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金持ちほど左翼になる

金持ちほど左翼になる。

と言えば、「それはおかしい」と言われるだろう。

左翼は、貧乏人の運動だろう、と。


しかし、左翼の活動家や指導者には、金持ちの家に生まれた人が多い。

この傾向は、たとえばアメリカの著者が書いた「罪悪感、非難、政治 Guilt, Blame, and Politics」という本でも論じられていた。


政治イデオロギーは罪悪感から生まれる。どのようにか?
この傾向は「リベラルの罪悪感(liberal guilt)」として話題になるが、本書はもっと大きな問題として論じる。
この罪悪感は、リベラルよりも、社会主義やマルクス主義により大きく影響している。
金持ちの子弟やインテリは、プロレタリアの運動で、いつも前面に出て大きな役割を果たす。それが労働者階級の運動と思えないほど、彼らは目立つのだ。

Are political ideologies influenced by guilt, and if so, how?
Guilt, Blame, and Politics argues that this influence has been far greater than occasional discussions of "liberal guilt" would indicate. For example, it has affected socialism and Marxism far more than liberalism. This is demonstrated by the fact that "rich kids" and intellectuals have always been drastically overrepresented in these proletarian-focused movements, to such an extent to that socialism and Marxism cannot claim to have had working class origins.

(Allan Levite, Guilt, Blame, and Politics, 1998, Stanyan Press カバーの内容紹介文より)


金持ちやエリートは、その立場ゆえに、貧乏人や庶民に「後ろめたさ」「罪悪感」を覚える。

その罪悪感ゆえに、「弱者」に過剰に思い入れて、その代弁者となることで罪悪感を解消しようとする。

それゆえ、左翼になるーーそういう議論だ。


そういう例は、日本にもたくさんある。

坂本龍一なんて、親父は有名な編集者で、都会の最上級の文化のなかで育ったエリートだ。

そういう彼は、都会の進学高にいるあいだから左翼活動を始め、最後まで左翼として死んだ。

上野千鶴子も香山リカも医者の娘だし。

彼らは、田舎から出てきて、都会のアパートの家賃を払うための労働に、人生時間の大半をついやすような生活はしたことがないだろう。

それでも左翼になる。

香山リカの場合は、そのうえキリスト教徒(罪悪感と自己犠牲の老舗)だから、「聖女」ばりに左翼活動に献身する。



「金持ちほど左翼になる」

この議論を思い出したきっかけは、例の川勝平太・静岡知事の「問題発言」だ。


「県庁はシンクタンクだ。野菜を売ったり、牛の世話をしたり、モノを作ったりとかと違い、皆さまは頭脳、知性の高い方たち」


あの発言を「肉体労働者は知性が低いという差別」だと非難する人たちに、私はまだ驚いている。

そもそもそれが、発言の「誤読」であろうことは、前に記事に書いた。(言うまでもないが、私は川勝知事の政治的立場の支持者ではない)


つらつら思うに、あの発言を「差別」だという人は、たぶん都会のエリートだ。

かりにあの発言が「肉体労働者は知性を使わない」という意味だとしても、私はまったく問題だと思わない。

「肉体労働者は肉体を使う。知性を使わない」というのは、言葉の定義でしかない。

突き詰めれば、あれを差別だという人は、「肉体労働者を肉体労働者と言ったら差別だ」と思っているのではないか。


そういうのは、都会育ちの、エリートの発想だと思う。

私みたいな田舎の貧乏家庭の出身者には、そういう感覚はない。

私の祖先もほとんど肉体労働者なら、いま現在私の親戚も、半分は肉体労働者だ。「野菜を売ったり、牛を飼ったり」をなりわいにしている。

私の高校の友達も、半分は肉体労働者になった。


田舎では、「勉強ができれば、役場にでも勤めろ。勉強が嫌いなら、畑を手伝え」みたいな振り分けをするのだ。

そこに「差別」の意識はない。

そもそも「野菜を売ったり、牛の世話をしたり」する仕事を、家業として継ぐ者が多い。

土方のような肉体労働の方が、役場で帳簿をつけるより、男らしいし、女にもてる。

「親方」に出世したり、工務店の社長にもなれる。

「知性を使う仕事」より稼ぎ、幸せな人生を生きる者はいくらでもいる。彼らは「弱者」でもない。

なにより彼らは、よく知っている仲間だし、同じ地域の住人だ。だから、肉体労働を差別したり、さげすんだりすることはありえない。

私なら、人生の問題は、本をたくさん読んだかもしれないが大学から一歩も出ないような学者より、田舎で早くに結婚して工務店をいとなみ多くの子供を育てた肉体労働の親友に、相談したいと思う。


だが、都会のマスコミに勤めるような人々は、たいがい進学校を出て、いい大学に入ったエリートたちだ。

私は、実際にマスコミに入って驚いた。政治家や名士の子弟、医者や学者の子弟、親もマスコミだったという2代目、そんなのばかりなのだ。

彼らのまわりに肉体労働者になる人がいない。肉体労働者の知り合いもいない。

彼らは、「肉体労働の人をバカにしてはいけませんよ。あの人たちは別世界の人で私たちとは違うけど、その本心を出してはいけませんよ」という教育を受けて育ったのではないか。

それが、差別意識とともに、罪悪感も植え付けたのではないか。

川勝知事の発言を「差別だ」とあげつらうのは、そういう連中ではないかと思う。


記者たちは、実際の肉体労働者たちが川勝発言に怒っているのを聞いたのだろうか。

なるほど、発言がニュースで伝えられたあと、県内の「生産者」たちから抗議が県庁に殺到したそうだが、それは「知事が肉体労働者をバカにした」とマスコミに教えられたからだろう。

あるいは、あまり騒ぎになると県民としてみっともない、という意識からだろう。

川勝知事から本当にバカにされたと労働者たちが思ったら、日本全国から抗議者が静岡県に殺到しなければならないが、いまのところそんな話は聞かない。



マスコミの中の「金持ちの子弟」や、大学の中の「金持ちの子弟」が、現代では「弱者」や「被差別者」の声を代弁する。

しばしば、それは、トンチンカンなのだが、彼らはそれに気づかない。


いや、金持ちの皆さんが、われわれ貧乏人に同情してくれるのは、ありがたいんだけどね。

でも、困るのは、彼らが考える「弱者」が、非常に選択的(つまり恣意的)で、彼らの基準に合った「弱者」でないと、その代弁者となってくれないことだ。


マスコミの中の左翼活動家は、いまは違うかもしれないが、むかしはよくジーパンで会社に来ていた。

青木理なんかも、テレビにジーパンで出ていた。

あれは、「自分たちは労働者の代弁者ですよ、弱者の味方ですよ」という意思表示だ。

ジーパンが「プロレタリアート」「労働者」のシンボルみたいになっていた(古い感覚だけどね)。


それを見るたびに、「おいおい、スーツを着てるわれわれサラリーマンも弱者だよ」と思ったものだ。

でも、サラリーマンは「社畜」であって、左翼には弱者と認めてもらえない。むしろ左翼には「資本の手先」のように差別される。

彼らは、いつの時代も、典型的な「被差別者」がほしい。そのお眼鏡にかなわないと、あなたの味方はしてくれない。

最近は、「プロレタリアート」より、「性的少数者」「トランスジェンダー」の方が、インテリに同情されるそうだ。そういうのは、時代の流行でしかない。


金持ちは、何も言わずにお金を恵んでくれた方が、貧乏人には助かるんだけどね。

でも、彼らが望んでいるのは、自分たちの道徳的優越性の誇示であって、この世から「弱者」がいなくなることではない。

それがわかってるから、マスコミや学者が「差別だ」と騒ぐたびに、「はいはい、みなさんはエライ」としか思わなくなる。


こうした「金持ちの子弟が左翼になった」最初の例は、ブッダだとも、プラトンだとも言われてるけど、その話はまたいずれ。



<参考>







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