オスカル草葉

宝塚歌劇の歴史研究をしております。宝塚コレクターとして多くのメディアに取り上げていただ…

オスカル草葉

宝塚歌劇の歴史研究をしております。宝塚コレクターとして多くのメディアに取り上げていただいています。いつもコーヒーを飲みながら、思い出したことなどをちょこっと書いてます。 ⭐️草葉達也事務所が管理しております。

最近の記事

驚愕の宝塚歌劇コレクション②

前回の続きですが、これらは私の持つ宝塚歌劇コレクションではなく、VISAカードの機関誌で行われていたチャリティーのものです。 どれも欲しかったのでずか、どれ一つ当たらずでした。 まず旧宝塚大劇場の補助椅子とポスターケース 補助椅子は補助席の椅子ではなく、折り畳みの椅子で 満員御礼の際に使っていたとありますが、係員のお姉さんが座ったり、 一階のサイドの出入り口付近で、あれはどなた?と思うような方が よく座られていたあれですね。前回の三階席よりは興味がありませんでしたが。 ポス

    • 驚愕の宝塚歌劇コレクション①

      宝塚歌劇コレクションを長年続けてはいますが、過去に凄く欲しいものがあり、どうしても手に入らなかったことがありました。 Yahoo!オークションは初期の頃には利用しましたが、今は全く見ないです。中学生の頃から古本屋で一冊100円というような本を集めて来たので、欲しいものがあっても高額になると食指が動かない。ただ見ると面白いので、メルカリなどに出品されているものは時々見て、画像を資料としては残しています。 過去に欲しかったものは、このオークションやフリマサイトで見

      • まぼろしのベルばらの映像

         以前レコードの話をしましたが、このレコード以上に置き場に困っているのがビデオテープ。実況のLPレコードからCDになって、ビデオからDVDそしてブルーレイ。ビデオからDVDにダビングをする作業をしていましたが、これがとにかく時間がかかる。ビデオテープは丸ごとの時間が必要だから、挫折した人も多いはず。  販売用は良いとしても、録画したビデオがかなりありこれをどうするか悩み中。NHKの舞台中継、関西テレビ系の番組、現役生が出た「クイズダービー」や「料理天国」というようなバラエテ

        • 宝塚歌劇誌連載「私の履歴書」

           「私の履歴書」と聞いて懐かしい宝塚ファンも多いと思いますが、知らない方のために紹介しますと、昭和三十年代から歌劇誌でイラストを描かれていた、藤田あきら先生という方がいらっしゃいます。その先生が連載されていたのが「私の履歴書」 その他のタイトルを含め三十年ほど連載されていました。  内容はイラストが中心で、生徒の生い立ちや趣味、よく行く店など、今では公開できないことも沢山載っていて、楽しみにされていた方も多かったと思います。  そんな藤田先生との出会いは、歌劇誌で

        驚愕の宝塚歌劇コレクション②

          宝塚コレクションで「何でも鑑定団」へ

           今から二十五年ほど前。 知り合いから連絡があり、テレビ東京の人気番組「何でも鑑定団」の出張鑑定が宝塚市であることを知りました。 「へえー」と他人事のように思っていたら、制作会社から連絡があり「宝塚市で人気の出張鑑定があるのですが、宝塚歌劇のものが何も出ないんですよ。出ていただけないでしょうか?」とのこと。はっきり言うと泣きつかれた。当時はまだ「宝塚歌劇歴史研究家」や「宝塚歌劇コレクター」というような看板も上げてなくて、少し悩みましたが宝塚歌劇の宣伝になるならと引き受けまし

          宝塚コレクションで「何でも鑑定団」へ

          レビュー記念日

           九月一日は日本で最初のレビュー「モンパリ」が、宝塚歌劇で上演されたレビュー記念日。確か当時の理事長の小林公平さんが制定されたと記憶している。  今はもうやらないが、九月一日の公演終了後に、当時はまだ花月雪星の四組のトップスターが一堂に集まり、宝塚歌劇の名曲を歌う。そんなサプライズなイベントだった。驚くことに僅か数分のこのレビュー記念日のためだけに、東京で公演中のトップも帰宝している。  ラッキーなことに何度か観劇しているが、チケット発売日の抽選で良い番号を引き、千穐

          レビュー記念日

          忘れられない日

          八月二十九日は宝塚歌劇的に、色んな出来事が重なった日なんですよ。  まずナーちゃんこと、大浦みずきさんのお誕生日です。しなやかなでキレがあり、大きなダンスは誰もが認める宝塚のフレッドアステア。私はアデュー東宝で昼夜観たのが、なつめさんの舞台としては最後かな。基本的にOGの公演は観ないので。器の大きな生徒さんでした。合掌    次に娘役トップスターの上原まりさんの御命日。地元が一緒なので何度かお会いする機会もあり、手紙もいただいたりもしました。とても可愛らしい方で、これぞ宝

          忘れられない日

          ファンにとっても我が故郷 旧宝塚大劇場

           宝塚大劇場が新しくなって30年も経つのか・・ 宝塚ファンの方に写真をお借りして、しみじみそう思いました。  結構いろんなこと忘れてます。一階席後方には、大きな柱が三本あって、その後ろの席はファンの間では「ハズレ」な席として扱われていました。これまでに何枚かの写真で見ましたが、太いはずの柱がそう太くないです。Instagramに上がると、皆さん「こんなに細かった?」と驚かれます。  三階席。高所恐怖症なので、階段を降りるのが怖かったです。前の方は特に怖かった思い出があり

          ファンにとっても我が故郷 旧宝塚大劇場

          宝塚歌劇実況レコード

            先日、私同様に長年宝塚歌劇ファンをされている、関東在住の方からメールをいただき、「家族構成が変わるので部屋を開けなければならず、色々と断捨離をしているのですが、宝塚のレコードをもらっていただけませんか?」という内容。どうしょうと迷った時に、私の名前が最初に浮かんだそうです。 断る理由も無く送っていただくことになりました。  家庭用のビデオが普及するまでは、宝塚ファンの間では「実況レコード」が重宝されていました。一枚のレコードに一部割愛されている部分もありますが、芝居とシ

          宝塚歌劇実況レコード

          池田理代子先生に会えた

           宝塚コレクターとして、何度かテレビにも出してもらった。その中でも印象に残るのが所ジョージさんの番組。マニアさん登場というような内容で、「コレクションを何点か持ってきてもらい、スタジオで喋るという感じで」とオファーをもらった。所さんに会えるのは嬉しいし、宝塚歌劇の宣伝にもなると思い快諾した。テレビ東京に行く数日前に、電話での最終の打ち合わせがあり、ゲストの名前に驚いた。漫画家の池田理代子先生。一生会えないと思っていた人と、まさかテレビで共演できるとは。  テレビ局に入ると、

          池田理代子先生に会えた

          宝塚歌劇の料金の秘密

           私がまだ中学生だった頃は、三階のC席があり、三百円で宝塚歌劇を見られた。但し、宝塚ファミリーランドの入園料が別途必要だった。  このファミリーランドの料金がネックで、ファミリーランドを利用しないのに、大劇場のある敷地の中に入るというだけで、料金が発生しているという感じだった。ただこれは歴史的に見て、宝塚歌劇がファミリーランドの中の,一つのイベントという位置付けで発展しているからだ。  阪神間にお住まいの方は、この宝塚ファミリーランドの入園券には裏技があって、昔は新聞販売

          宝塚歌劇の料金の秘密

          旧宝塚大劇場①

           お友達になった宝塚ファンの女性のAさんから、懐かしい旧宝塚大劇場の写真をお借りした。その写真を元に、懐かしい大劇場のことも触れてみたいと思う。  今のようにスマホで何枚も写真を撮って、保存もクラウドで簡単にできる時代で無かった昭和に、劇場の施設などを撮る人はほとんどいなかったと思う。このAさんは旧宝塚大劇場に大変思いがあり、色んな場所を撮っている。  写真は私も中までは知らない女性用トイレ。これを撮っている人はまずいないと思う。一枚目の男子トイレと女子トイレ

          旧宝塚大劇場①

          PUCK誕生

          一番たくさん観た公演はなんですか?という質問を受けることがある。かなめさんこと涼風真世がトップだったときの「PUCK」だ。 ずっと宝塚歌劇を観て来て、全組を観るとことが当たり前で、一人のスターを追いかけることが無かった。当然、同じ組を続けて観ることがなく、多くても一公演三回ほどだった。ところがこの「PUCK」は十五回ほど観ている。つまり一番観ている作品ということになる。 十五回も観たのは、かなめさんのパックの可愛さや、よしこちゃん(麻乃佳世)やゆりちゃん(天海祐希)、

          信じられない話① 昭和の宝塚歌劇

          世の中が目まぐるしく変わり、なかなか付いて行くのも大変な時代になったが、色々と思い出すと面白いことがたくさんある。今回は昭和の宝塚大劇場の話をひとつ。  今は禁煙なんて当たり前で、どこへ行っても喫煙者は肩身の狭い思いをしているが、昭和の時代はどこでも煙草が吸えた。電車には吸い殻入れが窓際やひじ掛けに常設され、乗客が当たり前のように吸っていた。タクシーにも吸い殻があり、運転手も客を乗せているのに吸っていた。一番信じられないのが病院だ。当時は呼吸器内科が無く内科しかなかったが

          信じられない話① 昭和の宝塚歌劇

          宝塚の泉に落ちる

           子供の頃から宝塚を見続けて研55。今から10年ほど前にSNSで、ファン歴研45と書いたら、いつの間にか広がった。 講演でも「私、先生と同期です」なんて言ってくださる方もいる。これだけ長く観ていると、誰でもそうなのだと思うが、少し観なくなったり、環境の変化で観られなくなったりする。コンスタントに観られているのは、やはり宝塚に近いということが大きい。 「宝塚の法則」という本の中でも書いたが、女性の場合は仕事・結婚・子育てなど、環境の変化で観なくなってしまうことが多いのだが、

          宝塚の泉に落ちる

          ベルばらブーム前夜

          何気なく手に取った一冊の「宝塚グラフ」誌。 表紙は松ちゃんこと松あきら。この時はまだトップスターと言う言葉も無く、彼女も人気あるスターの一人として表紙になっていた。一枚ずつページをめくると、当時よくある大劇場周辺で撮影された感じの、安奈淳が大きな木の間に立った写真や、鳳蘭が使われた広告などもある。このツレちゃんの広告は、今のようにカード会社とか銀行とか、化粧品というような宝塚スターのイメージに合うものではなく、なんとキッチンの生ごみを集めるごみのネットの広告だった。

          ベルばらブーム前夜