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結局ただモノを買っただけのユーザであってオーナではなかった。ふるまい、品格、経験や教養は身に着けるものであってお金じゃ買えないのです。


メルセデスに乗ってる人って、どういう人間であってほしいですか?ヤクザ?成金?
いやいや、そっちは少数派だって解ってるでしょう。

あれはきちんと何かを成し遂げた立派な人間のステータスシンボルであってほしいじゃないですか。


だから、やっぱり片手で手のひらハンドルが決め手だったと思いますね。あれやる人にろくな人居ないですから。
これは長く車に乗っているとわかる事の一つ。経験からくる事実。
品が無いです。食べ方が汚いのと同じ。

ダメなほうのメルセデス乗りなんですよ。どんなに着飾っててもね。



車なんて乗りたい人が乗りたいものに乗ればっていう部分には同意します。

ただ、セルフブランディングとしてW116に乗る”解ってる若者”みたいなキャラで伸びてたんだから、中身が全然伴ってないことが見抜かれちゃったらそりゃそこは叩かれますよって。


ああいうふるまいがカッコいいとか、もしくは少なくとも悪いことだと認識していない人間なわけでしょう。

高級料理店でお皿に箸を突き立てて揃えたり、クチャラーだったりする人が「この料理はね……」とか得意げに語りだしたのを見るのと同じくらいのみっともなさなんですよ。

教養や経験、品とでもいうか、そういうものがないことが明らかになったから。
若さだけが理由ではないと思います。底が知れたというか。


そこで「箸の使い方くらい別にどうだっていいじゃん」っていう人がどういう人間かっていうのはわかりますよね。

たかが箸程度満足に使えない人間がほかの事もきちんとできるわけないんですよ。
(って親に言われて育っていないという事ですよ。つまりその他の教育もお察し)

品のある人間のフリをしていた人間が下品なふるまいをした時、人はこう思うわけです。

だから、あの炎上は妬みとか僻みではないんですよ。顰蹙を買っただけなんです。
人々が想像する「あるべき金持ち」の姿から外れていたからです。大人になったスネ夫君を見せられてもだれも憧れないんですよ。

そこに気づかないと、何年乗ってもそれが似合う人間にはなれないでしょうね。


彼にとってあのメルセデスは、ただ乗っている人が少ない車以上でも以下でもない。

自分の価値を高めてくれるアクセサリでしかない。

手の届く範囲で最も希少性がある、ただの車。

ヤクザや成金が選ぶ理由と同じに見えますね。




出先でおじさまに褒められたエピソードとかを沢山お話されてる通り本来は年月をかけて物事を解ってる人が選ぶモノであって欲しいですよね。

時間も手間も苦労も金もかけて、性能よりもストーリィや歴史に価値を置いて。

それを、若いうちに選ぶという「物事を解ってるツウな若者」という存在になりたかったんだと思います。

わかります。若いうちは特に、モノに自分の価値を肩代わりしてもらいたくなりますよね。
中身が無い人ほどその傾向がありますが、モノだけで着飾ってもすぐに化けの皮がはがれます。

この状態を表現する「スーツに着られてる」という便利な言葉があるんですけど。


今はまだ、他人からはそれに見合う人間に見えなかったという事なのでしょう。

良いのはそのメルセデスであって、それに乗ってる人間ではないですからね。

結局彼は、ただモノを買っただけのユーザであってオーナではないんです。

ふるまい、品格、経験や教養は身に着けるものであってお金じゃ買えないですからね。



その時代のメルセデスならやっと慣らしが終わったころだそうで。

次はドライバの慣らし運転をはじめてみましょう。

その車に見合う、品のある人間になるまで。





おしまい







まあ単純にダサイよね。
かっこつけてるのに乗り方と語り口があれじゃ、埼玉や茨城のヤンキーがセルシオで喜んでるのと、金額以外本当に全く同じ。

「”その時代のトヨタは良いつくりだべ”って先輩に言われたべ」
じゃん。

しかし、ダイムラー時代に乗るような人があの程度のレベルの話を他人と得意げに話すかな。
もうアオいいよねの世界だと思うんだけど。
多分そのおじさまたちもバカなガキの機嫌よくしてやるために適当に話合わせてくれたんでしょうね。
それに気づいてないのも恥ずかしいんだよね。



たぶんジウジアーロだと思うけど、ある青年が

「今は母のおさがりのパンダですが、いつかあなたがデザインしたすばらしいスポーツカーやクラシックカーに乗りたいです」

って言ったら「そのお母さんのパンダがクラシックになるまで大切に乗り続けなさい。良い車だから」

って返したって話目からうろこなんですよ。

そういうのがなぁ。

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