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ねえ 本当に人は生きているだけで偉いの?と突っ掛かるわたしは もう少し美味しいごはんが必要なのかもしれない


誰でもよかった。

すれ違いざまに誰かに刺されるのではないかと気が気でない毎日だ。なんとなく悪いことが起きるような気がしてしまう。わたしにとっての毎日はいつしか幸せを求めるのではなく、不幸せをなんとかして遠ざけることしか出来なくなっていたのだ。
好きな仕事が出来るのか。恋人が出来るのか。別にそれだけが幸せなわけではないけれど。弱くなれば弱くなるほど、わかりやすい幸せに縋りたくなるものだろう。


「生きてるだけで褒めてほしい。」

それは願いでもなんでもなくて。そんなこと有り得るのかなと自分で半信半疑になっている。別に死ぬことが絶対的に悪いわけではないと思っている。死ぬ勇気はなくとも、どこかふと身体を外に投げ出したら世界が変わりそうな気がしてしまう。

どこかの本でも、ネットに転がっている文章でも。「生きてるだけで偉いよ」などと言った文章で溢れている。それは時代なのか、真相はわたしにはよくわからないけれど。どこか生きていると何か良いことがあるように聞こえてしまうから恐ろしい。勿論早まった感情で命を落とすのは勿体無い。そして命を"勿体無い"と表現してしまうわたしは誰かにそっと刃物で刺されてしまいそうだ。良いことが誰しも生き続けていればあるはずだという主張はとても他人事だ。わたしは本当に心の底から、自分の人生に生き続けた結果が何もないと感じるのであれば。それはもう簡単に自分の大切なものを手放してしまいそうだ。

こういう文章を書いているとどんどんと自分の中の醜い部分に酔ってしまいそうになる。それもこれも全て他人のせいにしてしまいたい。


代謝する甘味


外に出た瞬間、暑いと思ってしまう自分はつまらない感情しか持っていない。小腹が空いた時に満たすものがいつも同じというのは不幸せなことなのだろうか。

コンビニに並ぶいつもの品物。わたしは毎日のようにコンビニの弁当を食べている。生きる気力のある日は、炊飯器で炊いたお米に味噌汁を合わせて食べることもあるが、基本的には添加物まみれの食品を進んで食べている。
もう自分でも毎日何を食べているのかわからない。食べているものが違ったとしても、何故か全部同じ味に感じるのだ。何かを食べてそれで満たされるわけでもなく、満たされないわけでもない。
ただ生きるために何かを口に入れる。果たしてその行為に"偉い"という賞賛の声はついてきたりするのだろうか。


わたしは当然、今日この日まで生きている。
それはコンビニに売っているごはんを食べ続けている他ならない。毎日のように飲み続ける珈琲も、今や殆どがわたしの血となっているだろう。毎日のように吸っている煙草も、わたしの肺を支えてくれているだろう。

「ねえ 本当に生きているだけで偉いの?」

と、少し食い気味に突っ掛かるわたしはもう既に答えを知っているようだった。


偉くないんだよ。
だって、生きれちゃうんだ。人って。

わたしよりも苦しんでいる人は世の中には沢山いて。それはもうわたしの想像を簡単に越えてしまうような不幸が渦を巻いている。
そんな人たちに対してわたしは「生きてるだけで偉いよ」と声をかける自信がない。人に希望を与えることすらわたしは責任を感じてしまう。生き続けることが必ずしも幸せとは限らないから。

それでも許されていたいな。別に偉くなくても良いから。生きてるだけで偉いわけではないけど、生きてるだけでそれは"生きている"ことを証明しているのだから。

わたしの日常の殆どは同じことの繰り返しだけれど。別にそれでも生きれちゃうんだ。灰色の世界でもそれが綺麗に映っているならそれで良い。


いつもだったら素通りする、駅ナカにあるケーキ屋さんの前でわたしは立ち止まる。女の子になりたいわたしは甘い物が大好きだった。そして何よりわたしはケーキ屋さんの雰囲気が好きだった。その空間だけは黄色とオレンジ色が混ざったような匂いがして。店員さんは、コンビニのごはんで出来上がったわたしのような人にも平等に笑顔を振りまいてくれる。

一番可愛いケーキをわたしは指差し。なんとか声帯を震わせ「これください」と言うことに成功した。
そのケーキの値段は、わたしのいつものコンビニの弁当のおよそ2倍。けれどそれに気づいたのは家に着いてからだった。わたしは夢中でケーキを選び、会計を済ましていたのだった。

ケーキと言う名の女の子を持ち歩き。わたしは家に着くなり、空きっ腹にそれを押し込んだ。ゆっくりとそれを噛みしめる。なんとなくわたしの人生に何かが付いて来てくれた気がした。


"生きているだけで偉い"からわたしは自分にご褒美を与えているわけではない。"生きている"ただそれだけで与えているご褒美だった。その差はあるようでないのかもしれないけれど、人生はどこまでいっても自己満足だから。


いつもだったら面倒に感じる。
お風呂に湯を張り、わたしは久しぶりに湯船に浸かった。

別に誰にも褒められるようなことは出来ていない人生だけれど。わたしはわたしなりに幸せに生きようと思う。

明日もきっとまた同じだけれど。


書き続ける勇気になっています。