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『映画 窓ぎわのトットちゃん』短評:「新しい戦前」に響く大野りりあなの声


はじめに

 2023年12月8日、テレビ朝日開局65周年記念作品として『映画 窓ぎわのトットちゃん』が封切られた。本作は女優・司会者・エッセイストの黒柳徹子が自身の小学校時代を回顧して著したエッセイ『窓ぎわのトットちゃん』(1981年)を原作としたアニメ映画である。黒柳の手になる原作は日本国内だけでシリーズ累計800万部を売り上げ、世界35か国で翻訳されている日本の戦後最大のベストセラー書籍であるが、黒柳はこの著作の映像化や舞台化のオファーを長らく断ってきたことで知られている。早くも『窓ぎわのトットちゃん』の文庫版あとがき(1984年)のなかで、黒柳は次のように述べて、映像化への懸念を示していた。

 この本の、映画化、テレビドラマ化、アニメ化、舞台化、ミュージカル化、数え切れない数の、お申しこみがありました。でも、私は、いわさきちひろさんの絵のおかげ、ということと、読んで下さった皆さんが、すでに、御自分のイメージで、御自分の絵を創っていらっしゃるので、それをうわまわる映像は難しい、と考え、すべて、おことわりしました。

(黒柳徹子『窓ぎわのトットちゃん 新組版』講談社文庫、2015年、363頁)
※以下、単に「新組版」と略記。

 この立場表明から約40年が経過した2023年、『窓ぎわのトットちゃん』はとうとうアニメ映画として劇場公開されることになった。その意味を映画の出来映えに照らして考えると、浮かび上がってきたのは戦争の惨禍を風化させる時代の変化とそれに対する制作陣の強い危機感であった。『映画 窓ぎわのトットちゃん』を黒柳の原作と比較したときに際立つ特徴は大別して三つある。第一に、この映画は散漫に書き継がれた原作をトットちゃんという少女の目線で整序し、小児麻痺を患った山本泰明やすあきちゃんとの交流と死別を山場とした「感動作」に仕立て上げている。第二に、この映画では小林宗作そうさく先生という教育者に捧げられたメモワール、あるいはLD(学習障害)の子供とその親を勇気づける「教育書」といった原作の装いは後景に退き、アジア・太平洋戦争の影がじわじわと日常を侵食し、東京が銃後の世界と化していくさまを活写することに力点が置かれている。第三に、子役タレントの大野りりあなが劇中のトットちゃん役を務め、黒柳徹子自身のナレーションが映画の冒頭と終盤に付されることによって、戦争の恐ろしさと愚かしさ、不戦の誓い、そして平和および自由の希求が、映画を通じて新たな世代へとたしかに継承されている。

 こうした差異によって、「これは、第二次世界大戦が終わる、ちょっと前まで、実際に東京にあった小学校と、そこに、ほんとうに通っていた女の子のことを書いたお話です」(新組版10頁)という言明はヴァリアントの狭間で絶えず相対化され、創作と記憶は区別が難しくなっていく。とはいえ、原作に書かれていない映画のシーンを完全な創作とみなすことは、黒柳が映画を監修している可能性が否定できない以上、いわゆる「慰安婦」の証言を虚言ないし記憶の混濁・改変とみなして無効化しようとするバックラッシュと紙一重であり、きわめて危険である。そこで本稿では、記録と史実に照らして黒柳の記憶を再構成した映画がどの程度事実を反映し、脚色されているのかを問うことはせず、先述した三点の特徴に沿って、各作品が照射するメッセージの方向性の違いを掘り下げていくことにする。

一、原作の散漫さと映画の過剰さについて

 まず、最初に確認しておかなければならないのは、黒柳の原作は書き下ろしの自叙伝ではなく、講談社の未婚女性向け実用誌『若い女性』に1979年2月から1980年12月までの約二年間連載されたものを一冊の本にまとめたエッセイ集だということである。『窓ぎわのトットちゃん』は、教室の秩序を乱し、教師や他の生徒の迷惑になるという理由で小学校を退学になったトットちゃんが、自由教育の求道者である小林宗作校長の経営するトモエ学園(かつて東京・自由が丘に所在)に生徒として迎え入れられるシーンに始まり、アメリカ軍の空襲によってトモエ学園が焼け落ち、トットちゃんが疎開列車で青森へ向かうところで終わっている。この一連の経過はおおむね時系列で描かれてはいるが、原作に収録された個々のエピソード同士の前後関係は不明確であり、学校生活と家庭での出来事が乱雑に入り混じったまま投げ出されていて、それらを整序・精査する仕事は一人一人の読者に委ねられている。原作はその乱雑さ・散漫さゆえに、読者によって惹きつけられる点が異なるようなバラエティー豊かな文章となっており、読んでいる最中の感覚は、私にとっては古今東西の法にまつわる小噺百篇を蒐集した穂積陳重の『法窓夜話』(1916年)を紐解いているときの感覚に近い。それに、黒柳の筆致は過剰な情感を抑えてあり、自身の記憶にもとづいて事実を淡々と伝えるものになっている。『窓ぎわのトットちゃん』は、言うまでもなくトットちゃんという小学生の日記ではなく、大人になった黒柳徹子が自分の少女時代を回顧しながら、一つ一つの思い出に後知恵すら持ち出しながら意味を与えたものである。すなわち、ここには現在と過去を往復する歴史的な思考が見られる。現在は過去によって規定されているが、その過去は現在から遡及して価値づけされることでしか生き生きとした活力を保てない。したがって、黒柳が大人になった今だからこそわかること――言い方を変えれば、当時はわからなかったこと――に言及しながら、ぽつりぽつりと物語ること自体が原作の歴史的な基調をなしており、喜怒哀楽の感情も、感謝も後悔も、そして時代背景としての軍国主義化とアジア・太平洋戦争も、すべて実にさりげなく文章に溶け込んでいる。この筆致が、黒柳自身がわざとらしい感傷的な表現を意図的に避けたことに起因するのか、はたまたあまりに大きな受け止めきれないショックによって饒舌に物語ることを封じられてしまったことに由来するのかは定かではないけれど、どこかとりとめのない、それでいてさっぱりとした読後感を与えるのが原作なのだ、ということは押さえておかなければならない。

 これに対して、『映画 窓ぎわのトットちゃん』は、「トットちゃん」というキャラクターにアニメの身体を与え、劇中の主人公として動かすことによって、共時的な没入感を生み出しており、原作において現在と結び合わされていた「歴史的」な過去は、観客やナレーターのいる現在から切り離されて、劇中の「現在」として顕現することになっている。この差異が最も大きくなるのは、トモエ学園の同級生・山本泰明ちゃんをめぐる描写である。泰明ちゃんは小児麻痺を患っており、「長い指と指が、くっついて、曲がったみたいになった手」をしていて(新組版53頁)、足を引きずって歩いている。しかし、原作において、泰明ちゃんのハンディキャップがことさらにクローズアップされることはない。言い方を変えれば、トットちゃんと泰明ちゃんの友達付き合いは特権的に描かれてはいない。泰明ちゃんがトモエ学園の同級生たちの一人として横並びで描かれていることは、トモエ学園のプールでは男の子も女の子も、ハンディキャップを持った子もそうでない子も、みんな裸になって一緒に泳いでおり、その取り組みが子供たちから劣等意識や羞恥心を取り除くのに資することになったというエピソードを読むと一目瞭然である(新組版96-101頁)。もちろん、手足に力の入らない泰明ちゃんがトットちゃんの力を借りて、生まれて初めて木登りに挑戦するエピソードには一定の紙幅が割かれてはいる(新組版107-115頁)。とはいえ、この箇所は「泰明ちゃんにとっては、これが、最初で、最後の、木登りになってしまったのだった」という不穏な一文でやにわに終わっており、次に泰明ちゃんが主題になるのは、新組版ではおよそ二百頁も後ろに位置する泰明ちゃんの葬儀のシーンを待たなければならない(新組版292-297頁)。この唐突さは、泰明ちゃんが戦争とは関係なく早世してしまった悲しみを、フリーズするような体験のままに伝えており、ドライな質感を伴って読者を置き去りにする。

 ところが、『映画 窓ぎわのトットちゃん』は、木登りの場面に加えて、プールに入ることをためらう泰明ちゃんをトットちゃんが外へ連れ出し、泰明ちゃんに水の気持ちよさや水遊びの楽しさを教えてあげたり、トットちゃんが泰明ちゃんと腕相撲をすることになり、足で十分に踏ん張ることができない泰明ちゃんに手加減をした結果、泰明ちゃんから「ズルしないでよ」と言われてしまったり、雨の街中でトットちゃんと泰明ちゃんが空想のままに駆け回って踊ったりというように、トットちゃんと泰明ちゃんの衝突や擦れ違いを含めた交流を主軸として構成されている。それゆえに、映画においては泰明ちゃんの死が観客を揺さぶって泣かせるためのフックとなってしまっている。これを「感動ポルノ」とまでは言わないが、泰明ちゃんを主人公の相手役という特権的な位置に置いたことによって、葬儀の帰りにトットちゃんが聞こえたような気がした「いろんなこと、楽しかったね。君のこと、忘れないよ」という幻聴(新組版296頁)が過剰な意味を持ってしまったのは少し残念に思う。だが、次に述べる第二点とも密接に関わるが、この過剰さこそが戦時中の「現在」をビビッドに描けるアニメ映画ならではの美点とも言いうるわけで、「原作どおりのアニメ化」ではないという点を好意的に評価することも可能ではある。これは非常に悩ましい価値づけの問題である。

二、原作の教育志向と映画の反戦志向について

 続けて、『窓ぎわのトットちゃん』は黒柳の「小林先生という人がいて、どんなに子供に対して深い愛情を持っていたか、子供たちを、どんな風に教育したか、ということを、具体的にお伝えしなくちゃ」(新組版329頁)という動機から出発して書かれており、刊行時には「この本を、亡き、小林宗作先生に捧げます」という献呈辞が巻頭に付されていたということを、改めて確認しておかなければならない。もちろん、原作に黒柳の戦争体験が一切書かれていないわけではない。ただ、それはすでに述べたように、実にさりげなく文章に溶け込んでいる。原作全編を通じて強い印象を残すのは、むしろ小学校を退学になったトットちゃんが小林校長と巡り合い、トモエ学園で個性を失わずに生き生きと過ごす姿である。小林校長は初日から四時間もトットちゃんに傾聴の姿勢を示し(新組版31-38頁)、「君は、本当は、いい子なんだよ」と声がけを繰り返してくれて(新組版244-248頁)、トットちゃんの自尊感情を守ってくれた。黒柳自身も『窓ぎわのトットちゃん』の文庫版あとがき(1984年)において、「日本の教育問題が、大変なところに来てしまって、みんなが(なんとかしなくちゃ)、と考えてるときに、この本が出たので、私は、そのつもりじゃなく書いたんですけど、『教育書』という風に読まれ、それで、ベストセラーになったのは、間違いないようです」(新組版360頁)と述べていることからもわかるように、『窓ぎわのトットちゃん』は反戦の書としてベストセラーになったわけではなく、子供のLD(学習障害)やADHD(注意欠陥・多動性障害)に悩む親や教師を勇気づける希望の書として衆目を集めたのである(*)。

(*)というより、『窓ぎわのトットちゃん』が刊行された時期において、反戦は言うまでもない当たり前のことであり、1980年代のユース・カルチャーはそうした親世代・上司世代の常識に対する逆張りとして形成された側面が強かった。アニメの文脈に限っていえば、藤津亮太『アニメと戦争』(日本評論社、2021年)の第6章(125-147頁)が1980年代における「ポスト戦後的な感性に支えられた価値相対主義」を取り上げており、一読の価値がある。

 黒柳と同年(1933年)に生まれた教育学者の深谷昌志も、『子ども問題の本棚から:子ども理解の名著25冊を読み解く』(黎明書房、2019年)のなかで、ジャン=ジャック・ルソーの『エミール』(1762年)、ジョン・デューイの『学校と教育』(1898年)、フィリップ・アリエスの『アンシャン・レジーム期の子供と家族生活』(1960年、邦題は『〈子供〉の誕生』)といった教育に関する古典的著作と並べて『窓ぎわのトットちゃん』を取り上げている。深谷は小林宗作の足跡を足早に辿りながら、小林によるリトミックを重視した自由教育の実践にフォーカスして『窓ぎわのトットちゃん』を紹介しており、「音楽教育の求道者だった小林宗作にとって、トモエ学園は子どもに音楽のすばらしさを伝える場だったのではないか。そう考えると、学園の経営は小林の人生の副産物だったように思われてならない」と結んでいる(深谷『子ども問題の本棚から』、158頁)。このブックガイドが「小中学校の教員や保育園の保育者、あるいは、地域の子ども会のリーダーなど」を読者層に想定して執筆されていること(同書1-2頁)に鑑みても、『窓ぎわのトットちゃん』が一種の教育書の金字塔として読み継がれてきたことは疑いない。

 さらに、黒柳は別のエッセイ集『小さいときから考えてきたこと』(新潮社、2001年)において、明示的にLD(学習障害)の話題にも言及している(同書92-106頁)。黒柳は冠番組の「徹子の部屋」のディレクターから「お母さんたちの間では、黒柳さんはLDだってことになってるようですよ」と聞かされたことをきっかけに(同書93頁)、NHKが放送した「変わった子と言わないで」というLDの子供についての番組を視聴し、教師から叱られるLDの子供たちが昔の自分と重なって見えて、自然と涙したことを明かしている。黒柳はLDに関するこの文章のなかで、「小林校長先生は、LDなんてことを知らなかったのに、LDだったかもしれない私に完璧に適した教育をしてくださったことがハッキリした」という感謝を改めて表明している(同書103頁)。このように、『窓ぎわのトットちゃん』は、黒柳にとっては刊行から20年を経た時点においても、小林宗作という教育者と密接不可分な著作であり続けている。また、巷では黒柳をLDの成功者として持て囃す声も少なくない。こうした点に鑑みても、『窓ぎわのトットちゃん』は主観・客観の両面において、子供の教育という文脈に置かれてきたと言うことができる。

 ところが、『映画 窓ぎわのトットちゃん』は、トットちゃんという戦時中の「現在」の少女の目線を貫徹させることによって、「小林校長と私」とでも言うべきメモワールの体裁をとらず、代わりにトットちゃんと家族を取り巻くきな臭い情勢を強調して描くことを志向した。映画では、英語が敵性語とみなされるなかで、トットちゃんのママが「パパ」「ママ」という呼称を「お父様」「お母様」に改めるようトットちゃんに言い聞かせたり、家族でのおでかけ中に華美な服装を控えるように「小天皇」然とした官憲ないし憲兵に詰め寄られたりする描写が付け加えられているほか、先述した泰明ちゃんとトットちゃんが「よーく 嚙めよ/たべものを/嚙めよ 嚙めよ 嚙めよ 嚙めよ/たべものを」という“Row Your Boat”の替え歌を歌いながら帰宅していると、見知らぬ成人男性から「卑しい歌を歌ってはいけない」と怒鳴られるという殺伐とした場面が強烈な印象を残す。これに類似したエピソードは『小さいときから考えてきたこと』および『続 窓ぎわのトットちゃん』(講談社、2023年)には収録されており、トットちゃんが冬の日曜日に寒さとひもじさに泣きながら外を歩いていると、おまわりさんから「戦地で戦っている兵隊さんのことを考えてみろ! 考えたら、寒いくらいで泣くなんて、出来ないだろう! 泣くな!」と怒鳴られたのだという(『小さいときから考えてきたこと』、44頁。ちなみに『続 窓ぎわのトットちゃん』、41頁では、「戦地の兵隊さんのことを考えてみろ! 寒いくらいで泣いていてどうする。そんなことで泣くな!」という言い回しになっている)。しかし、繰り返しになるが、原作はこうした戦争絡みの嫌な大人体験ばかりで構成されているわけではない。原作は、アメリカで生まれ育ち、日本語があまり得意でない宮崎君がトモエ学園に編入したときの話すら含んでおり、英語が敵性語とみなされるなかでも「トモエでは、いま、日本と、アメリカが親しくなり始めて」おり、宮崎君と他の生徒が英語と日本語を相互に教え合っていたことを伝えているが(新組版282頁)、宮崎君は映画では存在ごとオミットされている。この点に戦時中のきな臭さを強調しようとする制作陣の作為が見られるのは否定しがたい。

 こうした方向性は、泰明ちゃんの葬儀に続くシーンで徹底的に鋭く追求されている。トットちゃんが泰明ちゃんの葬儀会場を飛び出してトモエ学園まで駆けていくあいだ、画面上には表通りを勇ましく出征していく兵士たちに加えて、裏路地を行く体の一部が欠損した傷病兵やおそらく夫か息子の遺骨を抱いてうずくまる喪服の女性が次々と映される。このシークエンスにおいては、小児麻痺を患っていた泰明ちゃんの死と、五体満足に生まれながらこれから死へと向かっていかざるをえない、国家によって使い捨てられる命が鋭く対比されており、反戦感情と深い憐れを誘う。また、さりげない描写一つとっても、自由が丘の駅で改札係をしていた駅員のおじさんがいつの間にか女性に変わっているなど、アジア・太平洋戦争の影が日常を侵食していく様子が圧迫感をもって描かれていると評価することができる。とはいえ、よくあることながら、この映画は戦争における「臣民」の被害について活写してはいるものの、大日本帝国による加害の側面からは慎重に距離をとっている。原作には、トットちゃんが学校の帰りに、朝鮮人のマサオちゃんから「とても憎しみのこもった、鋭い声で」、「チョーセンジン!」と叫ばれたというエピソードが収録されている(新組版200頁)。これを聞いたトットちゃんのママはトットちゃんに、涙ながらに次のように伝える。少し長くなるが、重要な箇所なので引用する。

「かわいそうに……。きっとみんながマサオちゃんに、『朝鮮人! 朝鮮人!』というんでしょうね。だから、『朝鮮人!』というのは、人に対しての悪口の言葉だと思っているのね。マサオちゃんには、まだ、わからないのよ、小さいから。よく、みんなが、悪口をいうとき、『馬鹿!』なんていうでしょう? マサオちゃんは、そんなふうに、誰かに悪口をいいたかったので、いつも自分が、人からいわれているように、『チョーセンジン!』と、あなたに、いってみたんでしょう。なんて、みんなは、ひどいことをいうのかしらね……」

(新組版200-201頁)

「トットちゃんは、日本人で、マサオちゃんは、朝鮮という国の人なの。だけど、あなたも、マサオちゃんも、同じ子供なの。だから、絶対に、『あの人は日本人』とか、『あの人は朝鮮人』とか、そんなことで区別しないでね。マサオちゃんに、親切にしてあげるのよ。朝鮮の人だからって、それだけで、悪口いわれるなんて、なんて気の毒なんでしょう」

(新組版201頁)

 「かわいそう」「気の毒」という表現をどう受け取るかはともかく、全体としてトットちゃんのママは良識的なことしか言っていないが、『映画 窓ぎわのトットちゃん』がアジア・太平洋戦争を主題に選んでおきながら、この程度の意見表明すらできないのは及び腰と言わざるをえない。これは重箱の隅をつついた批判ではない。なぜなら、映画はナチスから国外追放を宣告され、日本で新交響楽団(現NHK交響楽団)を育て上げたユダヤ系の指揮者ヨーゼフ・ローゼンシュトックについては原作に沿って取り上げる一方で、朝鮮人のマサオちゃんが日本で差別にさらされていたことを窺わせるエピソードにはまったく触れていないからである。ここに制作陣の選別や恣意を見て取るのは無理からぬことである。戦争責任を引き受け、真摯に謝罪しなければならないのはドイツだけではなく、日本も同様である。映画においては、たくさん国民が傷ついて死ぬから戦争はよくないというロジックの限界があらわになっている。とはいえ、反戦を唱えないよりは不十分なロジックでも唱えたほうがマシと言わざるをえないほど、本邦の戦争をめぐる言説は劣化し、右傾化の一途を辿っているように思える。黒柳は2023年に刊行された後日譚『続 窓ぎわのトットちゃん』のあとがきで、「私が体験した戦争のことを書き残しておきたいと考えたこと」が42年ぶりに続編を執筆した動機の一つだと述べている(『続 窓ぎわのトットちゃん』、252頁)。2023年にいたって、黒柳の動機はトモエ学園および小林校長の紹介から42年越しの戦争体験の告白および記録へと性質を大きく変えている。この変化に日本の現状や国際情勢に対する強い危機感を見て取るのは不自然なことではないだろう。黒柳は「徹子の部屋」での対話を踏まえて、次のような平和への祈りを『続 窓ぎわのトットちゃん』のあとがきに書き残している。

 2022年最後のゲストは、例年どおりタモリさんだった。「来年はどんな年になりますかね」という私の質問に、「なんていうかな、(日本は)新しい戦前になるんじゃないですかね」という答えが返ってきたけど、そんなタモリさんの予想が、これからもずっとはずれ続けることを祈りたい。

(同書252頁)

 この「新しい戦前」において、『映画 窓ぎわのトットちゃん』が「原作どおりのアニメ化」を志向せず、戦争の被害にフォーカスすることを選んだのは、時局に鑑みてやむをえないことだったのかもしれない。反戦を声高に叫ぶこと自体がウリになるのは致命的な後退と言わざるをえないが、黒柳が人生をかけて追究してきた問題関心と軌を一にしたこの映画は、一定の限界はありつつも鈍いぎらつきを放っている。

三、黒柳徹子から大野りりあなの手に

 しかしながら、『映画 窓ぎわのトットちゃん』をキャストの観点から考えてみると、一縷の希望とも言うべきポジティブな面が見えてくることも、最後に述べておかなければならない。この映画が2023年12月8日に劇場公開されたことの意義は、トットちゃん役を演じた子役タレントの大野りりあなの属性と業績に着目することできわめて味わい深く理解されることになる。大野りりあなは2016年5月12日、日本人の父とイラン人の母のあいだに生まれた(2023年12月現在で7歳)。大野は小学館『ぷっちぐみ』のぷっちモデル2023(ぷっち賞)など、雑誌の専属モデルとして活動しているほか、映画やテレビ番組、CMなど様々な場で活動の幅を広げているが、『映画 窓ぎわのトットちゃん』への出演を考えるにあたり重要なのは、彼女が2023年8月に幻冬舎から一冊の絵本を出版しているという事実である。大野が上梓した絵本『ここにあったよ 自由と幸せ』(幻冬舎、2023年)は、2022年9月にイランのテヘランで発生したマフサー・アミーニーの急死事件を着想源としている。2022年9月13日、当時22歳だったクルド系イラン人女性のマフサーはヘジャーブ(イスラームの女性信徒が身に着けるスカーフ)の着け方を理由に風紀警察に拘束され、三日後に急死を遂げた。彼女の訃報はソーシャルメディアを通じて瞬く間に拡散され、「女性、命、自由」というスローガンのもと、イラン支配層への抗議デモがイラン全土に広がった。当局はこの大規模な政治的混乱の武力鎮圧に乗り出し、多数の死傷者や逮捕者を生んだほか、抗議活動に賛同した著名人に対して渡航禁止や懲役刑を言い渡すなど、厳しい弾圧をいまなお続けている。VOGUE JAPANに2023年9月14日に掲載された記事(下掲)によると、大野の絵本を作るプロジェクトは、マフサーの訃報を受けてイラン人の母親が泣き崩れるのを目にしたことから始まった。大野は悲しみに暮れる母親を喜ばせるため、「自由」の絵を描いてプレゼントしようと思い立ち、両親と「自由」について話をするなかで、より多くの人に読んでもらえるように自分のアイディアを絵本にすることを両親に提案したのだという。

 この絵本の最大の特徴は、前掲記事が伝えているように、大野の思いに共感したイラン在住の匿名のイラストレーターの協力を得て作られているということだ(絵本のイメージとなる絵は大野自身が描いたという)。イラン在住の人間がマフサーを題材とした絵本の制作に協力することは文字どおり命の危険を冒す行為であり、また絵本の制作によって、大野の母方の親戚に危害が加えられたり、大野一家が二度とイランに入国できなくなったりする可能性もゼロではない。それにもかかわらず、多くの人々の協力を得て、本書は出版された。本書は「学校で女の子と男の子がみんないっしょに学ぶ。好きな服を着ておどる。大好きなスポーツや音楽を楽しむ。インターネットでみんながつながる。人と動物が仲良くくらす」といったことが当たり前のことではない、と読者に注意を促す。本書の伝えるメッセージはシンプルながらも力強い。

今まで空気みたいだったわたしたちの自由は、当たり前のものではなかった。この広い広い世界では、わたしたちが当たり前だと思う自由を手に入れられない人がたくさんいる。

(大野りりあな『ここにあったよ 自由と幸せ』より)

 この同時代的なメッセージは、先述した「新しい戦前」における黒柳および『映画 窓ぎわのトットちゃん』の志向する平和および自由の希求と奇妙な符合を見せている。この映画は原作者である黒柳自身のナレーションに始まり、大野の天真爛漫さとお行儀のよさを兼ね備えた(聡明さ、と言い切るにはまだ時期尚早な)声によって牽引され、空襲によりトモエ学園が焼け落ちる場面で再び黒柳のナレーションによって引き継がれ、余韻を残しながら終幕を迎える。思えば、黒柳はNHK専属のテレビ女優第一号であると同時に、戦後の労働基準法の制定による子役起用の制限を背景として、子供の役柄を大人の女優が演じる実践を定着させた功労者の一人でもあった(この点については、石田美紀『アニメと声優のメディア史:なぜ女性が少年を演じるのか』青弓社、2020年、44-60頁、特に56頁を参照)。黒柳は出演したラジオドラマ『ヤン坊ニン坊トン坊』(1954~1957年)について、当時を振り返って次のように述べている。

いまでは、洋画もアニメ映画も、とくに男の子の声は大人の女優が吹き替えるのがほとんどだけど、大人が子どもの声を演じるのは、当時の放送界の常識をくつがえす出来事だった。

(『続 窓ぎわのトットちゃん』、209頁)

 そうだとすると、『映画 窓ぎわのトットちゃん』において、子役の保護に一役買った黒柳と現役の子役タレントの大野が共演を果たし、戦争を知る世代から知らない世代へと、戦争の恐ろしさと愚かしさ、不戦の誓い、そして平和および自由の希求がたしかにバトンタッチされたのは心底素敵なことだし、そのバトンの受け手が自由の価値を声高に主張しているのは高く評価せざるをえない(頼もしい、とまで他力本願で言い切ることはしない)。将来の夢は「世界の人々の想いや出来事を表現・伝達できる俳優とアナウンサーになること」と語る大野の前には、グレタ・トゥーンベリやエマ・ワトソンのときと同様に、これから幾人もの訳知り顔の自称リアリストが立ちはだかるかもしれない。『映画 窓ぎわのトットちゃん』自体はそうした手合いに対して無力かもしれないが、後年振り返ったときに平和および自由の大切さを謳い上げた記念碑的な作品となっていることを祈るばかりだ。そして、その未来を実現するのは我々自身の責務なのである。

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とめどない右傾化のなかにあっては、せめて撤退戦の置き土産として、「政治主義=輿論」に依拠したアクチュアリティを評価すべきだと私は考える。もちろん、戦争における(しばしば歴史的な)「加害」の側面を強調する立場も端的にすべての戦争を悪とするものではないから、「加害」に対する贖罪が尽くされれば反戦を声高に叫ぶ必要もなくなるという意味で、「論理の性質自体は弱い」(木庭顕『憲法9条へのカタバシス』みすず書房、2018年、7頁)。だが、専門家ではない民間人がやるべきは、論理自体の鮮やかさを競うことではないはずだ。「政治主義=輿論」に固執し、何度でも繰り返し「加害」の側面を強調して戦争放棄・反戦を唱えることは決して無意味ではない。そして、戦争放棄・反戦が当たり前になった世の中で、思う存分センチメンタリズムを堪能すればよい。

参考文献

石田美紀『アニメと声優のメディア史:なぜ女性が少年を演じるのか』青弓社、2020年。

大野りりあな『ここにあったよ 自由と幸せ』幻冬舎、2023年。

黒柳徹子『小さいときから考えてきたこと』新潮社、2001年。

黒柳徹子『窓ぎわのトットちゃん 新組版』講談社文庫、2015年。

黒柳徹子『続 窓ぎわのトットちゃん』講談社、2023年。

深谷昌志『子ども問題の本棚から:子ども理解の名著25冊を読み解く』黎明書房、2019年。

藤津亮太『アニメと戦争』日本評論社、2021年。

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