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自分史|私の原点は親からの教育か。

2回目の記事投稿になります。
今回は自分自身を知る上で欠かせないのが両親との関係だろうなという事で改めて振り返ってみた!の記事。

自分のベースとなるものはどう作られたのか?

時々、自分の思考的なものはどんな偏りがあるのか?と考えることがあります。
何だか、あまり人が考えない事を無駄に考える癖があるなぁ、、と。
幸福とはなんだろう?と深く考え出したのも自分の特性からだろう、多分。
ものづくりもそうだけど、考え出したらとことん追求したくなってしまうのが私の特性。
組織のウェルビーイング⇒ウェルビーイングを深めたい⇒幸福ってなんだ?⇒個人が幸せになるには?
とグルグル考えていたら「ポジティブ心理学」というのを知って、学び出したのが最近。


話は戻って、
ポジティブ心理学を学んでいく中で、「自分の幸福はある程度コントロールできる」ということを知りました。

幸福には公式がある

ソニア・リュボミアスキー/マーティン・セリグマンの研究

幸福(H)を100%とすると40%(V)は自分の意思や行動でコントロールできる。
逆に言うと60%はコントロールできなく、生まれた瞬間から決まってしまう部分(S)と家族や居住地の部分(C)が幸福に大きな影響があると考えられている。
自分の60%の部分はどうだったんだろうと考え始め、自分の家族について改めて考えてみてみました。

両親との関わりが自分自身に大きな影響を与えている

やっぱり自分の性格的な事だったり、思考や価値観の部分て最初に教育を受ける両親の存在が大きいなぁ〜と感じます。
「親ガチャ」という言葉が数年前に話題になったけど、自分の親はどうだったんだろう。。
まず、家庭全般。
今思い返すと物心ついた時には一軒家で生活していたし、幼少期は母親は専業主婦だったので、きっとごく普通な家庭だったと思います(普通というのが良くわからないけど)
いや、恵まれていた方だったんじゃないかな。20代で父親1人の稼ぎで一軒家を建てれたって今じゃ裕福だったのかもしれないと思える。

母親はどんな人?
何かをやろうとするとまず否定から入るタイプ。
人の話をよく聞かないで「そんな事できるわけないじゃない!」「やめなさい」と一発目から言われていたなぁ。
今思うとよく自尊心を保てていたな。。
きっと高校生あたりから言われる前から準備していて、言われた瞬間「ほら出た!」とまずは否定される事を前提にコミュニケーションをとっていた事がよかったんだろうと。否定はされるけど、結果やりたいようにやらせてもらっていたので、親の心配心から出る否定だったんだろうと今は思います。

父親はどんな人?
仕事一筋、働きまくりな父親って感じ。
夜勤とかあって義務教育くらいまでの子育ては母親に任せていたんだろうと思う。母親とは逆に温厚で怒られた記憶がないくらい。
ある意味、昔ならではの父親・母親の役割を全うしていたんだな〜と。
思い出としては、父親の仕事の都合で住み慣れた場所から引っ越さなければならなくなり、転校したくなかった私は無理を承知で「行かない」と反抗し続けた中学時代は一番困らせただろう。
それでも強引に進める事はせず、無茶な話を聞いてくれた父親には感謝。
(結果、当時数ヶ月だけ父親が単身赴任になった)

振り返ると、幼少期に家族と外食したり、習い事したり、旅行に行ったりという記憶がたくさんあるので、きっと愛情たっぷり大事に育てられたんだと思う。
幼少期の親との愛着形成の部分ではしっかり育まれたと思う。

生きる力を身につけた我が家のルール

当時は全くおかしなルールだとは思っていなかったけど、私が小学校高学年位から母親がパートで働き出したのを覚えています。
母親の代わりに近所の家にチラシをポスティングする仕事をやってお小遣いもらったりしていたけど、あれは良かったのか?笑 1500円位もらっていたような。
それから、平日のお昼は学校で食べるんだけど、土日の休日のお昼は作ってもらえなかったので、お腹が減ったら自分で作って食べるというルールができていました。
休日のお昼ご飯食べたきゃ自分で作れ!ルール。
お腹が空いたら自分でなんとかしなければいけなかった。
そのせいか兄弟3人いるが、休日のお昼はそれぞれが自分の分だけの料理を作って食べるという変な光景が我が家にはありました。
「次自分がキッチン使うから〜」みたいな。
小学生から包丁使って料理をするのが当たり前。今となってはアレがあったら普通にチャチャっと料理できる人間に育ったんだなと思います。
そういえば父親も休日によく焼きそばを作っていたっけな。笑
料理って言っても、肉を焼いて焼肉のタレをかけて食べたり、チャーハンみたいな創作料理作ったりといった感じ。
一番よく作ったのはお好み焼きだったな。
父親はよく焼きそばを作って食べていて、焼きそばと魚肉ソーセージを一緒に食べるのが父親スタイルでした。

幼少期、自分の基盤を作ったのは紛れもなく両親だと思うし、まだまだ書きたい事は多くあるのだが、長くなってしまうので一旦この辺にして続きは次回にしようと思います。

次回予告。
「生まれて最初に脳に刻んだ記憶」
皆さんは覚えていますか?多分親との記憶じゃないかなと思うのですが、私はこの記憶って大事なんじゃないかなと考えたりしています。
いい記憶なのか?よくない記憶なのか?上書きはされてしまうのか。

幼少期の話は続く。。

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