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「がんばる」の言葉に呪われないで。痛みがない日の”ひとり無双状態”は危険かも

あなたはもう十分がんばっている。


「症状がなくて快調!」…という日は
残念ながらまったくありませんが、

「そこまで身体が怠くないぞ!」
「今日の痛みは比較的軽いぞ!」

少しでもリウマチ症状が軽いと
「なんでもできる気がする〜!!」
と無双状態になってしまう私。


みなさんは
そんなことありませんか?


無双状態に入ると

「よし!仕事やるぞ〜!!!」
「やっぱり外で働こうかな!」

と求人情報を探しまくったり、

「お風呂の大掃除しよう〜!」
「ついでにトイレもピカピカに♪」

と拭き掃除を始めてしまったり。


もちろん、そのあとすぐ
もしくは翌日には、
無茶した反動で動けなくなる──

そんな結末が待っているわけで。



もともとの性格ゆえ は大前提として、
どうしてこんなに
がんばろうとしてしまうのか?──


きっと、普段から
リウマチ症状で動けない自分に

「怠けている」
「弱い」
「気合が足りない」
「他の人はもっと頑張っている」
「これっぽっちで休むのはダメ!」
「家族や職場に迷惑をかけている」

と嫌気がさしていることもあり、

だから余計に
無茶してしまうのかもしれません。



無意識のなかで、
動けない日の「申し訳ない」
相殺するかのように。


そしてまた動けなくなっては
「あ〜…やっぱり何もできないんだ」
と自信を無くす。

負のサイクルです。



今年で、関節リウマチ歴19年目。


私。そんな負のサイクルから
ようやく抜け出せるようになりました。


いや〜、長かった。



「もう十分がんばっているから」
「何もできていない、わけない!」


出会って以降、
ずっと近くで見守ってくれた夫は
とっくの前から気づいていたのに

当の本人(私)が
あまりにも無自覚なもんだから

夫からの言葉に耳を傾けずに
「いや、大丈夫。がんばる。」
とんちんかんな返答ばかりでした。


「がんばりすぎるような人が
関節リウマチにもなりやすい」

そんなことも分かっているのに、
さらにムチ打つようなことばかり。

自分で 自分を いじめていたんです。



その根底には

「がんばっていない自分は無価値だ」
「誰かに貢献できない自分は無価値だ」

と、ねじれた感覚がありました。


でもね。

わが子が生まれてから
余計に気付けるようになりましたが

「生きているだけで満点!」

本当にそうなんですよね。

そこに存在しているだけで、
とてつもない価値があるんです。


「がんばる」に呪われて
自分の首をしめるようなことは
絶対にあってはならない。

自分以外の誰かのために、
他人のモノサシを勝手に持ち出して、
自分自身の価値をはかってはいけない。

今では、そう強く感じています。



関節リウマチという難治性の病を
抱えながら、日々を送っている──

それだけで十分に素晴らしいし
えらいし、すごいことだし、

「生きててくれてありがとう!」
とさえ思います。



なかなか周りの理解を得られない
病気だけど、

だからこそ

自分自身が誰よりも自分の味方で、
自分で自分を認めてあげませんか♪


「今日もよくやった!」
「今日も生きた!素晴らしい!」
「お着替えできた!お風呂に入れた!」


些細なこと、と思うかもしれませんが
そういう小さな「できた」を丁寧に
丁寧に、褒めてあげませんか♪


自分を大切に。

そのまんまのあなたで。

他のだれでもない、
あなた自身の人生だから。


そしたら、また🕊️

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