見出し画像

東京裁判を「傍聴」した感想

先日、NHKの番組で東京裁判の特集を観た。

裁判の日程が具体的に示され、今まで観た同裁判のドキュメンタリーの中で一番、臨場感があった。実際に傍聴しているような気分を味わえた。

東京裁判は戦勝国による結論ありきの裁判だとして、忌み嫌う人もいる。しかし今回の番組を観ると、法廷ではスライドなどを駆使して詳細な資料が提示されていた。意外とちゃんとやってたんだなあ、と素朴ながらそう感じた。


丸山眞男は「超国家主義の論理と心理」の中で、日本の戦犯とナチの戦犯の裁判での様子を比較している。「土屋は青ざめ、古島は泣き、ゲーリングは哄笑する」というフレーズが有名だ。日本の戦犯はヴィジョンを持たないから、終戦後の裁判で精神的な脆弱性を露呈するのだという。ただし土屋も古島もいわゆる「A級戦犯」ではないため、東京裁判では裁かれていない。

今回の番組では東京裁判と、ドイツのニュルンベルク裁判の映像が紹介されていた。それらを観る限り、両者における被告人の態度に大きな違いは感じない。どちらも「命令・状況に従っただけ」と繰り返す無責任な人々であり、明確なヴィジョンを持っているとは思えない。例外的にカイテルと広田は自分の責任を感じているようだった。また、哄笑というほどではないが東條英機は時折、法廷で笑みを見せている。


番組の最後で、東京裁判を舞台作品にした井上ひさしの言葉が引用されていた。同裁判は「瑕こそ多いが、血と涙から生まれた歴史の宝石」なのだという。血なまぐさい戦争犯罪を扱う裁判を「宝石」と表現するセンスは私の趣味には合わない。もっと言えば、判決理由が何であれ死刑判決が下されている裁判を宝石とは呼びたくない。作品を観てみれば、「宝石」の意味が解るのかもしれないが。

さらに井上は、この場合の「瑕(きず)」とは、人々が東京裁判を無視していることだとする。しかし番組で流れた裁判当時の街頭インタビューの音声では、市民たちが喧々諤々と意見を交わしていた。必ずしも世間の関心が低かったわけではなさそうだ。


たしかに現在は、東京裁判に強く関心があるのは一部の人に限定されるだろう。賛否はあれど日本現代史の転換点には違いないので、タブー視せず積極的に検証し語っていくべきである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?