に中国泉州から伝われてきたそうです。材料はお米とお砂糖のみで、形が美女の「鳳眼」に似ているので、「鳳眼糕」と名づけられました。
 
 ちなみに、台中物産紹介所で提供するメニューは、前述の『中部臺灣宣傳協會事業報告書』には以下のような記述があります。

……喫茶部は此の種経営に経験ある台北州七星郡士林街茶商郭聡徳に之を請負はしめた。献立は紅茶、烏龍茶、レモンティー、筍蕎麦、バナナ鮓等を主とし、原料は総て州下物産を使用したが、十銭均一主義と美味、新鮮は、忽ち第二会場の人気の中心となり、会期中の総売上高千十一圓に達した。
 紅茶は魚池産モリソン紅茶を用い香気高く、烏龍茶は竹山産の凍頂烏龍茶と名間産の烏龍茶とを併用し、レモンティーは員林産のレモンを用い、筍蕎麦は竹山産の乾筍を材料とし、バナナ鮓は当州が誇る果実加工品バナナ酢と木瓜干瓢とを原料とし創製したが、何れも非常な好評を博した。……

中部臺灣宣傳協會, 中部臺灣宣傳協會事業報告書, 臺中市, 高須印刷所, 1936, p.53.

 上述の烏龍茶の産地である竹山(現・南投県竹山鎮)名間(現・南投県名間郷)は、現在でもお茶の栽培が盛んでいて、竹山のほうもタケノコが名物になっています。

(二)お伽茶屋:きび団子、おしるこ

始政四十周年記念臺灣博覽會畫帖, 東京, 國際情報社, 出版年未記載, ページ数未記載.

……子供の国では、数寄屋造りの瀟洒なお伽茶屋、庭に内地黒松の数本を配して、見るからに床机に腰を下ろしたくなる。自慢は子供の国だけにきび団子におしるこ。……

須田一二三, 始政四十周年記念 臺灣博覽會ニュース 第17号, 始政四十周年記念 臺灣博覽會事務局, 1935年11月16日, p.2.
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 子供の国の正門として高い塔があり、その名は「蓬莱塔」で、頂上には桃太郎と従者犬、猿、雉の像が置かれています。このことに因んで、お伽茶屋にはきび団子を提供することになったと推測できます。

(三)祇園茶屋:京名物いもぼう御料理、大原女料理、コールコーヒ、レギス、カルピス、ソーダ氷

鹿又光雄, 始政四十周年記念 臺灣博覽會誌, 台北市, 始政四十周年記念臺灣博覽會, 1939, ページ数未記載.

……海女実演館横の祇園茶屋も食通には見逃し難かるべく。……

須田一二三, 始政四十周年記念 臺灣博覽會ニュース 第17号, 始政四十周年記念 臺灣博覽會事務局, 1935年11月16日, p.2.

 祇園茶屋に関して、文献上の記述が少ないですが、幸いお店の正面を写っている一枚の写真があり、看板にいくつかの料理の名前が書かれています。

 まず、一番右の「京名物いもぼう御料理」ですが、現在の京都でも存在しています。「京名物 いもぼう 平野家本家」の公式サイトには、「いもぼうは、海老芋とよばれる大きな海老の形をしたお芋と、北海道産の棒鱈を炊き合わせた京料理」という説明があります。

「京名物 いもぼう 平野家本家」公式サイトに掲載されているいもぼうのお写真

 そして、右から2番目の看板には「大原女料理」という文字があります。「大原」は京都の地名(現・京都府京都市左京区大原)です。柴田書店の料理百科事典の「大原木」に関する記載によりますと、「昔、洛北の大原の女たちが頭の上にたき木(柴)をのせて京都の街を売り歩いた時の、たき木の束に似た料理につけられる名称で、大原女(おはらめ)とする時もある」ということから、ネットで「大原女」の画像を検索してみると、写真に写されている女性はまさに大原女の装束をしていることがわかりました。

大原観光保勝会の公式サイトに掲載されているお写真

 最後、左側の看板には「納涼喫茶」と書いていて、下に品目が書かれています:コールコーヒ、レギス、カルピス、ソーダ氷。コールコーヒはアイスコーヒーの関西地方での呼び名です。カルピス、ソーダ氷も分かりやすいですが、レキス?レギス?レッキス?だけはわからないです。

(四)明治喫茶店、森永スヰートホール

池上清德, 始政四十週年記念 臺灣博覽會寫真帳, 台北市, 實業展望支社, 1935, ページ数未記載.
鹿又光雄, 始政四十周年記念 臺灣博覽會誌, 台北市, 始政四十周年記念臺灣博覽會, 1939, ページ数未記載.

……明治喫茶店と森永スヰートホールは特別入場券接待所だ。……

須田一二三, 始政四十周年記念 臺灣博覽會ニュース 第17号, 始政四十周年記念 臺灣博覽會事務局, 1935年11月16日, p.2.

 本社が東京にある明治製菓株式会社は、台湾で支店や出張店があり、1937年に出版された『明治製糖株式會社 社業大要』で記載されている製品ラインナップは:

  • 明治チョコレート各種

  • 明治キャラメル各種

  • 明治ドロップ各種

  • 明治カルミン各種

  • ポケット物各種

  • 乾燥物各種

  • 明治ビスケット各種

  • 明治ソフトビスケット各種

  • 明治ウエファー各種

  • 掛物各種

  • ヌガー類各種

  • 明治羊羹各種

  • ココア珈琲各種

  • 清涼飲料及シロップ各種

  • 洋式生菓子各種

  • 麺麭類各種

  • 加糖及無糖煉乳

  • 加糖及無糖粉乳

  • パトローゲン

  • チーズ及バター其他

  • 明治牛乳

  • 明治アイスクリーム各種

  • 食料品缶詰類各種

 上述の製品のなか、どれくらい第二会場の明治喫茶店にて提供されたのはわからないですが、子供の国に設置された子どもが乗れる施設「飛行塔」と「ベビーカー」、「戦車」は、まりにも人気すぎて、整理料として明治製菓の製品を十銭お買い上げの人が無料で乗せる形になり、50日の会期中に「飛行塔」の乗用者が10万人で、「ベビーカー」、「戦車」は約1万7千人という数字からみると、結構大盛況でした。当時の写真をよくみれば、飛行機の機体には「明治ドロップ」の文字があり、塔のほうにも「明治キャラメル」の文字が書いています。

始政四十周年記念臺灣博覽會, 大阪市, 細谷真美館, 1936, p,104.
始政四十周年記念臺灣博覽會, 大阪市, 細谷真美館, 1936, p,104.
始政四十周年記念 臺灣博覽會協賛會誌, 台北市, 始政四十周年記念臺灣博覽會協賛會, 1939, ページ数未記載.

 森永スヰートホールに関しては、上述第一会場の部分で既に森永製菓について言及したため、ここでは割愛させていただきます。

(五)テーハウス:台湾茶

鹿又光雄, 始政四十周年記念 臺灣博覽會誌, 台北市, 始政四十周年記念臺灣博覽會, 1939, ページ数未記載.

……茶業宣伝協会のテーハウスは池を眺めて恰好の休憩所、全島を打って一丸とした台湾茶業宣伝協会直々の経営だけに、お茶からお茶うけから吟味したもの。特別入場券接待所を引き受けている。

須田一二三, 始政四十周年記念 臺灣博覽會ニュース 第17号, 始政四十周年記念 臺灣博覽會事務局, 1935年11月16日, p.2.

 台湾茶業(宣伝)協会は、総督府特産課、台北茶商公会、台湾茶共同販売所の三者が今回の博覧会で台湾茶を宣伝するために組まれた団体で、この特設館では、台湾人(当時は本島人と言う)女性を「サービスガール」に採用し、茶の無料接待を行っています。

 また、テーハウスでは具体的にどんなメニューを提供しているのはわかりませんが、このときの台湾茶は、有名なのはウーロン茶包種茶、そして台湾中南部を中心に盛んできた紅茶となります。

 台湾博覧会で台湾茶業を宣伝する背景に関しては、当時の雑誌に下記のように記載されています:

……近年内地では緑茶から紅茶へ転向すべく、静岡、鹿児島等に於て紅茶の製造を行っているが、気候風土を異にするためか、台湾産の紅茶には遥かに及ばない状態である。これを一般市場に売出すためには、どうしても台湾の紅茶を混合するの必要があり、内地産紅茶に混合して売出し、好評を博しているものもある。兎に角この機会に於て、内地の当業者に躍進せる台湾茶業を紹介して、意見の交換を行い、又島内の大衆に台湾茶を認識せしむることは、誠に意義ある企てであらうと信ずる。

鶴長九皐, 意義のある茶業宣傳, 臺灣之茶業, v018 n001, 1935, p.2.

 以上、当時の記者が書いた文字を通して、1935年台湾博覧会会場内のグルメめぐりをしてみました。こうして昔の資料と現在を照らし合わせてみると、歴史は教科書に載せているものだけではなく、ちゃんと私たちの日常と繋いでいることを、再確認できました。

 日本の皆さんが台湾にいらっしゃる際に、是非記事に紹介された台湾の紅茶や愛玉、鳳眼糕を試してみてください!私も日本に遊びに行ったら、梅ヶ枝焼やいもぼう、大原女の衣装を体験してみたいと思います!


参考資料:

須田一二三, 始政四十周年記念 臺灣博覽會ニュース 第17号, 始政四十周年記念 臺灣博覽會事務局, 1935年11月16日.
鶴長九皐, 意義のある茶業宣傳, 臺灣之茶業, v018 n001, 1935, p.1-2.
小川尚義, 台日大辭典(下冊), 台湾総督府, 1932.
中部臺灣宣傳協會, 中部臺灣宣傳協會事業報告書, 臺中市, 高須印刷所, 1936.
明治製糖株式會社, 明治製糖株式會社 社業大要, 1937.
屋部仲榮, 台湾特殊風景, 民眾事報, 1935.
新高郡役所, 昭和十一年版 新高郡管內概況, 新高郡, 新高郡役所, 1936.  
遠藤東之助, 臺灣を代表するもの, 臺灣新聞社, 台中市, 1935.
櫻井芳次郎, 臺灣に於けるザボンの栽培, 台灣總督府中央研究所士林園藝試驗支所, 1939.
鹿又光雄, 始政四十周年記念 臺灣博覽會誌, 台北市, 始政四十周年記念臺灣博覽會, 1939.
始政四十周年記念 臺灣博覽會協賛會誌, 台北市, 始政四十周年記念臺灣博覽會協賛會, 1939.
始政四十周年記念臺灣博覽會, 大阪市, 細谷真美館, 1936.
池上清德, 始政四十週年記念 臺灣博覽會寫真帳, 台北市, 實業展望支社, 1935.

日本語サイト

おみやげにも食べ歩きにも!道真公ゆかりの梅ヶ枝餅(太宰府観光案内サイト)
https://www.city.dazaifu.lg.jp/site/kanko/16906.html

京料理 いもぼう(「京名物 いもぼう 平野家本家」公式サイト)
http://www.imobou.com/imobou

大原女(おおはらめ)を知る(大原観光保勝会の公式サイト)
https://kyoto-ohara-kankouhosyoukai.net/oharame/

水前寺成趣園(水前寺公園)(熊本観光案内サイト)
https://kumamoto.guide/spots/detail/12351

大原木(料理百科事典) (株)柴田書店-食の総合出版社
https://www.shibatashoten.co.jp/words/detail.php?wid=1315

中国語サイト

莫羽靜專欄|藏在牛奶糖盒裡的台灣記憶:主打戒除煙癮、運動員最愛的補給品? 
https://www.taisounds.com/Lifestyle/Food/uid4739543351

現在大家愛吃的森永牛奶糖 在日治時期就很流行了
https://www.upmedia.mg/news_info.php?Type=5&SerialNo=147155

魚池郷農会公式サイト
https://www.yuchi.org.tw/home/

越簡單越美味!鹿港傳統糕點—鳳眼糕
https://food.ltn.com.tw/article/6169


1935年台湾博覧会シリーズ記事

#1 第一会場編
#2 第二会場・前編
#3 第二会場・中編
#4 第二会場・後編
#4.5 食欲の会場 “うまい名物”を漁る



COVER:当時の新聞記事

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