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マドンナの「マテリアル・ガール」風刺が刺さる女性の物欲世界の歌詞に肉迫!


「マテリアル・ガール」(Material Girl)は、1984年11月30日に発売されたマドンナの7枚目のシングル。発売元はサイアー・レコード(ワーナー・ブラザース・レコード)。

解説
2ndアルバム『ライク・ア・ヴァージン』から2枚目のシングルカット。

ミュージック・ビデオは映画『紳士は金髪がお好き』で使用された「ダイアモンドは女の親友 (Diamonds Are a Girl's Best Friend)」のオマージュ。マドンナはこの曲のヒットに対し「売れるとは思わなかったわ。売れるとか売れないとかで私が良い判断をしたことがないからね」。

その後、マドンナは娘のローデス・マリア・チッコーネ・レオンと共にファッションブランド「マテリアル・ガール」を設立したが、LAトリンプが同名の自社ブランドをすでに設立しており、1997年に商標登録を済ませていることから、LAトリンプが同名の自社ブランドをすでに設立しており、1997年に商標登録を済ませていることから、LAトリンプがマドンナに対して訴えを起こした。マドンナは「シングルもリリースしたし、自分こそが『マテリアル・ガール』だ」と反論したが却下された。

アナログ盤 (7inch)

[A-SIDE]

  1. Material Girl [4:00](作詞・作曲:Peter Brown, Robert Rans)

チャート成績(1985年)
最高順位
アメリカ(Billboard Hot 100)2位
イギリス(全英シングルチャート)3位

歌詞 対訳 

マテリアル・ガール / マドンナ
Material Girl / Madonna

私にキスをする男の子もいる
私を抱きしめる男の子もいる
彼らはオーケーよ
でもちゃんとお金をくれないと
私は歩き去る

私に頼めるし 嘆願もできる
でも光は見えない
私は知っているの
お金を持っている男の子が「ミスター・正解」

物欲が渦巻く世界で暮らしている
それに私は物欲の塊みたいな女の子よ
×2

ロマンスの男の子もいる
スロー・ダンスの男の子もいる
それは正しい
でも私 金利を上げなければ
彼らを放っておくしかない

トライする男の子もいる
嘘をつく男の子もいる
でも彼らとは遊ばない
お金を貯めるだけの男の子は
私の人生を雨の日にする

物欲が渦巻く世界で暮らしている
それに私は物欲の塊みたいな女の子よ
×2

男の子達はやって来て去っていく
それでいい
経験は私を豊かにする
そいて彼らは私についてきてる

私たちは物欲が渦巻く世界で
生活していることを人は知っているわ
そして私は物欲が大好きな女の子なの
Au… 物質の 物欲の 世俗的な 肉体的な世界…
物質… 物欲… Au… 世俗的…
(物欲の世界で暮らしている…)


1984年発表の、マドンナの2枚目のアルバム
ライク・ア・ヴァージン/Like a Virgin

このアルバムから2枚目のシングルカット。
「マテリアル・ガール」は、マドンナのニックネームにもなっています。

下記リンク先が元記事になります。

マドンナ【マテリアル・ガール】歌詞を和訳して解説!ある意味憧れる女性!?「マテリアル」の意味って? - 音楽メディアOTOKAKE(オトカケ)

1984年に発表されたマドンナの初期の名曲「マテリアル・ガール」。今でもマドンナのステージで歌われる名曲です。この曲を理解するには「マテリアル」という言葉の解釈が鍵になります。歌詞を和訳して解説いたしましょう。  nakaochisato

「マテリアル・ガール」の世界デビュー

とにもかくにも新しい女性像の登場

1984年11月30日発表、マドンナの通算7作目のシングル曲「マテリアル・ガール」。

世界的な大ヒットになったセカンド・アルバムの「Like a Virgin」の冒頭を飾る楽曲でもあります。

代表曲が集中する初期のマドンナの作品の中でも屈指の名曲でしょう。

ただし「マテリアル」という日本人にはあまり馴染みのない単語の解釈が難しいかもしれません。

このワード「マテリアル」の様々な意味が色とりどりに用いられた歌詞和訳して解説します。

マドンナ旋風が吹きすさぶ中、世界中で大ヒットしたこの曲。

彼女自身は「私はマテリアル・ガールではないの」とも語っているので歌詞の真相に迫ります。

自身の欲望に素直な女性像を歌い上げたダンス・ポップスの名曲です。

リスナーとして感じた新時代の予感に湧き上がった興奮のようなものを率直に伝えられたら嬉しいです。

それでは実際の歌詞を見ていきましょう。

めちゃくちゃモテる女の子


「上から目線」で斬りまくる

Some boys kiss me, some boys hug me
I think they're o.k.
If they don't give me proper credit
I just walk away

歌い出しです。

主人公はめちゃくちゃモテる女の子だと分かるはず。

歌詞を和訳いたしましょう。

「キスしてくる男の子たちもいれば ハグしてくる男の子たちもいるけれど

そんな子たちはまあまあOKだと私は思う

でもその子たちが私のことをなめてかかったら

私はその場を立ち去るわ」

キスやハグが普通なアメリカ社会は日本の感覚では理解しづらいでしょう。

今の日本でこんなことをしようものならセクシュアル・ハラスメントと捉えられます。

主人公の女の子はとにかくモテるのですが、そのためにプライドも非常に高い人物です。

「o.k.」という言葉は和製英語とは少しニュアンスが違って「まあまあね」くらいの意味になります。

歌詞に何となく漂う雰囲気は絶えず「上から目線」の女の子の姿なのです。

容姿端麗なマドンナでないと歌えなかったポップ・ソングでしょう。

自己評価が非常に高い少女なので見くびられると途端に苛立つようです。

自己主張できなかった1980年代の日本社会の女性たちにとっては眩しい存在に思えたのでしょう。

マドンナ自身は「私はこんな女の子ではない」と思っていたでしょうが。

しかしこの歌で彼女のパブリック・イメージが決してしまった側面もあります。

こうした誤解はポップ・スターの宿命的な悲劇なのかもしれません。

1984年という奇妙な時代

日本はバブル経済前夜

They can beg and they can plead
But they can't see the light(that's right…)
'Cause the boy with the cold hard cash
Is always Mister Right

こんな女性ですから色々と口説かれます。

「男の子たちはせがんだり 嘆願したりして私を口説く

でもそうね あの子たちは本質が見えてないわ

なぜって現金を持っている男の子だけが

いつだって正義の男よ」

言葉足らずで分かりにくい点は補って意訳しました。

この女の子の精神的に未熟な側面が奇しくも垣間見える箇所です。

男の子たちが明かりに群がる昆虫のように寄ってきて大変なよう。

彼らは様々な愛の言葉を投げかけて女の子を口説くのですが、彼女は分かっていないなあと溜息をつくのです。

男の価値は現金をいくら持っているかよと女の子ははっきりいいます。

それもひとつの価値観ですが、精神的に未熟な女の子の夢想ともいえるでしょう。

社会に出るとこうした価値観は夢物語として脆く崩れます。

特に今の日本社会でこうしたことを言明するのは炎上すること間違いないです。

しかし時代は1984年。

アメリカ経済もレーガノミクスで好調でしたが、日本社会は後のバブル経済期に向けてイケイケだった時期。

日本の女性たちもマドンナの歌とこの歌詞に率直さを見出して、新しい時代の女性像として歓迎します。

この時期の日本人の経済観念はタガの外れたものでした。

しかし「失われた30年」で萎縮してしまった意識よりは健康的であったのかもしれません。

資本主義社会が金銭欲を否定してしまったならば、その社会は後退するしかありませんから。

制作作家陣はこうした考えが正しい、あるいは正義だとしてこの曲を書いたわけではないです。

どこかこうした女の子の価値観の皮相さを表現したかったのでしょう。

また繰り返しになりますがマドンナ自身も「マテリアル・ガール」だと思われることを拒否します。

様々な読み方ができたはずですが、経済がイケイケのときは享楽的な側面が受けるものでしょう。

またマドンナ自身がゴージャスな服装に身を包んでも絵になった女性であったことが誤解を生みました。

マドンナのパブリック・イメージをこの曲の歌詞に見出す人が大勢だった。

その後、シリアスな社会問題に切り込むアーティストになったので、こうしたイメージも少しずつ溶解します。

時代は変わるものです。

「マテリアル」をどう訳す

物欲にまみれた世界の有り様

'Cause we're living in a material world
And I am a material girl
You know that we are living in a material world
And I am a material girl Au…

有名なサビです。

タイトル回収がなされます。

「なぜなら私たちは物欲が渦巻く世界に生きているから

それに私は物欲の塊みたいな女の子よ

私たちは物欲が渦巻く世界で生活しているってあなたも知っているわ

そして私は物欲が大好きな女の子なの」

「material=マテリアル」の解釈が中々難しいかもしれません。

「物質中心主義の世界」というのが直訳になるでしょう。

しかしそれでは意味が通じない側面もあります。

「material=マテリアル」の意義から「物欲」という訳を採用しました。

自然界としての物質的世界という意味もありますが、資本主義社会の現状である物欲至上主義と解釈します。

私たちが暮らすのはこうした物欲などの欲望が社会の進歩さえも呼び込む世界です。

自由、平等、博愛、そんな精神こそが進歩の原動力と思われた時代は遠くに置かれます。

率直にいって欲望こそが社会を支配する第一義的な原理です。

マドンナの「マテリアル・ガール」はそうした社会の在り方に対して皮肉を交えた戯画を描きました。

女の子の男性に対して望む価値観にまで世俗的な欲望が染み付いていること。

それは本当に正しいことなのか。

「マテリアル・ガール」には一切の批判的な文言が書かれていません。

しかし制作作家陣はドラマに昇華してこうした異常な側面を描いたのです。

ただしいくら皮肉を伝えてもこうした社会の在り方を止めることまではできません。

あなたも知っているわよねという言い方で女の子が物欲にまみれた世界の在り方を語ります。

本当にこうした女の子がいることも何ら不思議がないというグロテスクな真実。

「マテリアル・ガール」の描写は露悪的になる一歩手前でキャンディの包みの中に詰め込まれるのです。

本当によくできた歌でしょう。

歌詞に滲む皮肉は届いたのか

マリリン・モンローの後継者の登場

Some boys romance, some boys slow dance
That's all right with me
If they can't raise my interest then I
Have to let them be

男の子たちの呑気さと比べると女の子の意識のシビアさが際立ちます。

「ロマンスを演じる男の子たちもいるし スローダンスに興じる男の子たちもいる

そんなの別に私は大丈夫なのだけれど

私の興味を惹けなかったら

彼らはお断りするわ」

ここでも女の子は「上から目線」で男の子たちを品定めします。

男の子たちはあの手この手で女の子を口説くのですが彼女の価値観ではズバリ落第するのです。

先程見たようにこの女の子はあくまでも「マテリアル・ガール」。

ロマンスが社会を生きる上で何の役に立つのだろうくらいの気持ちがあるはず。

暇つぶしには丁度いいけれど、本気にはならないの。

そんな気持ちが透けて見えます。

この時代は日米貿易摩擦などがありました。

言い換えれば経済の領域では超大国アメリカと日本が張り合えた稀少な時代だったのです。

日本でも好調な経済を背景にこうした現金な女性たちが増えてきた時期でしょう。

「マテリアル・ガール」の背景にある皮肉まで読み込むことなくマドンナを愛した時代。

見た目の美しさに目を奪われて新時代のマリリン・モンローとして歓迎します。

しかしマリリン・モンローも素顔は真摯な女優であったように、その後のマドンナも時代の闘士になりました。

まだマドンナというアーティストの真価が分からないままに受容していたある意味お気楽な季節。

それが「マテリアル・ガール」が受けた所以でしょう。

小銭を貯める少年が一番


この曲の受容のされ方はコメディのよう

Some boys try and some boys lie but
I don't let them play(no way…)
Only boys that save their pennies
Make my rainy day

遊び人の男の子たちは論外なようです。

「頑張っている男の子たちもいれば うそぶく男の子たちもいるけれど

遊んでいるだけの輩たちはごめんだわ

小銭を貯め込んでいる男の子たちだけが

私が経済的に苦しいときに役に立ってくれるの」

遊び人は浪費癖があるので女の子の審美眼では落第するのでしょう。

その代わりにこつこつと貯金をしている男の子は頼れる人間として最大の信頼を寄せます。

「マテリアル・ガール」は意外なようですが派手な遊びはしないようです。

堅実な倹約家を好きになる。

好きにならなくても困ったときに頼りにする。

「失われた30年」を経た今の日本ではこの価値観は受け入れられやすいものかもしれません。

一方でバブル経済前夜はとにかく享楽的に過ごしていた日本の若者たち。

この傾向の中で若い女性たちは実際にはあまりお金を使いませんでした。

というのは男性が女性のために交通費含めてお金を出すのが当たり前のマナーという時代だったのです。

若い女性たちの中にはブランド品に身を包むようなことを一番価値のあることと考える人たちもいました。

そのブランド品も男性たちに貢がせたものこそがいい女の条件だと思っていた節があります。

今は遠い昭和の話です。

しかしこうした時代背景の中でマドンナは日本でも旋風を起こします。

経済が好調だった先進国では彼女のゴージャスな美しさが羨望の的でした。

マドンナ自身がアメリカン・ドリームを昇りつめて超VIPの仲間入りをします。

そうすると彼女自身がお金に困るようなシチュエーションはなくなるのです。

小銭をこつこつ貯めるようなタイプの男性に惹かれる訳がないでしょう。

しかしマドンナに憧れる女性たちは「マテリアル・ガール」の後追いを続けるのです。

それはもはや救われないコメディのようでしょう。

歌は時代を映すとは「マテリアル・ガール」のためにある言葉かもしれません。

相変わらず「上から目線」

マドンナは稀代のショー・ガール

Boys may come and boys may go
And that's all right you see
Experience has made me rich
And now they're after me

間にリフレインを挟みます。

繰り返しになりますので訳出を省きました。

「男の子は近寄ってきたかと思えば 立ち去ってゆくのね

別にそれで構わないわ 分かるかな

経験は私を豊かにしてくれる

そして今では男の子たちは私を欲しがるわ」

「マテリアル・ガール」である女の子もどこか達観してきました。

歌詞の中で大人の情緒が芽生えたのかなとも思うのですが、もう少し慎重に見ていきましょう。

相変わらずの「上から目線」で男の子たちは皆が私の虜よと歌います。

絶対的な自信の裏付けがある女性を演じられるのはマドンナしかできないことだったのかも。

傲慢ささえ滲むのですがこれは最強の女性のマドンナの歌。

とはいえマドンナはブレイクするまで辛酸なめた苦労人中の苦労人としても有名です。

美貌は不遇な時代から健在でしたが、美人故に背負った苦労が多すぎました。

「若い頃の苦労が実を結ぶ」という表現にするには若すぎる歳で大ブレイクを成し遂げます。

しかし大ブレイクした後にメディアが彼女の暗い過去を掘り下げるような真似を盛んにしました。

有名税というものがあるにしても可哀想な境遇。

彼女はそうした苦労を思い起こしながら「私はマテリアル・ガールではない」と主張したのでしょう。

様々なスキャンダルで浮き名を流しました。

しかし一方でシリアスな局面で政治文化や社会問題に切り込む姿勢を毅然と示します。

総体として彼女の社会的地位や尊敬の度合いは年々増すばかりです。

それでも今なおステージで「マテリアル・ガール」を歌うというのもショー・ガールの真骨頂。

改めてマドンナはすごい女性アーティストです。

いよいよクライマックスの歌詞になります。

「マテリアル・ガール」と20世紀末


日本での当時の議論は

Living in a material world
And I am a material girl
You know that we are living in a material world
And I am a material girl
Au… A material A material A material A material world…
Material… Material… Au… Material…
(Living in a material world…)

曲を聴いていただくと分かるはずですがこの間にまたサビのリフレインがあります。

そしてクライマックスの歌詞もまたリフレインを含むのです。

繰り返す箇所は意訳でお届けし直します。

「物欲が渦巻く世界で暮らしている

それに私は物欲の塊みたいな女の子よ

私たちは物欲が渦巻く世界で生活していることを人は知っているわ

そして私は物欲が大好きな女の子なの

Au… 物質の 物欲の 世俗的な 肉体的な世界…

物質… 物欲… Au… 世俗的…

(物欲の世界で暮らしている…)」

改めて読み直すと、やはり皮肉が効いた歌詞であるなと確認できます。

観念と物質に関する議論、「マテリアル」という言葉への深い考察。

これらは今の日本ではあまり見られない議論ですが、1984年の時点ではまだ身近な議論だったのです。

日本で勃興したニューアカデミズムがこの頃に活性化しています。

マドンナの「マテリアル・ガール」についてももっと深い洞察が行われたかもしれません。

ただこの記事は歌詞の和訳と解説が主眼ですので、そうした時代背景の紹介だけで済ませます。

おそらくこの件について深い議論を始めると一冊の著作に収まるほどのボリュームになるでしょう。

この記事では「物質中心主義の世界」が転じて「物欲が渦巻く世界」になった。

こうした事実を列挙して触れるにとどめます。

現代資本主義の最奥の秘密が描かれた曲


「マテリアル・ガール」が描いたように物欲などの欲望を肯定的に掲げる女の子が出現した。

これは倫理的には世紀末感を覚えるものでしょう。

20世紀末の最後のサーカスの様相なのです。

21世紀になると2001年のアメリカ同時多発テロ事件などで祝祭感は後退してシビアな世の中になります。

享楽的な価値観で浮世を謳歌する女の子の存在というのは道徳的な退廃とも捉えられるでしょう。

しかしそうした偏見まみれの道徳感情を野暮と斥けるような新しい女性像の登場は時代の進歩です。

欲望に関して後ろめたさを持たないで生きる「マテリアル・ガール」。

彼女は時代の最先端をゆく存在でもありました。

精神的に健康であることの概念が20世紀末にガラリと変わり始めたことを敏感に捉えた作品なのです。

実際にフランスのポスト・モダンの思想にはもっと先行する研究成果があります。

「マテリアル・ガール」の制作作家陣はこの思想をアメリカで吸収したのではと思える箇所が多いです。

いいか悪いかではなくこの世界の「マテリアル」な仕組みには欲望という原動力が組み込まれている。

それこそが現代資本主義国の最奥の秘密なのです。

おそろしいほどに深いポップ・ソング。

新時代のポップ・アイコンがこの「マテリアル・ガール」を歌ったマドンナに決定したのは偶然ではないです。

この機会にオフィシャルMVで妖艶な美しいマドンナをぜひご覧ください。

1984年の世相や世界経済の在り方とともに「マテリアル・ガール」の秘密を見つめ直してみる。

その上でマドンナが「私はマテリアル・ガールではない」と語った「人間の声」に耳を澄ましてみましょう。

深すぎる作品でしたので記事を書くのも大変でした。

しかしこの世界、つまり「マテリアル・ワールド」の秘密に近付けたことは何よりの収穫です。

ここまで読んでいただいてありがとうございました。


**この記事では、資本主義と物欲まみれの女性について言及しました。現代の社会では、物欲が支配的な価値観となっています。

しかし、ただ物欲に執着し続けることが本当に正しいのか疑問です。マドンナの「マテリアル・ガール」は、この社会に皮肉を込めた作品として注目されました。

物欲にまみれた女性が社会の一部となっている現実を知りながらも、私たちはその流れを止めることはできません。

このような歴史は世界中で見受けられ、日本でも女性が物欲に目がくらむ傾向があります。

女の美と若さが男のお金との交換価値であると言われており、古来からの援助交際、バブル期のアッシー、メッシー、ミツグ君。近年でのパパ活など、物欲まみれの世界は終わりが見えません。

しかし、私たちはこの考え方に対して疑問を持つ必要があります。
資本主義と物欲至上主義によって、女性たちの価値観が異常に歪曲し、
エスカレートしてしまう前に、私たちは自身の欲望を見つめ直す必要があります。**

とはいえ、そんなキレイ事が一切通用しないのが、ある一定の特権的な「美貌」という魔力を持つ女性たちなのです。

併せて知りたい。

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近年の未解決事件 紀州のドン・ファン死亡事件
紀州のドン・ファン死亡事件 - Wikipedia

「マテリアル・ガール」のオマージュ? 「Love Is Cash」レベッカ


大変長くなりました。最後まで、お読み下さり、ありがとうございました。よかったらスキ、フォローよろしくお願いします😉



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