シェアハウス・ロック2403初旬投稿分

「老人は集団自決しろ」0301

 表題は、米イェール大学アシスタント・プロフェッサー、成田悠輔の発言であるという。私は、その発言そのものを目にも耳にもしていなかったし、どういう文脈でこういうことを成田が言ったかも知らないので、この発言自体を評価しようもない。
 それでも、「やなこったい」と、まず最初に返答をしておく。
 だいたい、「集団自決」自体、私はガイアナ人民寺院事件以外は、沖縄戦で帝国軍が住民に強制したものしか知らない。帝国軍は数々の愚行を行ったが、あれはそのなかでも最大の愚行であると私は考えている。これを美化する勢力がある。いまだに、そいつらはのうのうと生きている。私は、絶対にこれを許さない。いつか、徹底的に言ってやろうと資料を集めている。だから、「集団自決」という言葉自体に、私は嫌悪感を持ち、拒否感を持つ。まず、これを言っておく。
 発言そのものの確認も、ネットでしかできていない。よって、2次情報しか知らないことになる。その2次情報には、次のようなことも書かれていた。
・さらには、高齢化が進む日本社会の解決策として、「安楽死の解禁・強制」なども主張
・「こういう乱暴で非常識なことを言う人は、まず自分が高齢になったら率先してやりますと約束してから言うべきですね」などと批判する意見も多数投稿されている
・「これ『年寄りは死ね』って意味じゃなくて70代80代にもなって重要ポストにしがみつき若者の成長の芽を摘むような社会に将来はない、世代交代が必要ってことでしょ」といった肯定派もいる
・「ニューヨーク・タイムズ」が、「氏の極端な主張は、高齢化による経済停滞に不満を持つ何十万もの若者のフォロワーを獲得している」と紹介 
 まず一個目。「安楽死の解禁」は条件付きで私も賛成であるが、「強制」は問題外。本当にそんなことを言ったのだろうか。『ソイレントグリーン』じゃねえんだからさ。あれは、出来の悪いSFだった。
 二個目は、まったく無意味な発言である。よしんば成田がそういうこと(上記の「約束」のことね)を言ったとしても問題は問題として残るし、「そういうこと」は傍系の発言に過ぎない。だいいち、言ったとしても、なんでおまえに合わせなければならない。この意見は、そういうことだ。
 三個目、問題外。私が成田が言った文脈を知らないにしても、たぶん文章が読めない人が、自分の考えを言っているだけだ。そんな人が「肯定」しても、まったく意味がない。
 四個目、「そういう若者」も一定程度いるかもしれないけれども、「高齢化による経済停滞」はまったく的外れ。高齢者も消費はするのだから、集団自決したら、それだけでも経済規模は小さくなる。もしかしたら、壊滅的に縮小するかもしれない。これは、経済学の基本である。「ニューヨーク・タイムズ」ともあろうものが、なんでこんな意見を紹介したのか。
 成田悠輔は経済学者だそうだから、どういう根拠でこんなことを言ったか、ぜひ知りたいものだと思っている。
 私の見た2次情報では、「#成田悠輔をテレビに出すな」とハッシュタグをつけたものが拡散したとあったので、成田悠輔はテレビでこんなことを言ったのだろうか。その続報が皆無なので(私が知らないだけかもしれないけど)、また出て、なにか言ってくれないものかと思っている。そうすれば、改めて批評する。もしかしたら、批判、批難になるかもしれないけど、とりあえずは批評である。
 ああ、ちなみに、私は年金生活者ではあるが、86歳くらいまで生きないと、払い込んだ分は回収できない。いまの勤労世代には現実的に負担をかけているが、それは私のせいよりも、年金制度を設計した人間の責任である。年金制度がいずれ行き詰まることは、私の知人である渡辺乾介が、既に70年代初頭に『月刊宝石』で指摘していた。突然危機になったわけではない。
 
 
目まできたぞ0302 

「歯、目、○○」という順番で老人は弱っていくと前に申しあげたが、目までは来た。
 涙嚢が大きくなった。これはなにかの病気なのではないかと思い、眼科を受診したが、医者は病気ではないという。「念のために薬を出しておきましょう」ということで、目薬をもらった。ガチプロ(抗菌剤)、プラノプロフェン(抗炎症剤)の2種類である。2、3日さしたが、さしてもささなくても変わりないので、やめた。
 老眼に関しては、もともと近眼なので、眼鏡を外せばいまだに細かい字も読める。だから、老眼鏡は持っていない。必要ないのである。ここだけは若いぞ。
 そのかわり、目がかすむようになってきた。体の調子によるのだろうが、コンピュータの画面を見るのに、片目で見たほうが楽なこともある。これは、おそらくよりかすむほうの目の「かすみ」がノイズとなって邪魔をするのか、あるいは視差の調整がうまくいかなくなってきたのか、どっちかだろう。
 そうやってコンピュータの画面を見ていて、あるとき、使う目を変えてみたところ、左右で色がまったく違うのでビックリした。左目で見るときはやや青みがかり、右目で見るときはやや赤みがかる。なんなんだろうか、これは。なにかの前兆なのかなあ。
 このときほど派手ではないが、いまも、左右で若干色が変わっている。でも、実用上あまり問題はないので気にしないようにしている。
 余談だが、手、足に右利き左利きがあるように、目にも右利き左利きがあるのをご存じだろうか。まず、片目でものを見て、なにかわかりやすいもの(花瓶とか、置物とか)を、人差し指と親指でつくる輪っかに入れる。そうしておいて、両目を開ける。そのとき、輪っかのなかにその「もの」が入っていれば、その片目があなたの効き目である。これは、意外とご存じない人が多い。話題がないときの、酒場での、私の持ちネタである。
 私は近眼ではあるが、家のなかにいるときには、ほとんど眼鏡をかけない。家のなかではアマゾンプライムで映画を見るとき、字幕を読むためにかける程度である。ただ、外出するときには眼鏡をかける。遠くを見る必要があるためだが、それよりも眼鏡なしで外出すると、気持ちが悪くなることがあるからである。これは、前述のように、視差の調整が悪くなってきたためなのではないか。
 若いときは、そんなことはなかった。あまり自慢にならないけれども、20代の中頃、広島から岩国まで、眼鏡をかけるのを忘れて運転したことすらある。「今日はなんだかちょっと暗いな」程度の違和感しかなかった。
 ああ、そうそう。運転で思い出した。八王子に移住して、最初の免許の更新のときに書類が来て、免許書を更新したいんだったら講習料を払い、講習を受けたら更新してやらんでもないみたいに書いてあったので、頭にきて、免許書は返上した。
 その前は、新宿区四谷だったんで、車を持っているだけで100万/年かかるのがわかり、車は捨てた。車の部だけは終活がうまくいっているな。

 
指先も老いる0303

 春めくや指頭老いの忍び寄り

 あまりいい出来ではないな。だが、意味ありげではあると思う。それと、老境と俳句は親和性が高いような気がする。
 私の場合は、意味ありげどころではなく、現実に、いやおうなく老いが忍び寄ってきているのである。
 まず、コロナ騒動で、我がシェアハウスでも外出後の手洗いが推奨されたことにより、手が荒れ、特に指先、爪の両脇ががさがさになった。がさがさになって、ときにささくれ立つ。手全体もかさかさだが、特にひどいのが指先である。
 これはコロナ騒動の最中ずっとそうだった。それで、マメに保湿剤を塗ってしのいでいた。
 逆剝けは、本当は「爪の製造工場」といったところのすぐ下が剥けることで、親不孝が原因らしい(そう言われていたんだよ、実際に)。逆剝けはけっこう痛いが、指先のささくれも十分に痛い。できちゃったら仕方ないんで、爪切りで切っていた。切るのも痛いが、切らないでおいてなんかの加減でなんかに引っ掛けると、飛び上がるほど痛い。指先は神経がいっぱいあるからね。
 コロナが格下げになって、手を洗う回数も減り、多少はましになったものの、指先のかさかさ感はあまり収まっていない。
 もうひとつ指先ネタで、爪にひびが入るようになってきた。これは八王子に移ってきてからである。
 私は、ギターをピックは使わず指で弾く。それで右手の爪は伸ばしている。若いときは、横一文字によく割れた。そのときは、超深爪になるくらい爪を切るのと同じことになる。
 ところが、このごろは、親指の爪の元から先のおおよそ中間くらいに、横にひびが入るようになった。これはたぶん、年を取って爪に限らず体のあちこちで水分が不足し、弾力性に欠けるようになってきたせいではないかと考えている。
 このひびは、放っておくとさらに広がっていき、超深爪にしないと収拾がつかなくなる。そこで、瞬間接着剤で固め、爪が伸びるのを待つことになる。これは、うまくいく場合といかない場合がある。
 最近では、『買い物ツアー0227』でもらってきたおからを、翌日キッシュにしたときの後始末でひびが入った。ほかに適当な器具がなかったので、銅製の玉子焼き機でつくり(これは、キッシュなんぞをつくるには相当乱暴な話なのである)、若干焦げ付いたので、油をしみ込ませたキッチンペーパーで丁寧に掃除したのだが、このとき親指の爪に過度に力を入れてしまい、それでひびが入ったものと思われる。ただ、今回のひびは「ひび幅」がたいしたことはなかったので瞬間接着剤のお世話にはならず、その部分の爪を縦に切ることでいまのところしのげている。

 寒明の日向背丸め爪を切る

 これもまた、あまりいい出来ではない。私は俳句というか、文学には向かないのだろう。

くずれ、あがり考0304

 前回で「老い」シリーズはとりあえず終了。でも、この後も老いは待ってくれないから続編はあるはず。私も、愚痴はこぼすものの、そこそこは老いを楽しんでいる。
 次回からは、『ぼけと利他』という書籍の周辺をぐるぐると巡るシリーズになる。
 で、今回は中休み。『ぼけと利他』も、「老い」と関係がないこともない。しかも、本日の表題「くずれ」もどことなく「老い」と関連するような気がしないでもない。で、箸休めといったところである。
 私は、中学2年のときから、左翼くずれというのにあこがれた。ヘンな中学生だね。自覚はある。今回は「くずれ」が頻出するので、以降は左翼▽のように表記する。これで、左翼くずれと読んでくださいね。
 ▽志向は、小学校のころ、母親が近所のおばさんと「あれは特攻(隊)▽だね」とかヒソヒソ言っていて、その人がたまたまカッコいい人だったので、特攻隊のほうではなく、▽のほうにあこがれちゃったんだね、きっと。
 だから、私はちゃんとした左翼になる前に、左翼▽になってしまったわけである。そういうのを左翼▽というのかという疑問はもっともである。でも、なってしまったものは仕方ない。未熟児で生まれてしまったようなもんだな。
 高校生になり、演劇青年まがいになり、今度は新劇▽にあこがれた。
 ほぼ同時に、週刊誌のコラム記事(ジャズ喫茶の紹介記事だった)に、「片隅で、アナーキスト▽みたいなのがヒソヒソ」とあるのを読んで、ああ、アナーキスト▽もいけるかもしれないと考えたこともあった。
 ところで、左翼▽は聞くが、右翼▽は聞いたことがない。右翼は▽ないのかなあ。そんなこともないと思うが。ヤクザ▽、チンピラ▽も聞いたことがない。もう▽ているからか。
 ちなみに、ほかの業界に目を転じてみると、会社員、役人、政治家なんかは▽ないが、教師、学者だったらまだなんとかなりそうだ。特に後者は、都知事になってしまった人すらいる。
 役者は簡単に▽られるけど、俳優だとちょっと難しい気がする。ピアニストは難しいが、ピアノ教師はなんとかなりそうだ。ピアノ教師▽のジャズピアニストなんて、いそうでしょ?
 文学はどうだろう。文士▽、文学青年▽、これは大丈夫。ところが、文学者になるとだいぶ困難なようである。なぜだろう。属性は▽ても、本質は▽ないということなのだろうか。つまり、文学者にまでなってしまうと、それが本質になっちゃう。
「受け入れ先」の有無がだいぶ関係しているのかもしれない。建築士▽だったら、地面師(土地関連の詐欺師)という道があるし、会計士▽だったら脱税コンサルタントという手もあるので、範囲こそ狭いものの成立するのではないか。
 一方、文士▽、文学青年▽には、放送関係、出版関係等々の受け入れ先があり、けっこう汎用性があるのではないか。これが文学者にまでなってしまうと、「受け入れ先」の側でも相当に迷惑するような感じがする。
 現在の私は編集者▽である。現役の編集者時代も十分に▽ていた。自慢にとられたらこまるが、さらに磨きがかかったと思う。
 ▽に対して、アガリ(以下△)というのがある。有名どころでは芸者△があるが、前述のなかでは、無理なくアガレるのはチンピラ△くらいだろうか。ただ、ヤクザが牧師さんになった例があり、『ワシらの親分はイエス様』みたいなタイトルの本を上梓している。この場合は、ヤクザ△と言っていいと思う。
 ▽も、△も、よくよく考えてみると、なかなか奥が深い。

『ぼけと利他』(伊藤亜紗/村瀬孝生)0305

 我が畏友その1からラインが来た。「いま、老人シリーズになってるが、『ぼけと利他』を読んでみろ。ネタが拾えるかもしれないぞ」。
 で、軽い気持ちで読んでみた。ネタが拾えるどころか、これだけわからない本は久しぶりに読んだ。畏友その1は、理解できたのだろうか。
 ただ、わからないとは言っても、おもしろい本であることは間違いない。わからなくてつまらなかったら、紹介などしない。
 この本全体は、伊藤亜紗さん、村瀬孝生さんの往復メールで構成されている。お二人の紹介をまずしておく。
 村瀬さんは、「宅老所よりあい」所長という肩書を持っておられ、これは老人施設である。大学卒業後、特養老人ホームに勤められ、その後介護ひとすじの人生を歩まれた。ただ、「介護」なんぞと軽々しく言うと、村瀬さんには「それはちょっと違う」と言われそうな気がする。これについては、おいおいお話しすることになるはずだ。
 伊藤さんのほうは、東京工業大学未来の人類研究センター長、リベラルアーツ研究院教授という肩書である。
 私ごとであるが(この『シェハウス・ロック』は、全編私ごとだけどね)、ある件で某大学リベラルアーツなんだかという肩書を持っている人物と知り合いになり、それから「リベラルアーツ」ってなんだという疑問を私は持っていたのである。5年ほど前のことだった。
 今回は、リベラルアーツの解説で終わると思う。
 米国カレッジ・大学協会(AAC&U)によるリベラルアーツの定義は、

 個人の能力を開花させ、困難や多様性、変化へ対応する力を身につけさせ、科学や文化、社会などの幅広い知識とともに、より深い専門知識を習得させるための学習方法

というものであるが、これは、教育そのものの定義としても通用する。だから、依然リベラルアーツはわからない。
 同協会元理事のレベッカ・チョップによると、リベラルアーツでは次の三つの要素の育成が重視されているという。

①クリティカル・シンキング
 分析・探求・回答のための論理的意見の形成に必要であり、分野としては人文学・芸術・心理学・数学・科学など幅広い。
②道徳心・市民性
 課外や地域社会での活動、キャンパスにおける他学生や教員との交流による人間性の育成。
③知識の汎用性
 キャンパス内外での経験を統合し、授業で得た知識の汎用性を高め、多面的に諸問題を議論する。

 上記、初めの行開けから最後の行開けまではWikipediaによる(ただし、途中「というもの」~「わからない。」は私の文章)が、これも、わかったようでわからない。②はちょっと違うが、①③は、やはり学問、教育の定義そのものと言って差し支えない気がする。
 もしかしたら②が、リベラルアーツの「ホネ」のようなものなのかもしれない。

『規則より思いやりが大事な場所で』0306

 表題はカルロ・ロヴェッリという理論物理学者の著作で、新聞のコラムを10年分まとめたものであるそうだ。私はまだ読んではいない。『毎日新聞』(2月24日)に、川畑博昭という方が寄稿した書評を読んだだけである。一読し、私の頭に浮かんだのは「学際」という単語だった。だが、「リベラルアーツ=学際」では、どうもないようだ。でも、一面、学際ではあるようでもある。なんだかまだるっこしいが、このまだるっこしさが、リベラルアーツの一面なのかもしれない。
 この書評のタイトルは「リベラル・アーツの真骨頂」だった。
 川畑さんはこの書を、「この世の万物を捉えんとする彼の視野の広さに溺れそうになる」と評価し、一端に過ぎないがと留保をつけた後、目次にあるタイトルを列記する。「わたしたちは自由なのか」「確かさと不確かさの間で―その狭間の貴い空間」「アインシュタインのたくさんの間違い」「親愛なる幼子イエス様」「タコの意識」……
 これらを川畑さんはロヴェッリの著述に沿って解説しているのだが、最初のものだけを紹介しておく。

 自分たちの意思で「自由に決めた」と思っていることがらが、実はその直前に脳内の複雑な計算の結果だと知れば、これから「自由」を口にする姿勢に変化が生ずるかもしれない。

 もうひとつ、川畑さんは彼が「心の師」と呼ぶノーマ・フィールドの『祖母のくに』のなかの言葉を同書評中で紹介しているが、これもリベラルアーツに近接できそうな手立てとして有効のような気がする。
 彼女は、「『すべては密接であれ遠くからであれ、関連しあっている』と言い、また、一般教養教育を、『愛によって生気を与えられるもの』とした」という。
 前回お話しした「リベラルアーツの人」とお会いした後、それも比較的すぐに、どこかで「一般教養としてのリベラルアーツ」という文言を読んだ。その「リベラルアーツの人」は、舞踏関係のなにやらをやっている人だ。舞踏と言っても、暗黒舞踏と呼ばれていたものである。
 だから、『ぼけと利他』を読むまでは、私にとってのリベラルアーツは、昔々の「カウンターカルチャー」といったものに近く、しかも、「一般教養」と完全イコールではないものといった程度の認識でしかなかったことになる。
 いずれにしても、「とらえどころのないもの」として、私はとらえていたことになる。あっ、『「とらえどころのないもの」としてのリベラルアーツ』という書名で、誰か解説書を書いてくれないものか。私は読むよ。 

  
【Live】新自由主義の亡霊0307

『ぼけと利他』ネタがせっかく佳境に入りそうなときに、竹中平蔵がとんでもないことを言い、これはちょっと黙っていられないので、コメントする。
 ネタ元はネットニュースであるが、そのさらにネタ元は日刊ゲンダイDIGITALのようだ。以下、ネットニュースそのまま。ただし、最初の「」を〈〉に変えた。たぶん書いた人の間違いだと思ったからだ。また、ネットニュースには、竹中平蔵氏、竹中氏とあったと思うが、氏は省略する。他意はない。

 自民党派閥のパーティー裏金事件に対し、竹中は、自民党の裏金議員を擁護するような発言をした。ネットニュースによると、竹中はネットメディア「MINKABU」に2日、〈『政治家の5年1000万円不記載で過剰にガタガタすべきでない』全員が潔癖だと、社会はなかなか成り立たたない(原文ママ)〉〈「そういうことは起こり得るな」と社会が許容度を持ってないと〉〈川の水が清すぎると魚は住まないのです。(中略)グレーゾーンの部分については、ある程度許容することが健全な社会には必要〉と書き込んだという。

 この短い引用のなかで、竹中は「(全員が潔癖だと)社会が成り立たない」「社会の許容度」「健全な社会」と、三度も「社会」について御託を並べている。じゃあ、おまえは小泉純一郎とツルんで、どんな立派な社会をつくったのか。
 おまえらがやったことは、工場労働にまで非正規雇用を拡大し、日本の雇用構造をぐちゃぐちゃにし、そうやっといておまえはちゃっかりと、非正規の大元締めたるぱそなの会長に収まったんじゃなかったのか。
 その前に、郵政改革に名を借りて、郵貯に積みあがった資金(=国民の富)の投資先の縛りを外し(それまでは国債を買うくらいしか運用はできなかったはずだ)、怪しげな株や、あろうことかアメリカの国債を買ったんじゃなかったか。
「川の水が清すぎると魚は住まないのです」としたり顔で説教をしているが、これは白河侯松平定信による「寛政の改革」で「清くなり過ぎた」ために、経済を始め文化までがシュリンクしてしまったことを嘆き、賄賂が横行したが元気ではあった田沼意次時代を懐かしんだ庶民の心情をうたった狂歌が元だろう。全文を紹介する。

白河の清きに魚も棲みかねて もとの濁りの田沼恋しき

 じゃあ聞くが、竹中さんよ、いつ「清く」なったんだね。教えてもらおうじゃないか。
 ネットニュースは、次のように続く。

 さらに、竹中は今の騒動について〈これは自分に対する不満を他人にぶつけている状況なんです〉。裏金議員を批判する報道記事が増えていることに関しては〈読む人にも責任があります〉と評価。〈社会がいくら暗くても、それぞれやりがいを持って生きていたら、そんなころどうでもいいと思うはずです(原文ママ)〉などと主張している。

〈これは~状況なんです〉に関しては、下司の勘繰りとまず言っておく。「下司には下司を」と聖書にある(冗談です)。だから、裏金議員や、こういった手合いを支持する岩盤層を念頭に、そういう連中は「自分もそうなりたいとあこがれるか、せめてそのおこぼれにあずかりたいと希求している状況なんです」と言っておく。
 そのネットニュースにあった、たぶん『日刊ゲンダイ』に掲載されただろうコメントを最後に紹介する。私も100%五野井さんに同意する。

「新自由主義を採用して格差を拡大させ、社会を壊した張本人に『社会がいくら暗くても……』と言われる筋合いはありません。自民党議員を擁護したかったのかもしれませんが、国民の怒りの火に油を注いだも同然です」(高千穂大教授・五野井郁夫氏=国際政治学)

既視感0308

『ぼけと利他』を読んでいるとき、「なんともとらえどころのない本だなあ」と感じたのだが、同時に、既視感にとらわれてもいた。それも二種類の既視感である。
 ひとつめの既視感元は、80年代に「認知科学」という分野に対し感じたことからきている。当時の認知科学は、私の理解では、①脳の働きはわからない ②でも、コンピュータの働きはすべてわかる ③よって、コンピュータを「粗末な脳」と考え、脳の働きを探ってみよう というものだった。
 私は、日本での実質一回目の認知科学会のカンファレンス、二回目の北海道大学で開かれた本格的な認知科学学会の両方に参加している。刺激的ではあったが、心理学、脳科学、コンピュータ科学etcetcなどから参入し、参入どころか越境、乱入もあって、とりとめがない、とらえどころがないという感想だった。つまり、このことを元にする既視感であった。でも、おもしろいことはおもしろかった。その後、認知科学がどうなったかは、私は追えていない。こんど、追ってみるかな。
 もうひとつの既視感元は、もうちょっと発生が深い。私は小学5年からジャズを聴き始めたのだが、当初、「これはなんだろう」と思った。それまで私が聴いていた音楽は、歌謡曲、民謡(含むわらべ歌)、童謡、浪曲、洋楽、クラシックがせいぜいだった。洋楽は、小学2年でエルヴィス・プレスリーにいかれたので、5年でジャズはまずまず順当な成長ぶりである。まあ、早熟ではあったな。
 ただ、ジャズがいいなあとは思った。でも、「これはなんなのか」がわからなかった。それで、「これはなんなのか」が書いてありそうな本にあたってみたのだが、それでもわからなかった。よくあった説明は、「奴隷として連れてこられたアフリカ人が、アメリカで西洋音楽に出会って生まれたもの」というものだった。でもこれは、アフリカから連れて来られた人たちの状況を説明しているだけである。そこでブルースも生まれた。だから、ブルースからジャズが分岐した時点を説明してもらわないと、全然納得はできない。ああ、言っておくと、私個人はブルースからジャズが分岐したとは思っていない。関連がないことはないが、出自は若干異なると思っている。
 ああ、そうそう。ジャズの話ではなく、『ぼけと利他』の話だった。
 これら3つのネタには共通点がある。
 これらは、演繹的に理解するのも説明するのも非常に困難であり、帰納的にわかるほうが早道であるという共通点である。もっとも、リベラルアーツに関しては、そんな気がするというだけである。わからないんだからね。当然そうなる。
『ぼけと利他』という本も、なんともとっかかりのない本であるが、この程度まで考えたあたりでは、『ぼけと利他』という本自体も、リベラルアーツそのものではないかもしれないけれども、その強い影響下にはあるということはわかってきた。まあ、考えればあたりまえだけど。リベラルアーツの人が半分は書いてるんだからね。 

認知症でなく、「ぼけ」0309 

 2月28日の毎日新聞朝刊に、「人生を取り戻す対話」というタイトルで、認知症の患者さんと「向き合う」繁田雅弘さんという精神科医の話が掲載されていた。80年代、繁田さんは、認知症を病気、それも、治療困難ではあるが治療しなければならない病気として、とらえていたようだ。

 本人に、「今日はどのような気分か」「つらいことはないか」「今やりたいことは何か」などと問うことさえしなかった。なぜ本人の思いに関心が向かわなかったのであろうか。(中略)認知症疾患の人は何も理解できないと一方的に思い込んでいたのであろう。(『認知症の精神療法 アルツハイマー型認知症の人との会話』(繁田雅弘・HOUSE出版)

 そして、繁田さんは、「もっと本格的に話を聞ければ見えてくることが必ずある。大切なことは患者さんが教えてくれるはずだ」と思い至るようになり、そのような「向き合い方」を始めたとおっしゃる。
 同記事のなかで繁田さんは、次のように発言をしている。

 本人が伝えようとする思いに目を向ければ、すごく豊かな話ができる。自分は指導する人でも誘導する人でもなく、本人をちょっと後ろから見守る伴走者のような感じかな。

 ちなみに、繁田さんは、神奈川県平塚市のご実家を改装し、「SHIGETAハウス」を立ち上げた。これは、認知症の人たちが安心して集える場所として機能している。このあたり、『ぼけと利他』0305で紹介した村瀬孝生さんが運営する「宅老所よりあい」と通底する理念を感じる。
 なんども同じことを言うが、我が畏友その1に教えられた、なんともわかりにくく、つかみどころのない『ぼけと利他』(伊藤亜紗/村瀬孝生)を読んだ効果として、この記事にも目が向いたのだと思う。もしそうでなかったら、この記事はさらっと読んでそれでおしまいだったはずだ。
 本日紹介した記事によって、伊藤亜紗/村瀬孝生両氏が、いまでは差別用語と捉えられかねない「ぼけ」を書名に選んだ理由がわかるような気がした。
 また、その理由こそが、この書籍の周りをぐるぐると回るようになってしまった私の、「理解しようとしているもの」の正体、あるいはそれに近いものなのかもしれない。
「ぼけ」についてもう一言。
 以前、がんの話をしたときに、私ががんの手術で入院中がんの本を読みまくり、そのなかの一冊、吉田富三の著作のなかの言葉を紹介した。それは、「がんも身のうち」というものだったが、この言葉になぞらえると「ぼけも身のうち」となる。認知症と言ってしまうと、それは「直すべき」病気になるが、「ぼけも身のうち」であれば、それは多かれ少なかれ、人間の本性のようなものと感じられてくる。 

【Live】貧乏と貧乏くさいと0310

 トランス脂肪酸をなるべく使いたくないので、我がシェアハウスで調理に使う油はオリーブ油とゴマ油である。ところが、オリーブ油が難物。使う分は表に出しておき常温だが、封を切った保存分は冷蔵庫にしまう。これにオリーブの花粉だかなんだかが入っていて、それを核にしてだろうが、半固形化してしまう。これを常用分の容器に移すときが一苦労である。温めれば液化するのだが、何回もこれをやると劣化するような気がする。
 常用瓶はゴマ油の空き瓶を使っていた。その瓶に半固形化のまま移すことになるわけだが、これに大変な時間がかかる。そこで私の立てた作戦は、次にゴマ油の空き瓶が出たらそれを「控え」の容器にし、冷蔵庫に保存しておくというものだった。常用分がなくなったら、「控え」を冷蔵庫から出しておけば、自然と常温になり、簡単に液化する。
 で、ゴマ油が空になったのでていねいに洗い、乾かしておいた。もう乾いたかなと思ってキッチンに降りていったところ、ない!
 我がシェアハウスのおばさんの魔の手にかかったのである。しかも、魔の手は周到で、あろうことか瓶口のプラスチックの油切りを切って外してしまったのである。あの口が油には有効なのになあ。復元しようもない。
 私の悲嘆ぶりに暴虐非道のおばさんも若干は反省したのか、100均でドレッシング入れみたいなものを3個買ってきた。「これに、封を切ったオリーブ油を入れればよろしい」というご託宣である。
 アレを使うくらいの知恵は、私にだってあった。ただ、アレはプラスチック製で、なんだか貧乏くさくていやなのである。これ、「びんぼっくさい」と、「っ」を入れて読んでね。
 私は一貫して貧乏だったので、貧乏は平気である。だが、貧乏くさいのはいやだ。貧乏はいやおうないものであっても、貧乏くさいのは選択で回避できる。そこが大きな違いで、貧乏くさいは自分で選んでしまった結果だと私は考えている。
 このあたり、吉行淳之介先生のおっしゃったことと類似している。先生は、「柄が悪いのはしょうがないが、下品なのはダメだ」とおっしゃった。週刊誌の対談のなかのことで、私は若いころに読んだ。つい最近、山本夏彦先生の『文語文』で、吉行先生は「文章は(思想も)その新しいところから腐る」ともおっしゃったことを知った。なかなかの先生であると思う。
 吉本隆明さんは、岸上大作さんの追悼で、「荒々しい貧乏はまだ耐えられるが、穏やかな貧乏はキツイ」という意味のことを書いている。岸上大作さんは、母子家庭で育ったのである。
 貧乏も、貧乏くさいも、なかなかに奥が深い。
 ところで、常用瓶(ゴマ油の空き容器)はもうひとつ(つまり使っていた分)ある。空になっていたのでていねいに洗い、秘蔵することにした。さすがのおばさんも、100均のドレッシング入れが貧乏くさいのに気が付き、廃棄に走るのではないかと期待できるからだ。アレを目の当たりにすれば、貧乏くさいを実感するのではないか。そのときを期して、秘蔵しておくことにした。

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