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28.シチリアで寿司職人になった!

タオルミーナに引っ越してからはフットワークも軽くなり、いろいろな活動をすることができるようになりました。
当初から考えていたタオルミーナで寿司チャレンジです。


東京でやった寿司修行

このころの私はイタリアで寿司職人として働いてみたい、寿司というものがどのように受け入れられているのか自分で確かめたい、夢は大きくイタリアで寿司屋のチェーン展開だ!と思っていました。

ただし寿司を握った経験はまったくありません。
そこで知人を介して知り合った、某有名寿司店で10年働いているという職人から直々にマンツーマンレッスンを受けることになりました。

早朝の築地へ一緒に行き、魚を仕入れるところからです。
活きた天然鯛をさばいてコブジメにしたり、やはり活きたままの真ダコやスミイカの下処理をしたり、小肌をおろして酢ジメにしたり。

さらに太巻きも面白いのではないかと思い、当時、飾り巻き寿司の認定事業をしていた某氏に会いに行ったり、あの情熱、そして体力はいったいどこから湧いてきていたのか不思議です。

バールに寿司弁当を置く

いまでこそ中国人系の寿司屋まで乱立するイタリアですが、当時はまだシチリアでさえ生魚を敬遠する人が多かったです。

夏のイタリアにはヨーロッパ中から人が集まってきます。
そして、彼らのほうが現地シチリア人より寿司になじみのあることが分かりました。
留学していたときシェアハウスで一緒になったスペイン人も寿司が好きと言っていましたし。

そこで、知り合いの口利きでいくつかの観光客が行きそうなバールに寿司弁当を置いてもらいました。
夏のシチリアなのでマグロやサーモンなど生魚は避け、スモークサーモンやツナ缶を使った押し寿司や巻き寿司と一緒に日本のお弁当に入っているような総菜も詰めた寿司弁当です。

そのうち口コミで個人的に注文を受けたりもしましたが、とにかく準備が大変で、しかも大量に作っても売れる保証はありません。
タイパもコスパも悪いなと思っていたころ、いろんな人から下の町ジャルディーニ・ナクソスの魚屋へ行ってみろ、と言われるようになりました。

実は転職時期をホロスコープで占ってもらった友人に、どうしたものかとこの魚屋さんの件を相談したところ今度はタロットを引いてくれたのです。
それで「戦車」のカードが出たのでガンガン突き進めと言われ、とりあえず魚屋さんに行ってみることにしました。
連絡手段も知らないのでアポなしです。

魚屋さんで働く

タオルミーナは丘の上にそびえる町ですが、そのすぐ下の海岸線に位置しているのがジャルディーニ・ナクソスです。
ギリシャ人がシチリアにやってきていちばん最初に入植した場所として知られています。

留学時代に住んでいたアパートもここにあり通学バスでいつも前を通っていたので、魚屋さんの話を聞いたときすぐに分かりました。

ある日の午後、その魚屋さんへ行ってみるとオーナーがいました。
そして、寿司を作って売りたいのだと伝えると、すでに誰かから私の話を聞いていたのでしょう。
厨房の中を案内され、どんなふうに寿司飯を準備するのか、足りないものなどを聞かれました。

ひと通りの説明をしてここでいったん別れたのですが、すぐに電話がかかってきて明日からさっそく来てくれと言います。

ええっ!いきなり!
ものすごく驚き戸惑いましたがせっかくのチャンスだしやってみることにしました。

この魚屋さんでは鮮魚を売るほかに、隣り合った別のスペースで調理済みの魚を使ったお惣菜も売っていました。
イカや小魚を揚げたもの、魚介のパスタソース、魚介のサラダやマリネなどです。
そのスペースで寿司も売りたかったのですね。
しかも、正真正銘、日本人が作る寿司、というのを売りにしたかったようです。

さっそく次の日、朝いちばんのバスで魚屋さんへ行ったら「Sushi c'è(スシ・チェ=寿司あります)」と張り紙がしてあって笑っちゃいました。

左から私、美人姉妹の姉、オーナー、妹。はちまきのナゾはそのうちに

夏休み中の中学生と高校生のお嬢さんも毎日手伝っていました。
むちゃくちゃ美人姉妹でこの数年後、妹のほうは某ミスコンで優勝しています。

この魚屋さんでの出来事もたくさんあり過ぎて、やはりいつかスピンオフで書きたいと思っています。

寿司を作ってマーケティング

厨房には私だけでなく、お惣菜を作る人たちもいました。
道具や鍋も取り合いです。
自分で使おうと思って確保、きれいに洗っておいた鍋を勝手に使われるなど日常茶飯事。
戦場のような魚屋のバックヤードで寿司を作り、寿司を知らないイタリア人に寿司とはなんぞやと説明していたら、あっという間に夏が過ぎていきました。

私はここでお寿司を作るとき、毎週何か新しいものをひとつ作るということを自分に課していました。
そして、お客さんや働いてる人たちの反応を見るという実証スタイルの原始的なマーケティングをしていたのです。

押し寿司は「SushiPressioneスシ・プレッショーネ(圧力寿司)」。
2色の寿司飯を重ねて間にサーモンを挟みました。
手まり寿司は「SushiPalliスシ・パッリ(ボール寿司)」。
型抜きで星型にした野菜をあしらってラップで包んで作ります。
「天むす」風にシチリアでもポピュラーな海老のフリットを入れて握ってみたり。
私の作る寿司は、まるでドルチェのようだと言われるようになりました。

いちばん評判の良かった押し寿司。錦糸卵も手づくり

そして、8月の終わりに魚屋さんでの仕事を終えます。
イタリア滞在も残すところ、あと1ヵ月です。

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