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ウチとソトの関係が理解できない人
日大アメフト部の部員が、廃部方針について自分たちに何の説明もないではないかと騒いでいるらしいが、どうも違和感がある。
無実の部員諸君には大変気の毒ではあるのだが、一方で、自分の立場が理解できていないのではないかと思ってしまうのである。
同一人物であっても、その立場によって相手との関係性が変化する。
例えば、上司と部下がいて、部下がミスをしたとする。上司は部下との関係性では部下を叱責するが、対外的
お隣の国と何故解り逢えないのか?
お隣の国では、大統領選挙真っ最中だが、どちらの候補が勝っても、日韓関係が大改善するという要素はなさそうだ。
違いがあるとすれば、「自分の言い分を全部飲むなら和解してやっても良いよ」と言っているか、「和解してあげるから自分の言い分を全部飲め」と言っているかの違い(ん?どこが違うの?)。
ところで、シンシアリーさんという、日本在住の韓国人歯科医さん(今は著作業を本業にされているのかも)の書かれた本に
リベラリストの不寛容
リベラリズムはその語源からしても、個人の自由な活動を尊重するはずだ。とりわけ自由な言論はその基盤であるはず。にも拘らず現実にはどうだろう。私にはリベラルを標榜する人達ほど、自分と違う意見を封殺しようとする傾向が強いように思えてしまう。
キャンセルカルチャーという言葉がある。定義はさまざまだが、仮に「特定の発言を糾弾して、ボイコット等を通じてその人物や企業自体の発言を封じようとする活動」とでもして
中庸であることの難しさ
孔子の「中庸の徳」、アリストテレスの「中庸」、お釈迦様の「中道」はそれぞれ相当違うものだが、拘りのない心、偏りのないものの見方という意味では、ある程度共通点があるのではないかと思う。
いずれの場合でも、結論は必ずしも足して2で割ったようなものでは無く、拘らず、偏らず思考した時に、あるべくしてある結論が導かれるといったものなのではないか。
それを、政治信条について言うと、天皇独裁制を求めて街宣車