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自分の中に余白の領域を作る。

時々、あれ私大丈夫?と思う時があります。
人の言動に流されたり不安になったり、自分軸がブレブレで
そう言う時は落ち込んだりしばらく考え込んだりして
頭の中がぐるぐる思考になってしまっています。

でも、
1週間くらいすると大丈夫に変わっている私がいるので
時には人に流されたり、自分の実力ってこんなもんかと自己肯定感が低かったりするけど、できる範囲のことを自分で選んでやっているんだからこれでいいかと思うようになります。

背伸びしても体が付いていかない。無理した結果、潰瘍性大腸炎になって今それに苦しめられている、だから自分の飽和できる量が決まっていて常に満杯状態だと結果溢れてしまう。だから、余白が大事なんだと友達との会話の中で気がつかされました。私に今必要なのは「余白」なんだと。

余白

日本画とか絵画の中でわざと余白の部分が作られていますが
まさに私に必要な部分は余白なんだと

何色にも染まらない真っ新な状態をキープする領域。

」になる。

それって簡単にできるようで出来ないですが、「」であることで
何にも流されず自分を見つめることができる気がします。

無であることで、自分の色々な感情がその無の空間に吸収されていくような気がしてきます。私の「」の領域はただただ余白のごとく白いです。それが黒の人もいるかもしれませんが、私が想像する余白は白の世界。

その余白の世界があることで、冷静でいられる。平常心でいられる。
感情が抑えられ、自分の存在価値をも問わないただ無の領域。
そういう世界を心に作り出すのはとても良いと思いました。

仏の領域が「無」である事。
昔の人々はそれを知っていて、禅などを通して人々に伝えて来た事。
日々の暮らしの中でその「無の領域」を作ることを忘れてしまっている自分がいますが、「余白」という言葉で目が覚めて頭の中で何かと繋がった気がします。
こういう何かとの繋がりを大切に、少し心が疲れた時は心の中に「余白」を作ることを意識し、雑念を吸収しいつの間にか抹消されている、そう言う自然の力を自分の中に持ちたいと思います。

今日は、「余白」「無」について自分の考えを語ってみました。
ありがとうございます。


100号の作品 慈悲の雨

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