北海道の熊おやじ〜北海道の179市町村の歴史と観光スポットを水彩画と油絵で紹介します〜

広大な北海道を絵の題材探しに179市町村を30年ほどかけて旅をしてきました。北海道のビ…

北海道の熊おやじ〜北海道の179市町村の歴史と観光スポットを水彩画と油絵で紹介します〜

広大な北海道を絵の題材探しに179市町村を30年ほどかけて旅をしてきました。北海道のビューポイントを町の歴史や観光を含めて水彩や油絵で紹介します。 ❖作品の一部は販売もしております❖ https://home.tsuku2.jp/f/aura/tukutukugaro

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火野正平「こころ旅」の風景 (上士別町)

ひのしょうへい「こころたび」のふうけい(かみしべつちょう) 防風林 油絵 F3(273×220mm) 2021年12月作成 他に油絵3点 水彩画22点 士別市は旭川から北に車で一時間ほど…

白神岬から(松前町)

この絵は最南端白神岬から福島町方面を描いたものです。 国道228号線は函館を出てから左に津軽海峡を見て進み、知内町で内陸に入りますが福島町吉岡地区で再び海峡に出…

竜飛岬(津軽半島)

北海道の最南端は白神岬で晴れておれば津軽半島が見えます。 竜飛岬まで19.2キロです。 昭和60年(1985年)3月10日、青函トンネル本坑が貫通しました。

伊能忠敬公園(福島町吉岡)

福島町の道の駅がある市街地から更に南下すると津軽海峡線(北海道新幹線)が北海道に上陸する地点に「吉岡地区」があります。 ここが蝦夷の時代に伊能忠敬が北海道を測量す…

横綱の里・道の駅から(福島町)

函館から西へ車を走らせると、北斗市→木古内町→知内町→福島町となります。福島町は二人の横綱を輩出した町で、千代の富士は道の駅の隣に「横綱 千代の山・千代の富士記…

竹林(函館公園)

函館公園は函館山の麓にあります。小高い山一面が公園になっており函館市立博物館もあります。 ソメイヨシノを中心に約400本のサクラの木が植えられていますが、その中に…

知内町の風景

知内町は北島三郎の出身地です。町は北島三郎の似顔絵(看板)や実家の案内などで賑やかです。道の駅のスタンプも似顔絵です。 北島三郎の実家近くに「津軽海峡を一望できる…

サラキ岬(木古内町)

国道228号(松前国道)の北斗市を過ぎると木古内町に入ります。入ってすぐにサラキ岬が見えてきます。 サラキ岬には「咸臨丸」を模した船が岬広場にあります。 明治に入り栄…

横津岳(亀田郡七飯町)

横津岳(よこつだけ) 道南の渡島半島は、津軽海峡に面して東側に亀田半島、西側に松前半島が本州の下北、津軽半島と対峙しています。 松前半島の盟主が大千軒岳なら、亀田…

函館公園からの函館山

函館の青柳町に公園があります。北海道で最初に作られた公園です。函館は火事の多い町でしたから、公園は市民の願いでもあったのでしょう。寄付を募って作られたのですが、…

函館山(北斗市)

この絵は函館の隣町北斗市上磯からの函館山です。 右手に見えるのは太平洋セメントの2kmにわたって延びる海上棧橋橋桁です。

梅園(札幌市清田区)

平岡公園の梅園(梅林)は札幌市清田区にあります。 清田区は平成9年に豊平区から分離して誕生した区です。この区のシンボルの一つが平岡梅林で昭和57年から造成がはじまりま…

八紘学園(札幌市豊平区)

札幌市豊平区月寒東地区にある八紘学園は、昭和の初めに農業発展のために働く青年を育てる目的で設立しました。 設立したのは栗林元二郎という方です。 教育課程は2年制…

梅園(平岡公園・札幌市清田区)

札幌は公園の多い町です。大小合わせると2000近くあるのではないかと思います。住宅地の中にあるので気が付かないで通り過ぎてしまいます。 清田区にある平岡公園もその一…

吉野神社前から(上士別町)

大正九年、上士別村の出身府県別戸数は、奈良県出身者は320戸で、二位の宮城県出身者(183戸)、三位の愛知県出身者(105戸)を大きく引離しました。 上士別天塩川南部の…

旧大英小学校跡(上士別町)

上士別町の東に大英地区がありました。 大和地区から坂を下って行き道道61号の兼内地区に出る途中になります。 この道に出て右折すると朝日町に入ります。 戦前は銅鉱山の…

火野正平「こころ旅」の風景 (上士別町)

火野正平「こころ旅」の風景 (上士別町)

ひのしょうへい「こころたび」のふうけい(かみしべつちょう)
防風林 油絵 F3(273×220mm) 2021年12月作成
他に油絵3点 水彩画22点

士別市は旭川から北に車で一時間ほどのところにあります。
上士別は、この士別市の東隣にある町です。
絵に描いた防風林を越えると上士別の町に入ります。

上士別は見わたす限りの農地と山々の町です。
この町で少女時代を過ごした方がNHKの人気番組に投稿

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白神岬から(松前町)

白神岬から(松前町)

この絵は最南端白神岬から福島町方面を描いたものです。
国道228号線は函館を出てから左に津軽海峡を見て進み、知内町で内陸に入りますが福島町吉岡地区で再び海峡に出ます。そうして立岩トンネルを過ぎると松前町に入ってきます。

ここからは延々と左に日本海を見ながら上ノ国→江差→乙部→せたなと続いて北上していきます。

竜飛岬(津軽半島)

竜飛岬(津軽半島)

北海道の最南端は白神岬で晴れておれば津軽半島が見えます。
竜飛岬まで19.2キロです。

昭和60年(1985年)3月10日、青函トンネル本坑が貫通しました。

伊能忠敬公園(福島町吉岡)

伊能忠敬公園(福島町吉岡)

福島町の道の駅がある市街地から更に南下すると津軽海峡線(北海道新幹線)が北海道に上陸する地点に「吉岡地区」があります。

ここが蝦夷の時代に伊能忠敬が北海道を測量するにあたりスタートした地点になります。記念公園があり「伊能忠敬が測量する銅像」が建てられています。

この絵は、その公園から福島市街方面を描いたものです。

横綱の里・道の駅から(福島町)

横綱の里・道の駅から(福島町)

函館から西へ車を走らせると、北斗市→木古内町→知内町→福島町となります。福島町は二人の横綱を輩出した町で、千代の富士は道の駅の隣に「横綱 千代の山・千代の富士記念館」が併設されています。

千代の富士が元気だったころは毎年弟子を連れて記念会館にある土俵で朝稽古をしていました。夜は町の小料理屋を梯子して賑やかだったのでしょう。
今回久しぶりに行ってみると、当時相撲の幟旗が見当たりません。残念なことで

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竹林(函館公園)

竹林(函館公園)

函館公園は函館山の麓にあります。小高い山一面が公園になっており函館市立博物館もあります。

ソメイヨシノを中心に約400本のサクラの木が植えられていますが、その中に北海道では珍しい竹の林があります。

明治12年に造られた公園ですが、函館市民の誇りにしている公園で観光客は五稜郭に行きますが、こちらは市民が楽しむ場所です。

屋台が並ぶのがいいですね。

知内町の風景

知内町の風景

知内町は北島三郎の出身地です。町は北島三郎の似顔絵(看板)や実家の案内などで賑やかです。道の駅のスタンプも似顔絵です。

北島三郎の実家近くに「津軽海峡を一望できる展望台」の案内がありました。右折して四キロとあるので回ってみました。
神社があり長い階段らしきものが見え、おそらくここではないかと思いましたが四キロも走っていないので先に進みました。しかし、いくら進んでもらしきものは無く、やはり「あれ」

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サラキ岬(木古内町)

サラキ岬(木古内町)

国道228号(松前国道)の北斗市を過ぎると木古内町に入ります。入ってすぐにサラキ岬が見えてきます。

サラキ岬には「咸臨丸」を模した船が岬広場にあります。
明治に入り栄光の咸臨丸は新政府の輸送船となっていました。仙台藩(白石支藩)の家臣401名を乗せて函館から小樽に向かう途中に座礁。木古内の漁師が船を出して助けましたが、移住の荷物はすべて海の中。この船に乗り合わせていた人たちが、現在の札幌市白石区

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横津岳(亀田郡七飯町)

横津岳(亀田郡七飯町)

横津岳(よこつだけ)

道南の渡島半島は、津軽海峡に面して東側に亀田半島、西側に松前半島が本州の下北、津軽半島と対峙しています。
松前半島の盟主が大千軒岳なら、亀田半島は標高1166.9mの横津岳となります。恵山道立自然公園に指定された亀田郡七飯町にあります。

この横津岳を教えてくれたのは、北斗市にある「きじひき高原」の展望台で、隣で観ていた中年の男性が解説をしてくれました。

きじひき高原は新

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函館公園からの函館山

函館公園からの函館山

函館の青柳町に公園があります。北海道で最初に作られた公園です。函館は火事の多い町でしたから、公園は市民の願いでもあったのでしょう。寄付を募って作られたのですが、中には私財を投げうった方もおりました。

桜の木が良く手入れされており、その幹の大きさに驚きます。
満開の時を目がけて訪れることは難しかつたのですが、ようやく念願が叶えられました。

函館山(北斗市)

函館山(北斗市)

この絵は函館の隣町北斗市上磯からの函館山です。
右手に見えるのは太平洋セメントの2kmにわたって延びる海上棧橋橋桁です。

梅園(札幌市清田区)

梅園(札幌市清田区)

平岡公園の梅園(梅林)は札幌市清田区にあります。
清田区は平成9年に豊平区から分離して誕生した区です。この区のシンボルの一つが平岡梅林で昭和57年から造成がはじまりました。

札幌で冬期オリンピックがあった昭和47年以降、札幌の人口は急増しました。次々と新興住宅が開発されて郊外に伸びていきます。
平岡蓄は昭和57年ごろは、まだ簡素な住宅街でした。当時も梅林がありましたが整備されておらず、雨が降ると

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八紘学園(札幌市豊平区)

八紘学園(札幌市豊平区)

札幌市豊平区月寒東地区にある八紘学園は、昭和の初めに農業発展のために働く青年を育てる目的で設立しました。

設立したのは栗林元二郎という方です。

教育課程は2年制で、一年次に基礎知識と農具・農業機械操作などを身に付け、2年次になると畜産・園芸の2コースに分かれ、専門知識と応用技術を深める内容です。80名ほどの学生で、全寮制となっており絵の左側に寮があります。

八紘という名称は地区から取ったもの

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梅園(平岡公園・札幌市清田区)

梅園(平岡公園・札幌市清田区)

札幌は公園の多い町です。大小合わせると2000近くあるのではないかと思います。住宅地の中にあるので気が付かないで通り過ぎてしまいます。

清田区にある平岡公園もその一つで、25年ほど前までは住宅地の一角に広がる丘陵地帯でした。毎年梅が咲く季節になると出かけましたが雨の降った後は泥道でした。今は駐車場もでき公園内は、丘陵を歩くコースまで作られました。この公園は約1200本の梅が植栽されているのですが

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吉野神社前から(上士別町)

吉野神社前から(上士別町)

大正九年、上士別村の出身府県別戸数は、奈良県出身者は320戸で、二位の宮城県出身者(183戸)、三位の愛知県出身者(105戸)を大きく引離しました。

上士別天塩川南部のいわゆる川南・三郷・成美・大和・南沢地区は、奈良県吉野郡出身の移住者でにぎわいます。

人口が増えるにつれ学校が建てられます。当時は尋常小学校で、順次8校つくられました。しかし、今は上士別小学校1校に統合され、更に中学とも合併です

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旧大英小学校跡(上士別町)

旧大英小学校跡(上士別町)

上士別町の東に大英地区がありました。
大和地区から坂を下って行き道道61号の兼内地区に出る途中になります。
この道に出て右折すると朝日町に入ります。

戦前は銅鉱山の開発で賑わい、戦後は開拓農家で賑わった集落でした。
昭和45年3月15日(日)大英小学校閉校式が行なわれ閉校となりました。卒業生総数85名。最終年度の卒業生は2名。

今は、旧校舎の一部が樹木に隠れて見えるだけでした。