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表現を学ぶということは、美しさのロジックを学ぶことである。

今週の定休日に、岐阜の中津川にある「東山魁夷心の旅路館」に出向いてきた。

魁夷さんが学生時代に御嶽山に登ために旧木曽郡山口村に訪れた際に、そこに暮らす人々の温かさに触れたことがきっかけとなり、中津川市へリトグラフを寄贈したことがこの「東山魁夷心の旅路館」の設立につながっている。

そしてボクは、魁夷さんの描く心に静かに届けられる「静けさ」という美しさがとても心地よく、それをローストでも表現をしたくて、リトグラフではあるのですが、その表現を成すための「技法」を学ぶために美術館に足を運ぶことにしている。

今までの経験上ではありますが、表現は「色」と「形」で成っているものであると解釈をしている。
なので「色」をどのように配置をすることで、どのような感情を届けることができるのであるのか?
また、「形」をどのように配置をすることで、どのような感情を届けることができるのであるのか?
そこを、実物から学ぶことができるのが美術館であるのだ。

現物はとても多くのことを物語っている。
そこを汲み取れるようになれば、そのロジックを紐解き、まずは真似てみることであるのだ。
これが、ボクの味づくりへと繋がっている。

だから化学的な根拠からの焙煎とか、焙煎理論がどうのとか、そのような話をする焙煎士とは馬が合わないことは明白なことなのだ。
美しさを味づくりでも表現したいと考えているならば、美しいモノからそのロジックを学ぶべきである。

これがボクの持論である。


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