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随筆(2020/11/11):やれる人が、やれなかった頃のことを忘れ果てて、しかもドヤ顔をするの、この世の地獄の一つだから、予(あらかじ)め防がねばならない

1.関わり合いになりたくない世界などとは、関わり合いになりたくないが、そんな世界と和解などということをせざるを得ない人、いる

「関わり合いになりたくない世界」
ノー会話でぶち殺されたくないので、
「関わり合いになりたくない世界との和解」
を、ここ数日、ずっとやってきている。

「関わり合いになりたくない世界との和解」をすれば、俺から奪った、俺の喉から手が出るほど欲しいリソースを、8割方、しかも少しはノシつけて、「関わり合いになりたくない世界」から、返させることが出来る。
それが、私が、世界と和解しようと努める、基本的な動機だ。
やりたくてやってる訳じゃあない。

***

「関わり合いになりたくない世界などと関わり合いになりたくない人」
というの、たくさんいます。
そういう人が、好き好んでではなく、何らかの別の理由で、
「関わり合いになりたくない世界との和解」
をすることがあります。

これ、たいてい、
「そうしないやつは干し殺して良いことになっていると弁えよ」
脅迫された結果か、
「そうしない自分は干し殺される」
強迫的に思い込んだか、ふつうはこのいずれかですよ。
どっちみち、ロクなもんじゃない。
(俺は上に書いたように「奪われたリソースを取り戻す」ためにやっているのだが)

2.やれる人が、やれなかった頃のことを忘れ果てて、しかもドヤ顔をするの、この世の地獄の一つだ

しばしばあることですが、そういう人が和解に邁進すればするほど、かつて和解する前の自分がどんなやつだったか、ガリガリ忘れていく訳です。
何かが分かったら、分からなかった頃の状態については、しばしばもう分からなくなる。
記憶ではどうにもならない。意識の在り方のモードと、記憶は、同一ではないからだ。

要は、「思い出せても、分からない」ということがあり得る。
恐ろしい罠です。これを個人的には「酔ってないと見えない精霊たちの領域」と表現したい。
(『ニンジャスレイヤー』読者には『ザ・ドランクン・アンド・ストレイド』のニンジャ、バッカス=サンをイメージすれば、だいたいああいう存在、というのはお分かり戴けると思います)
かつての自分でなくなった瞬間、かつての自分や、かつての同類の考えや気持ちや感じ方が分からなくなるの、「知の呪い」とでも言いたくなります。

***

挙げ句、そうした「呪われた知」善意で強いてくるとなれば、これはマジモンの呪いでしょう。

忌々しいですよ。そういう善意の人、会話も通じないんだから。
だって、話、聞く気、ないもん。そういう人たち。
「分かる自分が、分からない相手より、偉いに決まっているが?」

という姿勢で、話なんか聞けてる訳がない。

そもそも、これ、上の話と全く同じ理屈で、
「共通認識を忘れた自分が、共通認識を保っている相手より、偉い訳がない」
んですよ。

ここを見落としていて、しかも偉そうにしている人が、何で信頼に足る、話を聞くに足る、味方だと思ってもらえる?
何かを得た代わりに、共通認識という、コミュニケーションのかなり大きな土台失っている。
しかも、伝えられない知識を手に、ドヤ顔をしてマウンティングしている。
そのようにしか見えない訳です。

(ちなみに、「そんなことしていない」という被害者ヅラも、していたら直ちにやめましょう。
ふつうに生きてると、この文脈で、わざわざ両方やってるようなやつは、ナチュラルボーン卑怯者でしかないというのは、まあ分かるでしょう。
侵略している先に対して、侵略しておきながら、反撃を食らったら直ちに自分で「この侵略者が」と言うやつがいたら、盗人猛々しいようにしか見えないのも、まあ分かるでしょう。
もし自分がそれをやっていたとしたら? これは恐るべき丁半博打だ。極力避けねばならんシチュエーションです

伝えられないんなら、その人には、伝える真実における優位性は、丸っきり「ない」ということになる。
ここは決定的に重要なところで、その人に知識があっても、伝えられていないなら、何ら人に優越できない。
コミュニケーションにおいては、伝わらなければ、どんなに賢くても無駄なんですよ。それは、要は、話されてないんだから。そこがダメならそれはダメなコミュニケーションだ。当たり前だ。
これがやれてない以上、「その人は、コミュニケーションそのものが、あまりやれてない」という話にしかならない。
残念ながら、これは、コミュニケーションあるあるだ。

まして、ここで自分が相手に優越しているような顔をしたら、何ならその人は心底バカにされるまである。
だって、実践レベルで、出来てないじゃないの。優越。
カシコからバカにされるのもかなりイヤだが、それ以上に、バカからバカにされるの、メチャクチャムカつく。こんなやつに言われたくないんだよな
えげつない言い方をすると、こうなる。
(この手のことを俺に向かって言った人もいる。えげつないしひどいこと言われてるんですが、俺が他人からこれをマジモードで言われた以上、これは反省しかあり得ない訳です

ということで、残念ながら、こういうことをしている和解者は、関わり合いになりたくない人からの恨みをたらふく買います。
ここは心底気を付けなければならない。人が善意で嬉々として頭から飛び込んでいく、あまりにも恐るべき、そして哀しき罠だ。

『スタートレック』のボーグみたいな、分かってないカシコどもに、侵略などされたくないものだ。
「抵抗は無意味だ。お前達は同化される(Resistance is futile. You will be assimilated.)」
じゃあないんだよなあ。そんなもん嫌だし、クソに決まっているんだよなあ。

***

なりたくはない化物と化していって、本当に「人とは互いに了解不能である化物」みたいなムーブをしてしまっている。
「アヒルのように歩き、アヒルのように鳴けば、それはアヒルだ」
という言い回しがある。
これは、「化物のように振る舞い、化物のようなことを言えば、それは化物だ」ということに通じる。
最悪ですよ。こんなの。

3.今の自分は、当時の日記や随筆を残そう

自分が、弱い人間であったことまで、忘れたくない。
それは失われやすい大事な知見だ。「失われたらもったいない」
としか言えない。

でも、まあ、おそらく、忘れるんですよ。
哀しいことですね。

***

だから、こうして、日記や随筆を書く。
当時の俺が何を考え、どう感じていたのか、それは書いたものの中に残る。

これは、耕すべき畑で、いつか見知らぬ自分に渡すべき田んぼだ。
美田かどうかは分からない。というか、これを渡された見知らぬ自分は、さぞや困惑していることだろう。
だが、これも資産だ。活かすも殺すも見知らぬ自分次第だ。信じて託して、役に立てばすごくいいし、役に立たなくても仕方ない。
そして、最終的にどうなるかは、今の自分の知ったことではない。見知らぬ自分のことは、今の自分は知らないし、分からないのだから。
今の自分には、見知らぬ自分に対して、してやれることなんて、「当時の色んな形の資産を、何でも残せるだけ残す」。それくらいしかないんだもんな。

(マネタイズできるかどうかはまた別の話だし、売却という形でマネタイズしたら、それは、ふつう、資産としては、「なくなる」んですよ。
そういう用途なら、最初からそういう用途の資産形成をすべきだし、それはまた別にやっていかねばならない。
何の話だっけ?

4.未来の自分は、かつての自分の日記や随筆と真剣に向き合い、読み解けるよう努力しよう

たぶん、未来の自分は、読み返しても、これを書いたかつての自分がどういうやつなのか、全部は分からなくなっていることだろう。
それは、それで、やむを得ない。

分かるよう努めよう。理解すべく向き合おう。真剣に。
これはある種の、思考法の翻訳だ。
大事な営みだ。ある種の他者理解にも通じる。

しかも、他者より、過去の自分の方が、やはり何だかんだ言っても、はるかに理解は容易い訳だ。
何より、他人への迷惑がかからないのが良い。相手は自分だからな。しかも、過去に考えたり感じたりしてはいたが、今はもう考えも感じもしない。実質的に、誰にも迷惑はかからない。

これは大事な修行です。自分を耕し、少し古い地層の、豊かな土を掘り起こす、そういう功夫(ゴンフー)です。
やっていきましょう。

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