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夢心地

 冬の京都。朝、寒くて目が覚める。
 自分でも話していて笑ってしまうが、私は今冬、まだ一度も自宅で暖房をつけていない。
 学部時代の貧乏性が抜けないのと、以前試みに暖房をつけたら体調を崩してしまったことが重なって、「私には暖房は合わない」と結論づけてしまった。
 とにかく着込む。あと、温かい飲み物のお世話になる。
 早朝の寒さに対しては、白湯&即席のしじみ味噌汁で対応している。これだけで案外乗り切れているから、今冬も暖房無しで過ごし切るかもしれない。
……油断は禁物だ。

 四季の中で、早朝に身の危険を感じるのは、冬だけである。夏の場合は、朝というよりも日中、その暑さと水分不足に気をつかう。
 一方、春と秋は、早朝が心地良い。心地良すぎて、物憂げに浸る心の余裕さえある。

「睡眠の幽味は暁にある。殊に春が可い。春眠不覚暁とは能く云ったものだ。春の暁、殊に彼岸の頃から四月の中旬頃までが最も可い。午前六時から七時頃、徐か眼を醒すーーいや、本当に醒めてしまっては妙でない、醒めたような醒めないような、所謂半睡半醒の夢心地で、頭から夜具をすっぽりと被っていると、春の暖い朝日が窓の隙から柔かに映し込んで来る。」
岡本綺堂『江戸に欠かせぬ創作ばなし』河出文庫、P42〜43)

 あと少しだけ、少しだけ……と二度寝に誘われるこの感覚。寒さでパキッと目が覚めてしまう日々からは、すっかり失われている感覚だ。
 上記の文章は、岡本綺堂の随筆「春の寝言」の一節だが、他の箇所では、この半睡半醒の状態で耳に入ってくる物音を描写している。
 鶯の声、花を売る声、豆腐屋の喇叭、路を歩く人の話し声……実際に耳にしたわけでもないのに、岡本の身の心地良さが伝わってくるから面白い。

「或は醒め、或は眠り、起きては眠り、眠りては又起きる。この一、二時間の快い夢心地というものは、春の暖い暁ならでは到底味うことは出来ないのである。いくら寝坊のわたしでも、これが夏の朝なら一気にひらり飛び起きてしまう。秋の朝も早く起きた方が、気分が爽かで可い。冬は寒いに相違ないが。寒いと云うことさえ我慢すれば、早朝に起きられないことは無い。或年の如きは自分の職務上の都合もあったが、冬の朝五時には毎日必ず起きた例もある。」
岡本綺堂『江戸に欠かせぬ創作ばなし』河出文庫、P46)

 ああ、春が待ち遠しい。
 そう思って、いざ春を迎えると、新しいスタートをきる周囲の人々を横目に、自分だけ置いてけぼりにされたような焦りを覚えて、物憂げになる。
 春がはやく過ぎ去ることを望む自分の姿は、簡単に想像できるので、春先になればまた「春の寝言」に目を通したい。



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