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【一般の方にも】自分の病気(慢性疾患など)を受け入れることについて①(理論編)

おはようございます。りゆです。

今回はお勉強ではなく、「こころを壊すものたちへ」シリーズの1本目です。第一回は、病気(慢性疾患など)を受け入れること(以下、「障害受容)」について、そのことについて研究し得られた理論を紹介していきたいと思います。

いつもの通り、学術的な言い回しで意味がわかりにくいのではないかと思われた箇所には「※」マークで注釈を加えています
それでは、よろしくお願いいたします。

統合失調症や双極性障害、あるいは慢性的なうつ病、その他の疾患は、生活にときに長期間否定的な影響を及ぼします(ちなみに、僕がり患しているのは双極性障害Ⅰ型です※1)。そのことに際して、世間では「病気の自分を受け入れる」といった主張や体験談が散見されますが、

・果たしてその「受容」とは、何なのでしょうか?

・どのようにすればそうした「受容」にいたることができるのでしょうか?

・そこまでにどんな段階があるのでしょうか?

ここでは、主に理論面から「障害受容」について考えていきたいと思います。

※1:双極性障害:気分が著しく高まる躁病エピソードと、意欲が低下し憂鬱になる抑うつエピソードの両病相(エピソード)を繰り返す精神疾患。躁うつ病、双極性感情障害ともいう。再発率が高く、生涯にわたって予防的に服薬することが必要な場合が多い(落合ら、2015)。

この記事では、

①  太田ら(2001)の、片マヒの当事者の記述から導いた理論
②  がん患者を対象とした、キューブラーロスの理論
③  慢性疾患についての、コービンとストラウスの理論

を元に、研究意見から考えた、いわゆる理論的な「受容論」についてまとめてみたいと思います。

 ①太田ら(2001)の、片マヒの当事者の記述から導いた理論
まず、太田ら(2001)は、日本でも障害需要の古典とされる砂原(1980)の障害受容の姿勢を、「期待せず諦めず」という姿勢として紹介しています。

また、大田らは、1985年、53歳の時に脳梗塞で後遺症が残ることになった森山志郎がたどった障害の受容(森山、2001)について、森山氏の手記をもとに検討しています。

大田らはその著作の中で、障害の受容について、
①  障害を治そうと思って努力する過程
②  そうした努力にもかかわらず回復の兆しすら見えず失意する過程
③  残存機能を基本にした新たな能力を身につけようとする過程
④  人間としての誇りを取り戻す過程
 
という4段階を提唱しています。
 
なお、片マヒの後遺症を背負った森山氏はその後、回復訓練がきっかけで隷書(書道の一種)を行う機会に出会い、それに打ち込んだ結果、「秋の区民文化祭には『弄花香満衣(ろうかこうまんえ)』という隷書の作品を小さな懐紙額に入れて出品しました。この作品が他の作品と並んでいるのを見たとき、それまでの『健常者には負けないぞ』という緊張した肩の力がスーっと取れて『ああ、いいな、左手でこれが書けたのだ』と思ったのでした」と記しています(太田、2002より、孫引き引用)。
 
大田らはこの過程に対して、以下のような「活動の段階」を提示しています。
 
①  自発的な興味
②  目的に向かって道具を整えること
③  実行

 
これらを総じて、大田らは「何よりもまず活動が組織化されることが先決である」とし、「その活動が完結したとき、すなわち目標が達成されたときに(※障害受容の)価値転換が起こる」と主張しています。このブログ?の「認知行動療法」シリーズで解説している、行動活性化療法を思い起こさせる記述で、個人的には興味深いです。
 
また、その「障碍者における活動の組織化」については、「生活習慣の再形成と共同体(仲間)という2つの側面を考えなければならない」とし、個人的な営みと、社会的な営みの双方が障害受容において肯定的な役割を果たすのではないかと記しています。
 
 ②  がん患者を対象とした、キューブラーロスの理論
国内でも有名なキューブラーロス(1969)の、死の受容についての5段階仮設についてもここで触れておこうと思います。
 
彼女は「死に瀕している患者200名以上にインタビュー」を行い、死の受容についての5段階モデルを提唱したことで知られています。
 
彼女によると、死に瀕した患者の多くは病気に直面した際、
①「いや、私のことじゃない。そんなことがあるはずはない」という「否認」あるいはそれに加えて周囲には理解しづらい振る舞いをして「孤立」が伴う段階
 
②  「ああ、そうだ。私だ。間違いなんかじゃない」という現実に直面し、「どうして私なのか」という思いに伴う怒り・激情・妬み・憤慨が生じる「怒り」の段階
 
③  「『避けられない結果』を先に延ばすべくなんとか交渉しようとする」(「神は私をこの
世から連れ去ろうと決められた。そして私の怒りに満ちた命乞いに応えてくださらない・ならばうまくお願いしてみたら少しは便宜をはかってくださるのではないか」)という「取り引き」の段階
 
④  患者が職や夢、財産など、多くのものを失っていくことによる「この世と永遠の別れのために準備をしないといけないという深い苦悩」を抱える「抑うつ」に陥る段階
 
⑤  「感情がほとんど欠落した状態」、あるいは「最期のときを静観する」、(他方で、患者は自分が「もう手の打ちようがない状態のときでも自分のことが忘れ去られていないことに気づき、慰められる」)「受容」の段階
 
の5段階仮説を提唱しました。

 ③  慢性疾患についての、コービンとストラウスの理論
最後に、社会学者のコービンとストラウス(1992)による、慢性疾患の「軌跡」についてのモデルを提示したいと思います。なお、このモデルは、慢性精神疾患を患う方にも当てはまるものとされています(ラウンスレイ、1992)。
 
コービンとストラウスによる、慢性疾患患者の「軌跡」については、以下のようなモデルが提示されています(中村ら、2006を参照)。
 
  前軌跡期:個人やコミュニティでの、慢性状況に発展する可能性のある遺伝的要素や生活習慣の存在
※発症の下地があるということ
②  軌跡発症期:兆候や症状の出現時期。診断時期を含む。その意味を見出し適応し始める。生活史は中間的
③  安定期:病みの行動と症状がコントロールされ、生活史や日常生活行動は制限内で管理される
④  不安定期:症状がコントロールされない、あるいは再発の時期。生活史は混乱し、日常生活は困難になる
⑤  急性期:深刻で緩和不能の病状あるいは合併症。入院や床上安静が必要。生活史は保留あるいは制限
⑥  クライシス期:緊急措置を要する危機的あるいは生命脅威の状態。生活史や日常生活行動は一時中止
⑦  立ち直り期:障害や病気による制限内で、受け入れられる生活への穏やかな復帰。身体的
回復、制限の拡大、心理社会的適応を含む生活史の再構成
⑧  下降期:障害の増大や症状コントロール困難を伴う、身体的衰退。生活史的適応や日
常生活行動の変化
⑨  臨死期:死の数日、数週間前。身体的終焉と生活史離脱
 
ご覧の通り、身体障害や差し迫った「死」、あるいは慢性精神疾患についてその人がどう向き合うのかということについては、さまざまなモデルが提唱されています。これらのことは、萬世的な精神疾患を抱えておられる方々のこころの動きとも、共通するところがあるのではないかと思います。
 
では現実問題として、我々はどう精神疾患という見えない爆弾を受け止めていけばいいのでしょうか。生涯の服薬、行動制限、社会復帰の断念、など?

追記ですが、障害受容に関する理論としては、他にもデンボーら(1956)による理論と提唱があります(以下のデンボーらに関する記述は、太田ら、2001年の文献を参照しています)。

デンボーらは身体障碍の受容についての検討を行っていますが、身体障碍者の心理的問題は、「不幸」(※もしくは、「不幸」段階にある状態)「世間からの評価に甘んじること」だと主張しています。

また、デンボーらは障害を「心から受け入れた」人々において、「価値観に共通する2つの変化」が認められたとまとめました。

すなわち、「価値の視野の拡大(※2)」と、「比較価値からそのものの価値への転換(※3)」です。

※2「価値の視野の拡大」:価値観が広がること。受傷後、絶望に陥った人が苦悩以外の何かに気づいて立ち直ることが必ず起こるとする
※3「比較価値からそのものの価値への転換」:自分の身体能力を他人と比べたり過去の自分と比べたりすることが、やがて人間ひとりひとり、十人十色であることに受け入れるようになるとする。例えば、「脚がない人は劣っている」という自分自身に対する考えが、「脚はあるにこしたことはない」というふうに、苦痛が緩和されることなどを指す

今回は主に理論面から「病気の受容」についてヒントになりそうな情報を、肯定的・あるいは否定的な側面を併せてご紹介しましたが、こうした理論に照らし合わせて、次回の記事では双極性障害を患う自分自身の、現時点での自分の病気について思うことを考えていきたいと思います。

ところで、私がデンボーらの理論ないしは提唱を、ここではいったん「余談」としたのには理由があります。

同じく太田らによるものですが、デンボーらの記述には「障碍者は(※健康だった自分の)喪失を受容しなければならない」と書かれているそうです。しかも、デンボーらはそうした提言を行っているにも関わらず、そのために必要な方法論について何も記していないということです。

大田らはこの点を厳しく批判し、

「不幸な障害者と不幸でない障害者を比べて、不幸でない障碍者の価値観に転換が起きていたことは事実であろう。しかし、だからといって、そこからすぐに不幸を克服するには価値観を変えなければならないなどと主張するのは間違っている」、「『価値観は変わっている』ととどめておくべきで、『価値観を変えろ』とは言いすぎである」と記しています。(もとの論文を読んでいないのですが、大田らの記述がその通りであるならば、私の意見も大田らとまったく同じものです.。「障害を受容しろ」と強制するのは、文字通り完全な強制であり、自発的な受容であれば問題はありませんが、そうでない場合(いわゆる押し付け)、本人の主体性、人間性を無視することですらあると考えます)。

繰り返しのアナウンスになりますが、次回のこのシリーズ(病気の受容編)では、私自身の当事者+心理しの目線から見た「障害(主に慢性精神疾患)」について、考えてみたいと思います。

都合上、双極性障害についての記述が比較的多めになるかもしれませんが、広く精神疾患にり患された方、そして一般の方にも読んでいただけるような内容にできるよう、こころがけてまいります。(主治医としたい話合いもあるので、執筆は9月初旬~中旬になるかと思います)

ただ、今も、おそらくは次の執筆時にも、おそらく明確な「こうすればみなさんこうなりますよ」という正解は出せないと思います。

あくまで個人的なお話として、お待ちいただけますと幸いです。

それでは、今回はこれにて失礼いたします。
こちらは少し低気圧。みなさま、ご自愛くださいませ。

引用・参考文献
・Dembo T, Leviton GL,et al(1956)Adjustment to misfortune ーA problem of sociall-psychological rehabilitation. Arifical Limbs 3 :pp
4-62
・E・キューブラーロス(1969)死ぬ瞬間 死とその過程について 鈴木昌(2001)訳 中公文庫
・森山志郎(著)・大田仁史(編)(2001)心が動くー脳卒中片マヒ者、心とからだ15年、荘道社
・中村 光江・ 下山 節子・ 阿部 オリエ(2006)「慢性疾患の病みの軌跡」モデルに関する文献検討 その1 日本赤十字九州国際看護大学intramural research report、5、71-77
・大田仁史・南雲直二(2002)リハビリテーション心理学入門 人間性の回復を目指して荘道社
・落合慈之(監修)・秋山剛(編集)音羽健司(2,015)精神神経疾患ビジュアルガイドブック 学研メディカル秀潤社
・ラウンスレイ(著)ピエール・ウグ(編)(1992)慢性疾患の痛みの軌跡 コービンとストラウスにおける看護モデル 黒江ゆり子・一橋恵子・寶田穂(訳)1995年、医学書院
・砂原茂一(1980)リハビリテーション、p131-133、岩波書店

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