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『ガザに地下鉄が走る日』岡真理

はじめに:女史の大好きなイスラエルとパレスチナ

本日は、女史の大好きな、アラブ文学者の岡真理さんの著書をご紹介したい。本書は、イスラエル及びパレスチナの知識・関心がない方でも比較的苦心せずに読める作品であり、学ぶ点の多い著書であるため、気になったら是非手に取ってほしい。

女史自身、パレスチナに実際に足を運び、彼らが如何に不当な扱いを受けるか、目の当たりにし、憤りを感じた。

ただ、勘違いしないでほしいが、女史はイスラエルもパレスチナも大好きだ。イスラエル人の友人もたくさんいるし、パレスチナ系イスラエル人の友人もいる。

女史は、イスラエルという国の大いなる可能性に期待している。だからこそ、立派な国になってほしい。故に、”パレスチナ人をNo Manとして扱う” という、国家政策上で最も楽な選択肢を、イスラエル人には選ばないでいてほしいのだ。

女史が何者か気になる方はこれを読んでくれ。

また、女史のnote記事の読み方はこちらを参考にしてほしい。

人間の非人間化: No Man

本書のメインテーマは、人間の非人間化である。そしてこれを”No Man”とも呼ぶ。本書ではパレスチナは一例に過ぎず、世界中にパレスチナ人同様のNo Manが存在する。そして、そのNo Manの存在を見て見ぬふりする社会、人間に警鐘を鳴らすことが岡さんの本著の目的だと女史は思う。

No Manとは何か。それは文字通り、人間であるにも関わらず、モノ同様の扱われ、いかなる暴力(直接的・構造的)の対象”物”たりえる者達のことだ。人権はとっくの昔に放棄され、法の庇護など受けられない。そういう人間のことだ。

そんな人間を日本人に想像できるか。おそらく容易にできる。難民、戦争被害者、貧困者、孤児、etc。日本にだって多くのNo Manがいる。

そして岡先生は、本書ではNo Manとして扱われるパレスチナ人を、彼女自身の目と耳で観察し、読者に伝えようとする。(女史は、岡先生のフィールドワークにかける熱意に、溢れ出す敬意を止めることができない)

No Manの例:No Man's Landの住人としてのNo Man

ここで、岡さんが地図を一例に用いてNo Manを説明してくださる。地図を想像してほしい。地図では、中東等の国々は国境を境目に、ぴったりとくっついている。その線を越えれば、よそ様の国である。理論上は、ね。

しかし実際は、例えばイラクの検問所を抜けたとすると、お隣ヨルダンの検問所まで、どちらの国にも属さない地帯がある。それは数キロにも渡る。俗に、緩衝地帯="No Man's Land"と呼ばれる。

No Man's Landはいかなる人物や国にも属さない。ゆえに、戦争や迫害から逃れた難民たちがここにキャンプを形成し、生活していたりする。No Man's Landに法や人権の保障は存在しない。そしてこのNo Man's Landに属する人々はもちろん、No Manである。

No Manとしてのパレスチナ人:全ては塀の中

本書のメイントピックであるパレスチナ人も、この例に漏れない。パレスチナ人は、ユダヤ人入植者から、迫害を受け続けてきた。長く住んできた家を突然追われた。殺された人もいる。ユダヤ人は彼らの富、団結力、意志力をもってして、パレスチナ人の土地を得た。

この時点でパレスチナを去り、他国へ移住したパレスチナ人も多くいる。しかし結局そこでもよそ者として迫害を受けるケースが多くあった。

現在、イスラエルが領土と称する場所に居住するパレスチナ人のほとんどは、パレスチナ自治区に居住している。否、”押し込められている”と言おう。イスラエル人に土地と家を奪われた彼らは、塀に囲まれた場所に暮らしている。自由に自治区を出ることはできない。自治区を出る場合は、銃を持ったイスラエル兵の厳しい検閲を受けねばならない。

下手に反抗しようとすれば、容赦なく暴力を受ける。

彼らは、イスラエル人の直接的そして構造的な暴力の被害者であり、人権を制限され、物同然に扱われている。

*写真は女史が2019年にパレスチナのベツレヘムで撮った写真(転載厳禁)

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No Manを生み出す要因:狂った社会

読者の中にこう思う人がいるかもしれない。”ユダヤ人だって迫害されて辛い経験をしたじゃないか!それなのに、なんでパレスチナ人を迫害するんだ!なんで自分らの歴史から学ばないんだ!”

この気持ちは凄くよく分かる。しかし、この感情論でNo Man化を論じることは、誤っている。

ここで着目して欲しい点は、パレスチナ人を容易にNo Man化してしまう社会だ。

法律、制度、政治、etc その全てがNo Man化に寄与している。ユダヤ人であろうが日本人であろうが、関係ないのだ。

パレスチナの例でいえば、人種によって人権を制限する法律、ユダヤ人を迫害し続けたために急にユダヤ人の肩を持ち始める薄汚い列強諸国の政治手段、利益が欲しいがために武器を売りさばく会社、パレスチナ人全員がテロリストだと差別して迫害を促すメディア etc...。パレスチナ人はこれらの仕組みに取り込まれ、物として扱われることとなった。

私たちの周りには、私たちの周りで起こる事象が、”当たり前であり何も間違っていない”と思い込ませる仕組みがたくさんあるのだ。政治やメディアや企業もその仕組みの一つだ。

これらの歯車に取り込まれることで、どんな人間でも、平気で他人を物扱いし始めるようになる。そして、それを当たり前だと思ってしまうのだ。

これこそ、パレスチナに限らず、世界全土で起こっているNo Man化の原因なのだ。

ガザのNo Man:悲劇は続く

さて、本著の題名にもなっているガザ地区は、監獄とも呼ばれるパレスチナ自治区だ。ここに閉じ込められたパレスチナ人達は、貧しく不自由な制限の多い生活をしている。

2019年、ガザで激しいデモ活動が起こった。No Manとして不当な扱いを受けるパレスチナ人は、イスラエルに対してその当然の憤りをぶつけた。

イスラエル側は、デモを行う非力で非武装のパレスチナ人に暴力で対抗した。イスラエル兵に傷つけられた仲間を救おうとした、非武装のパレスチナ人女性看護師が撃ち殺されたニュースは世界中を駆け巡った。

2020年4月現在。パレスチナのニュースをフォローしている人はいるだろうか。私たちは、上記のように、かなりショッキングなニュースがなければ、パレスチナのことなど気にすることはないのが事実ではなかろうか。

メディアも、人の興味関心の低いニュースを流そうとはしない。No Manはこうして忘れ去られていく。

おわりに:No ManをManに

私たちは、No Man化を許す構造の中で生きている。自分のすぐ近くにNo Manがいても気づかない、気にならない。パレスチナ人を物扱いするイスラエル人と、我々その他世界の住人は、全くの同罪であると女史は考える。

社会構造に疑問をもて。自分の行動や現状に疑問をもて。相手の行動や現状に疑問をもて。自分の正義の定義を作れ。その正義の定義の根拠は何か、死ぬほど考えろ。女史は、未熟な脳みそを酷使して、常にこれを考えている。

ここまで読んでくれた読者は、きっと女史と同じで、常にこういう思考を持ってくれていると信じている。

そういう人達がいる限り、いつかNo Man化された人をManにする日が絶対来る。希望をもって、積極的に社会に働きかけていこう。

岡真理さん、女史は、”ガザに地下鉄が走る日が来る”、と思います。

女史は、それを実現する社会を創る人間に、絶対になります。



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