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読書記録|加藤廣『明智左馬助の恋』

読了日:2023年9月22日

 <本能寺三部作>の最後は『明智左馬助の恋』。
 明智左馬助明智光秀の娘婿で、出生は三宅氏説、明智氏説、遠山し説など幾つかあるが、作品では三宅氏説で描かれる。明智光秀の重臣であり、「本能寺の変」光秀が謀反に至る背景を克明に知っているのではないか?と思われる人物、それが明智左馬助であり、この作品では主人公として描かれる。
 <本能寺三部作>の一作目『信長の棺』では、織田信長の家臣の太田牛一の視点、二作目『秀吉の枷』では羽柴(豊臣)秀吉の視点、そしてこの三作目『明智左馬助の恋』では明智左馬助の視点、その三方向から「本能寺の変」を追う。
 著者曰く、この三方向からの謎解きを「三次元自動焦点(トライアングルオートフォーカス)」と言い表しているが、物事を多角的に理解するためにはこの手法は大切で、特に読み物としてはより一層楽しめる要素になる。

 明智光秀は、”謀反者”、”三日天下”(実際は11日間ほど)と揶揄されて、歴史上、ヒール役として扱われているが、私個人としては、実はそれほど悪い人物ではなかったのではないか?とずっと思ってきた。
 というのも、京都市東山区にある明智光秀の塚へ行ったときに、小さなお堂に新鮮な花が手向けられ、箒で掃除をしている方を見たからだ。
「現代になっても、きちんとお世話をしてる方がいるんだなぁ」
と、その姿を見て感じた。本当に光秀が根っからの悪人ならば、そんな風に光秀の塚を大切にする人もいないだろう、と同時に思ったのである。
 後から調べると、その塚のごく近くにある「餅寅」という和菓子屋さんがこの明智光秀の塚を管理をしていた。お店の方が明智氏の末裔なのかは不明だが、江戸時代から先祖代々この塚をお守りしているとのこと。つまりその時代、既に亡き明智光秀を慕っていた人々がいた、という証左になる。
 血縁者なのか、身近な存在やその子孫なのかわからないが、光秀の死後、その非豪な人生を歩んだ魂に寄り添ってきた人々がいた。そう思うと、明智光秀という人物は本当は現代のイメージとはもっと違う人物像なのではないか、織田信長を討つに至る経緯にはもっと複雑な事情が絡んでいたのではないか、などと思いを巡らさずにはいられない。
 この『明智左馬助の恋』で、その明智光秀という一人の歴史を変えた人物の姿を知ることができる。

 明智光秀の最後は、羽柴軍の猛攻から逃げ延びる際、小栗栖(現・京都市伏見区小栗栖)で落武者狩りに遭い、そのときに受けた槍で重症になり自害。首は羽柴軍に届けられた…ということになっているが、本能寺に晒された光秀の首は、手の届かぬ高い位置に置かれ、更に顔の皮膚と耳が剥ぎ取られていたため、光秀であったか否かを通行人は確認できなかった、つまり、光秀なのか否かは不明だった、という説が有力になっている。(なぜそういう置き方をしたのかは、二作目の『秀吉の枷』で謎解きがされている)
 個人的にはその首は偽物で、本物の光秀はどこかで生きながらえていたなら…、信長についても同様に、本能寺から密かに逃げ延びていてくれたら…などと思う。
 こんなに後世まで語り継がれる歴史上の人物が、あんな最後を遂げるのは勿体なさすぎて!もっとドラマを魅せてほしい、とそう願ってしまうのだ。

 本作のシリーズは加藤廣氏が参考文献を元にして書かれた歴史小説で、歴史研究家の中には批判する人もいるようだが、”歴史”というのは勝者の歴史であり、敗者は悪く書かれるもの。さらに、当時の人が書いたのではなく、現場を見ていない後の時代の人が書いたもの。そこには事実ももちろんあるだろうが、書き手の感情やバイアスでどうしても”自分好み”に偏りやすいものだと思う。完全なる俯瞰というものの見方は難易度が高い。
 読み手としては、「これはどうかなぁ?」「ひょっとしたらこの説もあるかもしれない」と文字を追いながら様々想像するのも、歴史小説の楽しみ方の一つでもある。逆に、歴史的な謎が完全に解けてしまったら、それはそれでつまらないものになってしまいそうな気もする。
 歴史は”わからない部分”があるから、浪漫があるのだと思う。

 <本能寺三部作>は、それぞれでも読み応えのある歴史小説だが、やはりどうせなら三部作全てをお勧めしたい。
 三作目の『明智左馬助の恋』を読むときには、前二作で読んだ内容の点と点が繋がる感覚を味わえて、より一層この歴史的ミステリーに没入すること間違いなしだ。

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