見出し画像

リベラル武士道

昨年から「リベラル武士道」を旗揚げしようとずっと考えている。

これから日本人は「リベラル武士道」で生きていこう! とぶち上げたいわけだ。

が、果たせていない。

主な原因は、呉座勇一の『武士とは何か』が出たから、それを読んでから書こうと思って図書館に予約したのだが、呉座さんの本は人気が高くて、いつまで待っても私のところに本が回ってこないことである。

私んとこに回ってくるまで、あと数カ月はかかりそうだ。

まあ急ぐ話でもない。


「武士道」評価の変化


「武士道」の人気は乱高下している。

新渡戸稲造の「武士道」は、「日本人に道徳心はあるのか」という西洋人の挑発に答える目的で書かれたものだ。(武士道という言葉自体、ほぼ新渡戸の造語である。それまでは「士道」が使われていた)

武士道は、「禅」と結びつき、日本人の倫理の核心として、外国人を魅了したし、近代日本人の自信にもつながった。

しかし、それが戦時中には悪用された。「死ぬことと見つけたり」の考え方は、言うところの軍国主義の生命軽視に直結した。

その暗いイメージは今も消えていない。

一方、日本人の中で「サムライ」の人気も消えていない。

武士が勇ましいのは表面上で、実際には卑怯で小心な奴らだった、という話は昔からある。

だが、「侍JAPAN」ではないが、サムライという言葉はまだ肯定的に使われる。「あいつはサムライだ」というのは、依然褒め言葉であろう。

上述の呉座の本以外にも、最近「武士」や「武士道」に関する本がけっこう出ている。否定的なものも肯定的なものもあるが、なにげにサムライブームな気がする。


武士道とリベラリズム


私が「リベラル武士道」で書きたいのは、武士道が日本人のリベラリズム理解の基礎にある、あるいは、基礎になりうる、ということだ。

もっと言えば、武士道は、「日本人のリベラリズム」だと思うのだ。

もっと言えばーーどこぞの西洋思想輸入業者に「リベラリズムとは何ぞや」を教わる必要はない。日本には武士道がある! と言いたいわけだ。


福沢諭吉をはじめ、明治の文化人は西洋のリベラリズム(自由主義)を抵抗なく受け入れた。なぜなら、彼らのほとんどは士族出身であり、自由主義を「士道」の延長上で理解することができたからだ。

「不自由」な封建制と結びついた士道が、「自由」と結びつくのは、一見矛盾に見える。

しかし、思想としての武士道は、儒教や禅宗と結びついていた。神仏に頼ることが少ない、その「無神論」的世界観は、自由主義理解の基盤となった。

そして、思想以前に、武士道は戦いの作法、「自決」「自己責任」の倫理である。そこにリベラリズムの核心と結びつく要素がある。


河上徹太郎の「吉田松陰」


もちろん、こういうことを考えたのは、私が最初ではない。

例えば河上徹太郎は「吉田松陰」(1968)で、松陰に仮託して武士道とリベラリズムの近似を論じている。

吉田松陰を「リベラリスト」と呼んでいる箇所もある。

批評界の二大巨頭による、河上徹太郎の「吉田松陰」と小林秀雄の「本居宣長」は、ともに1960年代の政治の季節、左翼主義の時代を背景にして、それに対抗する意図で書かれている。

しかし河上の「吉田松陰」は、小林の「本居宣長」ほど評判にならなかったし、いまではほとんど忘れられている。

河上と小林は生涯の親友で、どちらも士族の出身だが、河上の方がより「サムライ的」であったことはよく言われますね。

剛直、質実剛健といった感じの人物で、小林がゴルフを趣味にしたら、河上は狩猟を趣味にしたり。

たぶん、河上は、小林よりも自らのサムライ性に自覚的だった。

その分、河上の著作は、幻術師のような小林の著作よりも、地味で晦渋だ。

思想史家としても、丸山真男なんかの精緻な議論に対して、文士の大ざっぱな議論だと、いまでは思われるだろう。

丸山も武士の家系だが、いかにも儒者然とした丸山なんかより、私は河上が好きだし、河上の方が武士の心を理解していたと思う。


吉田松陰の「リベラル」性


河上の「吉田松陰」もやはり晦渋で、言いたいことがよくわからないところがありますが、私の見るところ、河上が吉田松陰をリベラリストと見るポイントは2つ。

1 テロよりも「教育」

吉田松陰の思考はラディカルであり、自らの行動も大胆だったが、必ずしも社会のラディカルな変革を望まなかった。

テロや暴力による革命を唱える者に対しては、「教育」による漸進的変革を説いた。

彼は孟子の性善説を信奉していて、教育が人を変えることを信じていた。

彼の「至誠天に通ず」は、非合理的な心情主義のように思われるが、こうした教育の効果を信じる姿勢を示している。

その点を指して、河上は松陰をリベラリストと呼んでいる。

2 帰属意識

松陰は武士として主従関係、帰属意識にこだわった。

松陰にとって、幕府がいかに間違っていようと、松陰は藩を通じて徳川家と主従関係にある。

その秩序を壊そうとしなかったし、幕末にあった秩序撹乱的でアナーキーな空気に、心情的に共感しても、決して賛成しなかった。

アナーキズムや相対主義に傾かないところを、河上は松陰の限界ではなく、リベラリストとしての美点に見ている。

封建時代の人々は理不尽な主従関係や不自由に愚かにもしたがっていた、という風に思いがちだけど、現代の我々だって、主従関係や国籍や「身分制度」から自由ではない。

そして、そうした不自由がすべて悪いわけでもない。階層秩序が社会のアナーキー化を防いでいる。

「負け」を前提とした人生論


私自身が、老年になって、改めて「武士道」に惹かれるのは、それが「負け」を前提とした哲学だからですね。

武士道というと、勇ましい「勝つ」ための哲学だと思う人がいるかもしれないけど、逆ですよね。

「死ぬ」こと、「散る」こと、「負ける」ことの美学、というか、その正当化の哲学ですよね。

あるいは「負ける」ことは悪くない、それは美しい、というような哲学なわけです。

切腹というのは「自殺」ではない。相手に殺されれば「負け」だけど、自分で切るから「負け」ではない。そういう思想。

もともと、生きるか死ぬかの戦いの場にいれば、基本的にはいつか負ける、いつか死ぬわけで。だけど戦いの場に出なければならない、というのが武士道だと思う。

そして、その結果責任は自分が負う、という倫理学。

私も、定年まで勤めてみて、いろんな意味で私の人生は敗北だったと思う。出世できなかったし、金持ちになれなかったし、右翼に抗って負けたし、左翼に抗って負けたし、モテなかったし、結婚できなかったし・・もうこの辺でいいですか。

だけれど、「負け」もまたよし、と思う。なぜなら戦ったから。それが武士道だと思うんですね。

勝ち負けにかかわらず、闘志を讃え合うのが武士道ですよ。

それに、どうせ長期的にはみんな負けるんですよ。みんな死ぬんだから。

よくないのは、負けるのが怖くて、戦わないことでしょう。

いわゆる平和の時代も、人生が戦いであるのは戦国時代と同じだと思う。だから、「武士道」のようなものが必要になる。


「七人の侍」と自由民主主義


そういう武士道が、戦後の社会で最も美しく描かれたのは、やはり黒澤の「七人の侍」ですよ。

農民の「民主主義」と、武士の「自由主義」が、美しく結合する。自由民主主義ですよ。

そこに描かれた思想は、日本人だけでなく、全世界を魅了した。

「武士道」にはそういう価値があるし、それは見直されるべきだと思うんですね。

私の提唱したい「リベラル武士道」では、封建的な部分をできるだけ取り除く。

そして、武士道にもともとある、自決、責任、契約倫理とともに、現代のリベラリズムにある、戦いの「公正化」の論理を加える。それが私の「現代の武士道」なわけです。


(この後は、いつか続く)


この記事が参加している募集

日本史がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?