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クチーナ・カジョリカ ー名前の入ったレシピ集ー はじめに


クチーナ・カジョリカは「レシピ」とそれを教えてくれた「人たち」のお話です。

ブログページはこちら:https://cucina-kajorica.blogspot.com

クチーナ、Cucinaとはイタリア語で料理とキッチンの両方を意味します。
カジョリカは私のこと。

自分の話をするのは苦手なのですが、第1回目に多少の自己紹介は必要なので少し書きます。

何十年もの間「物」と「空間」のデザインに関わる仕事をして来ました。
日本でしていた仕事の延長線上で2、3年海外職業経験をしてみようとデザインの都と言われるイタリアのミラノに渡り、今月で34年になります。

その間デザインの仕事も本当に沢山して来ましたが、振り返って何が自分を豊かにしてくれたかと考えると「人」と「時間」。

「物」は仕事でしてきたコンテンポラリーデザインでも、好きが高じてほぼプロになってしまったアンティークのテーブルウエアでも、日常の暮らしで高い満足感を与えてくれる大事な要素で、自他共に認める根っからの物好きですが、それでも本当に大切なのは「人」と「時間」だと思います。

このブログは「レシピ」とそれを教えてくれた「人たち」の話を通して、物作り空間作りでは伝えられないイタリアの生活と食文化の奥行きや豊かさを、誰かに伝えられればという思いで書き始めました。

インスタグラムでの画像だけのお料理の披露や、不味そうだけどキャッチーなショートリールの再生回数が爆発的な時代に、こんなスローで前時代的な企画にどれだけの人が興味を持ってくれるかは全く想像もつきませんが、人生の今この時点で一度纏めておきたい事なのです。

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綺麗にセッティングされたテーブルも良いけれど、食後のテーブルも好きです。そこに人がいて、会話があって、一緒に過ごした時間があったという感じが。

レシピを読んで味を想像するのも好きだけれど、料理は誰かにご馳走してもらい、おいしかったらレシピを貰い、実際自分で作ってみて、場合によっては自分風にアレンジする、というのが美味しく楽しい料理習得への近道だと思う。

私のレシピ帳のレシピの大半には人の名前がついている。
マウロのミネストラ、マウリツィオ・ママの夏のパスタ、タミー風イワシのオーブン焼き、マルタの豚肉のロースト等など。もちろん教えてくれた人達の名前。

そしてそのレシピの一つ一つの後ろには、その人達と一緒に過ごした楽しい時間がある。

イタリア生活が書かれたエッセイは須賀敦子など有名文筆家のものから小有名人やあまり知られていない人のブログまで無数にあるけれど、長年イタリアに住んでいる日本人でも色々な人がいる。日本人コミュニティーの閉じた社会の中で暮らしている人はイタリア人の友人がいないどころか、住んでる町の市長が誰か知らない人もいるし、イタリア人と結婚してしまうと、そのパートナーの社会的な位置付けで交際範囲が大きく限定されることも多い。つまり、可視不可視の階級意識の残るイタリアに住む外国人はパートナーによって社会的位置付けができて交際範囲が限定されてしまうこともあるのです。

私の場合仕事柄一個人とみなされることが多く、今は亡き映画監督エルマンノ・オルミや彫刻家のアルナルド・ポモドーロなどイタリアでは知らない人はいない超有名文化人がずらりと揃うホームディナーに招待されたことも、フィレンツェのヴェッキオ宮殿の晩餐会に出席したこともあるかと思えば、道端でジプシーに夕食を振舞ってもらったこともある。在伊の日本人は多くてもそんな経験がある人は他にいないのでは、と思う。

まあタネを明かせば超著名文化人のホームディナーはオーガナイザーの友人夫婦が土壇場になり13人だと気が付いて、「最後の晩餐」のようにならないよう縁起を担ぎ、14人目として急遽呼ばれたという経緯。
ヴェッキオ宮殿の晩餐会は仕事で会場構成のインスタレーションをしたイヴェントのオープニングディナーだった。ロングドレスを着た地元貴族もいるようなかなり正式な晩餐会だったけど。
ジプシーに「ご飯食べていく?」と言われたのはミラノ初の冬のはじめ、沁みるような寒さの霧の夜。運河沿いに停めたキャンパーで料理をしているジプシーの女性と通りがかりに目が合った時、私の視線に偏見がなかったのを感じたのだと思う。流石に一瞬躊躇したけれど、これを逃したら二度とこんなチャンスはないだろうと思ったので受けてみた。確かにそんな機会はその後一度もない。

ここに登場する人たちの中には何度一緒に食事をしたか数えきれない長年の親友もいれば、はじめからさほど親しくなく徐々に疎遠になり音信不通になってしまい、レシピをもらわなかったら思い出すことはないだろう人、親しかったけど大喧嘩をして絶交してしまった人もいる。やっぱり喧嘩してしまった人のことを思い出すときは若干後味が悪い。それでもこうして文章を書きながら振り返ると、そんな人たちも含め関わってきた人たち、食卓を共にした人たち全てが私の30年を超えるイタリア生活を豊かにしてくれた大切な財産だと思える。

だからレシピにつながるエピソードも脚色なしのイタリアの日常生活の一部を切り取ったスケッチ。私の個人的な交友関係に興味はないという方は本文は飛ばして最後のレシピだけ見ていただいても、もちろん結構。どれも美味しい何度食べても飽きない料理です。

ただレシピ集として内容を充実させるために、ここでは「ある人から教わったレシピ」だけでなく「ある人のために料理したもの」または「ある人に関連するもの」「このレシピと聞くとこの人を思い出す」というエピソードも加えます。

登場する人物の多くは本名か呼び名ですが、同じ名前が数人いる場合は(イタリアでは大半の名前は聖人の名前、また世代により流行の名前があるようで、世代が同じだと同じ名前の人はとても多い)苗字のイニシャルをカタカナで足すなどしています。でも一部仮名にするかもしれません。

2023年7月吉日

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ヘッダーの写真について


デ・ポンテ氏 オリジナル写真構図

今まで無数の会食をしてきたのに、意外と写真を撮っていなくて、表紙にふさわしいような写真が見つからない。久々に会う友人との話に夢中になって写真を撮るのをいつも忘れてしまう。

表紙に使用させて頂いた写真はミラノで活躍する建築家シルヴィオ・デ・ポンテ氏撮影の写真。
以前仕事関連の会合で一度しか会ったことがないのに写真の使用を快諾してくれたことに感謝です!
写真はシチリア、シラクーサのトッレ・フガータ城の晩餐会の様子。デ・ポンテ氏も絵画を展示した「バロック・ネオバロック」という展覧会のオープニングディナーだったとのこと。

建築家シルヴィオ・デ・ポンテ氏の事務所のサイトはこちらです。http://www.depontestudio.com


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