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開き直って受け入れる 信じる事はいつか救われる

我慢と忍耐は未だに続く

ここまで我慢と忍耐をしてれば必ず爆発します

ただ私はこのような状況でも思考を駆使して対応してます

思考は大切です

先ずはネガティブにならない事です

ですが思考で対応していますと言いましたが私はある程度の我慢と忍耐の状況に慣れてしまっているので思考も動きません

思考と心はある意味一緒だと思うのです

だから私の場合、その心が既に消失している事実があります

それは今までの過酷な人生が心という思考をそのままにしてれば私は死んでしまうと思い消失させる事は防衛本能でしょう

だから心や思考がキツいとの実感はあまり無いのです

ただ足腰の痛みは直接の痛覚だし、身体的な異常も負荷ではあるので、それはストレスだと思います

でもそれに関しても思考を働かせないのです

それが自分の人生だと開き直って受け入れるしかないのです

敢えて言えば逆境とは開き直って受け入れる方がストレスは少ないと思います

自分は周りから見たらポジティブだと見えると思います

私と話す事になればそれを顕著に実感出来ると思います

ただ私もどうやってポジティブ思考にしているのかはわからないのです

ただ開き直って受け入れるという事は一つだしもう一つ言えば人生経験は必要です

私は記憶らしい記憶が残らないのですがあの時の自分を振り返って、あの時の自分なら今の状況には我慢と忍耐も出来ないと思ったりします

今の自分を築いたのは経験でしょう

ここ何年かは修羅場でした

現状今も修羅場なのです

でも死ぬにはもったいないかなって思っているので生きています

やれるだけやれがやっぱり、親から貰った命の使い方だと思うのです

だから今のような修羅場でも我慢と忍耐であっても耐えているのです

ただ私の立って居る場所は戦場であり戦争だと思います

私は多勢に無勢です

孤独で孤立しているのです

でも戦場であり戦争であるならば必ず救援部隊はやって来てくれると思っています

私はアホみたいに人を信じるタイプなのです

人を信じたから今の自分が居る、場所が戦場であり戦争なのに、それでも人を裏切るより信じて裏切られた方が罪悪感はない

罪悪感は感情の中では人の心を縛り付けて来る
罪悪感こそストレスの強さを持っている感情は無いのです

だから私は人を信じるのです

ただ人を信じるのはやっぱり人が好きだからです

私は15歳の時、人間に心を破壊されました
その時は人がやっぱり生命体の中で怖いとも思いましたが、でもやっぱり人が好きだとも思いました

それが私のいいところだと思うのです
悪い事でも良いと思える思考

これが私の思考術です

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