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【短歌は私小説?】石川啄木と太宰治。どこか似ている…

石川啄木はウマい。

不来方のお城の草に寝ころびて、 
空に吸われし 十五の心

ベタな話ですが私は
この短歌を15才の時に
教科書で読んで感動しました。

しばらく、何日もこの歌を
口ずさんでいました。
まるで私の心は、
啄木に吸われたみたいでした。

石川啄木で、
もう一つ、すぐに思いつくのは、

友がみな 
われよりえらく見ゆる日よ
花を買いきて
妻としたしむ

この短歌も、
共感しやすい美しさがあります。
ああ、われは、、、、。

さて、ここからが本題です。

こんな美しい、
ちょっと不遇をかこつテイストで、
貧しい暮らしの中を懸命に生き、
26歳で亡くなった石川啄木。

教科書には
そう書かれていますが、
その見事なセルフプロデュース力に
騙されてはいけません。

貧しいのは、石川啄木自身、
浪費家だったからです。

家賃や生活費でお金に困ると、
同郷の文学の先輩、
金田一京助によく借金しました、
というのは有名な話。

でも、帰り道には
街のカフェで女給と
ビールを呑んだり、
芝居を見たりして、
帰宅する頃には、
もう借りたお金はあらかた
浪費してた、なんて日も
ざらだったようです。

石川啄木の「貧しさ」は
自ら招いたものとも呼べそうです。

そんな浪費家が
花を買ってきて妻と語らう、
それは美しい美談ですが、
そんな花より高いビールや芝居に
お金を使ってきたんだから、
なんだか、共感しようにも、
何やら複雑な気もちです。

才能はすごいです。 
短歌は抜群です。
それは確かです。

となると、
石川啄木という男は、
よほど逞しく、あざとい面も
あったのかも知れません。

今までは、
石川啄木をダメ人間だとか
嘘をついてでも先輩から
借金するクズ人間だと感じ、
避けてきましたが、
いや、それだって才能です。

他人からお金を借りるのは、
それなりの才能とセンスが必要です。

ここは、むしろ、
彼の美談めいた短歌や
美しい表現力を素直に認め、
浪費家だった面を、
こんな風に見事に
セルフプロデュースしたのかと、
まるごと認めるところから 
石川啄木を味わう、
そうしたら、
石川啄木の本質も、
ググッと変わるかも知れません。

石川啄木を読んで、
いつも同時に思い出すのは、
私小説、私小説作家ですね。

啄木が描いた短歌は、
実際に生活の中で自分が感じた
気もちをそのままに
言葉にしたものですね。
まるまる創作という訳ではない
というのは、実に私小説と
そっくりではありませんか。

もちろん、創作短歌も
あるでしょうけれど、
石川啄木の場合は、
創作はあまりないでしょうね。

太宰治と、石川啄木が、
ちょっと重なって見える。

短歌は縛りごとが多いぶん、
難しい気がします。

もしかしたら、 
石川啄木がせめて
30 代まで生きていたら、
すごい才能を開花させた
文豪になっていたかもしれない。

26才で死去とは、
あまりに早すぎましたね。

浪費家だったことで、
目くじらを立てた私は
心が狭かったなあ。
反省です。

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