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ローズメリアの冬至のワーク

先日、安城でシュタイナー教育の学びを中心に20年間活動を続けてきた「ローズメリア」という活動のファイナル企画に参加させていただきました。

私も野口整体の子育て講座や、魔女修行なんていう不思議な講座をしながら10年ほど関わらせていただきまして、熱心な参加者の方たちに支えられて、とても充実した講座を積み重ねていくことができました。

その20年の活動の締めくくりとなる本年は、いままで繰り返されてきた季節を祝福するように、夏至と冬至の2回の集まりをすることになり、その最後となる冬至の集いが、先日行なわれたのです。

私はその中で、世界中を旅した経験から教育プログラムを実践されている伊藤研人さんとの対談をさせていただいたり、冬至を祝うための「冬至のワーク」をやらせていただいたりしたのですが、その「冬至のワーク」の中で私が話したことを、備忘録としてこちらに残しておきたいと思います。

ローズメリアの20年の活動に感謝を込めて…


1.冬至について

みなさん、こんにちは。半年前、この会場で「夏至の集い」というものを行ないました。それから半年、今日は「冬至の集い」ということでみなさんに集まっていただいています。

最初にちょっと「冬至」ということについて、みなさんで改めてしっかりイメージしてみたいと思います。

いまみなさん円になって座っていますね。中央にはスタッフの方がしつらえてくれた祭壇がありますが、まずあの祭壇の位置に「太陽がある」とイメージしてみて下さい。

そしていまみなさんがいる位置、それぞれ自分の位置に「地球がある」とイメージしてみて下さい。

私たちは太陽を囲むようにぐるりと円になっていますが、それはつまり太陽の周りを回る地球の軌跡です。地球は1年かけて、太陽の周りをぐるりと一周回っています。

今日は冬至の集いです。いま自分のいる位置が冬至の位置だとすると、前回夏至の集いで集まったときの地球の位置はどこになるでしょう? ちょうど太陽を挟んだ反対側。向かいに座っている人の位置。もっとも遠い位置にあります。

つまり半年前、私たちはあそこにいたのです。太陽のずっと向こう側。私たちは半年かけて宇宙空間を旅して、今いる位置まで来ました。

今日は晴れているので、窓から空を見上げると太陽が見えます。

みなさん、ぜひイメージして下さい。表で輝いているあの太陽のさらにずっと向こう側、ちょうど太陽までの距離をさらに伸ばした向こう側に、半年前、私たちはいたのです。

わずか半年前にあんなにも遠くにいたということ。凄いことだと思いませんか? 思えば遠くへ来たものですね。はるばる宇宙を旅して今日再びこうしてみなさんとお会いすることができました。ごきげんよう(笑)。

さて、冬至というのは、もっとも夜の長い日です。

夏至というのは反対に、もっとも夜の短い日になりますが、その差はどれくらいになると思いますか?

ここ安城辺りだと、夏至の夜の長さが9時間半。冬至の夜の長さが14時間10分くらいになるそうなので、じつにその差は5時間近くになります。

冬至というのは、一年のうちでもっとも夜が長く、ある意味もっとも闇の力の強まる日であるわけですが、それは別の言い方をすれば「ここから光の力が強まっていく日」という言い方もできます。

つまり冬至というのは、闇の力が強まり続けてきたのが終わりを迎え、光の力が強まり始める、その転換を迎える日なのです。

古代の人々は、現代人である私たちよりハッキリとそのことを感覚していましたので、この日をとても大切にして、世界各地でその祝祭が行なわれてきました。

現代もさまざまな形で冬至を祝う習慣は残っていますが、その中でももっとも有名で大きな祝祭といえばクリスマスでしょう。

みなさんご存知の通り、クリスマスというのは、キリスト教において神の子であるとされるイエス・キリストの誕生を祝う祝日です。

クリスマスが冬至と非常に近い日にちとなっているのは偶然ではありません。今ではそのつながりはあまり意識されませんが、もっとも闇の力の強まる日の夜に、光が誕生し、これから世界を明るく照らし出す、そんな希望の象徴としてのキリストが誕生するというのが、クリスマスという祝祭に織り込まれた意味なのです。

2.光の結晶

前回の「夏至の集い」のときには、みんなで大きな絵を描き、そして声を出したり、手を振ったり、足を踏みならしたりしながら、からだ全体を大きく使って、内から外へと発散するように、夏の光の拡散してゆく力を存分に味わいました。

植物たちを見ていると、夏という季節は、空へ向かって大きく枝を伸ばし、青々とした葉をこんもりと茂らせていきますが、冬には、空に拡げた葉を落とし、実をつけたり、冬芽を育てたりしていきます。

それは私たち人間で言えば、夏のあいだに手足を世界へと大きく伸ばして動いたり感じたりしたさまざまな体験が、冬になってグーッと内側へと凝縮されて結晶化されてゆく。そんな風に喩えることができるかも知れません。

そうやって季節のめぐりの中で呼吸するかのように、夏のあいだに吸収した体験が、冬へと向かう中で内的に整理整頓され、些末な枝葉は外に捨象され、この体験はいったい何だったのか、その本質的な部分だけが抽出されて、結晶化されて、私たちの中核をなす一つの宝石のようなものとなって統合されてゆくのです。

整体では、秋から冬にかけて「穴追い」などのメソッドを通じながら、そのプロセスを促しますが、体験の枝葉の部分に当たる個別な出来事はしっかり表に現わして、排泄されていく必要があります。

その作業がきちんと行なわれないと、いわば不純物が多すぎて結晶化することができずに、本質を捉えきることができないままに、ある種の消化不良のような状態になってしまいます。

些末な部分はしっかり表に排泄され、本質的な部分だけが残って結晶化されてゆくことによって、その結晶は本来の姿となることができるのです。

もちろんそれでもすべては純化されませんから、それぞれの人によって微量に残った個別なものが持ち込まれ、混じり合い、わずかにその構成に違いが現われることになります。

そのわずかな個性の混じり合いが、そこから放たれる色の違いです。

つまりその個性がルビーになったりサファイアになったり、水晶になったりシトリンになったりアメジストになったり…。同じ構成の鉱物であるはずが、わずかに混じった不純物の影響でさまざまな色に見えるのです。

それはもはや美しき個性の輝きと言えるのではないでしょうか。
「よくぞここまで美しく昇華した」と賞賛したくなります。

雷に打たれた水晶

今日、真ん中の祭壇にいくつかの石が飾られています。たとえばこの水晶はスタッフの方が持ってきてくれたのですが、地中にあるときに雷に打たれたものだそうで、高圧の電流が流れることで、独特な模様になっているそうです。

美しいですね。石というのは本当に美しくていつまでも見飽きません。

みなさんご存知の通り、宝石や鉱物たちは、地中奥深くにあって、真っ暗な闇の中で成長してゆきます。

でもみなさん、考えたことありますか?

どうして石たちは、地中奥深く一切の光の届かない真っ暗な闇の中にあって、あれほどまでに光り輝く存在となってゆくのですかね?

鉱物たちは地中奥深く闇の中で、いったい何を感じ、何を思って、何を食べながら、こんなにも美しく成長してゆくのですかね? みなさんはどう思われますか?

私はいつも本当に不思議でならず、美しい鉱物の結晶を見るたびに、その神秘に想いを馳せます。そして同時にいつも勇気づけられるのです。こんな闇の中にあって、こんなにも光り輝く結晶を作り出すことができるのだと。

みなさんが体験してきた数々の出来事は、冬至を迎えて、ある意味もっとも凝縮され純化され結晶化し、きわめて密度の高い本質に近い状態となって、みなさんに掘り出されるのを待っています。

キリスト者共同体の司祭である小林直生さんは、鉱物たちは地中で何千年何万年も眠りながら、いつか見つけてもらうのを待っているのだと、そんなことをおっしゃっています。いつか地中奥深くから光の差す地上へと掘り起こされ、その美しい輝きを見てもらいたがっていると。

今日は冬至の集いとして、みなさんの中にあるそんな結晶に想いを馳せて、そこに光を見出したいと思います。そしてそれは冬至を迎えて、これから外へと広がっていこうとしています。そんな光の力をみんなで感じて言祝ぎたいと思います。

3.アドヴェントガーデン

アドヴェントというのは、クリスマスを迎える前にその日が来るのを待ち望んで前祝いをしていく準備期間のことですが、そのときにシュタイナー幼稚園では、アドヴェントガーデンという儀式が行なわれます。

今日私がやろうと思っている冬至のワークは、そのアドヴェントガーデンという儀式からインスピレーションをいただいて、独自に組み立てたワークです。

私が最初に「冬至のワーク」として骨組みを提示して、そこにローズメリアのスタッフのみなさんがさまざまなアイデアを持ち寄って、作り上げられていった即興的なワークですので、決して正式なものではありませんので、その点はご承知おきください。

たとえば中央に散りばめられているメッセージカードなど、つい昨晩、三河の美味しいウナギを頂いているときに、スタッフの方と話をしながら追加されたものです(笑)。

冬至の祭壇

さて、中央にはリンゴろうそくが置いてあります。リンゴろうそくはアドヴェントガーデンにおいてもとても大事なアイテムです。本来はそれを手に持って儀式に参加しますが、今日は中央に配置しました。

ちなみに私はこのアドヴェントガーデンのリンゴろうそくを見ると、いつも宮澤賢治の『青森挽歌』という詩を思い出します。

こんなやみよののはらのなかをゆくときは
客車のまどはみんな水族館の窓になる
 (乾いたでんしんばしらの列が
  せはしく遷つてゐるらしい
  きしやは銀河系の玲瓏(れいらう)レンズ
  巨きな水素のりんごのなかをかけてゐる)
りんごのなかをはしつてゐる …

宮澤賢治『青森挽歌』より

宮澤賢治は自らの詩を心象スケッチと呼びましたが、この心象スケッチは、賢治が最愛の妹であるトシを亡くした後に、その失意の中、サハリンへと鉄道で旅したときに描いたものです。

宇宙空間に浮かぶ銀河系のレンズのような「巨きな水素のりんご」の中を駆けている汽車の姿は、晩年まで書き続けた『銀河鉄道の夜』のイメージに重なります。

正式なアドヴェントガーデンの儀式では、もみの木の枝をぐるりと螺旋に並べ、中央にろうそくを立て火を灯すのですが、それこそ私の心象ではそこに「巨きな水素のりんご」も重なって見えるのです。

まるで宮澤賢治の銀河鉄道がそこを走っているかのような、そんな気分になるのですが、きっと、どこか「あちら側」の雰囲気というものが通底しているのかも知れません。

正式に行なわれる儀式では、子どもたちが自分で作ったリンゴろうそくを持って、渦巻き状に内へと入っていって、中央のろうそくから火をもらいます。そうして再び渦巻きを外へと出て行きながら、途中でそのリンゴろうそくを、次から来る人の道を照らすように置いて外へと出て行く、そんな形で行なわれるのですが、今日はそのアレンジバージョンで行なってみます。

4.ローズメリアの冬至のワーク

どうぞリンゴを持って円になって並んで下さい。リンゴというのは知恵の実の象徴です。みなさんの内にある知恵の象徴と思って大切に持って下さい。

今日は建物の関係上、火を使うことができないので、中央の祭壇のろうそくには火がついていませんが、そこに火が灯っているとイメージして下さい。

それではみなさん右側を向いて、そして静かに歩き出します。祭壇を中心に大きく反時計回りに歩いていくような感じです。

アドヴェントガーデンのやり方を調べてみると、時計回り、反時計回りそれぞれのやり方があるようですが、今回は上昇しながら中央へと集まっていく動きとして、反時計回りに回るやり方で行ないます。

祭壇の周りを反時計回りにぐるぐると歩きながら、今年一年あったことに思いをめぐらせてみて下さい。いろいろなことがあったと思います。それらの出来事について思い出してみましょう…。

その中で一番思い出されること、気にかかること、そんな出来事について思いをめぐらせてみて下さい…。

そうして、もしそれらの出来事が自分の身に起こるべくして起こっていたのだとしたら、いったい自分の人生にとってどんな意味があったのか、自分の人生に統合されてゆくとしたらそこから何を導き出せるのか、考えてみてください…。

いまこの時点で、その意味にまでたどり着かなくても構いません。ただ、その「問い」をしっかり自身の中に持ってください…。

それができたら、次の言葉をしっかり自分の中で繰り返します。

「この出来事の起きた意味が、私の中で凝縮され結晶化し、光り輝く知恵となる」

どうぞ、この言葉を自分の中に響かせるように繰り返して下さい。

その思いをしっかり持つことができて準備のできた人から、じょじょに中央へと歩みを寄せながら、中央の祭壇へと向かっていきます。

中央の祭壇までたどり着いたら、手に持っているリンゴを、中央のろうそくに掲げて、そのろうそくから知恵の光を分けてもらいます。今日は火がありませんがしっかりイメージしてください。叡智の火が、自分の知恵の実であるリンゴに移ります。

光をもらったら、祭壇に散りばめられているメッセージカードからどれか一枚拾って、今度は逆回りに外に広がるように歩き出します。

そうすると「反時計回りに中心へと歩く人」と「時計回りに外へと歩く人」がすれ違って、ぶつかりそうになるかも知れません。そこはそれぞれが気を働かせて、良い感じにすれ違いながら上手に歩いてください。

シュタイナーが提唱したバイオダイナミック農法では、畑にまく調剤を作るときに大きくぐるぐると攪拌しながら、ある程度流れができてきたところでグワッと逆回転させてかき混ぜる、というやり方があります。

ぐるぐる一方向へとかき混ぜていると、大きな綺麗な螺旋の渦巻きができてきます。そこでは流れが揃ってきてコヒーレンスな状態が生まれています。

そのときに急に反転して逆回転をしようとすると、そこにカオスが生まれます。あちこちで流れがぶつかって乱流ができるのです。

それはつまりどういうことかというと、一つの大きな螺旋の渦が崩れ去り、多くの小さな螺旋の渦巻きが生まれるということなのです。

古い大きな秩序が極みに達して崩壊することで、あちこちに乱流が生じ、そこにさまざまな新しい渦がたくさん生まれてくるという様子は、さながらカンブリア紀の生命爆発のようです。

シュタイナーは「逆回転をして生まれたカオスに、宇宙の霊的なエネルギーが注ぎ込まれる」というようなことを言っていますが、まさしくそれこそがカオスの持つ意味です。そこに湧き立つ生命が誕生します。

そんなことを聞くと、わざわざ逆回転してぶつかりそうになりながら外へと出て行くことにも意味があるような、そんな気になってきませんか?(笑)

「袖触れあうも多生の縁」と言いますから、どうぞいろんな人とすれ違いながら、その体験そのものを味わってください。

そうしてゆっくりと一周か二周ほど回りながら、それぞれ自分の席まで戻っていってください。自分の席に戻ったら、最後の人が自分の席へ戻るまで、メッセージカードを開けずにお待ち下さい。みなさんで一緒に開きたいと思います。

みなさんが祭壇から持ち帰ったメッセージカードは、今日来たときにみなさんに書いてもらった言葉たちです。言葉の贈り物です。クリスマスは贈り物の日でもありますからね。

贈与には二種類あって、「差出人と宛先が直線で結ばれる贈与」と、「差出人が分からなかったり、宛先が分からなかったりして、直線で結ばれない贈与」とがあります。

パパやママや友だちから貰ったりあげたりする贈与は前者の「線形的な贈与」ですが、海で拾ったガラス瓶の中にある投壜通信や、次の人のために交換しておいたトイレットペーパーや、その姿を見ることのできないサンタクロースからの贈与は「非線形的な贈与」なのです。

「誰に届くとも知れない贈与を世界へ投げ出すこと」と、「誰からとも知れぬ贈与を思いがけずに受け取ってしまうこと」とは、私たちの中に非常に大きな動きを生み出します。

このことは人類学的にも非常に重要な意味があって、あらゆる文化の中に、そのような贈与の仕組みは上手く組み込まれています。

合理性だけでは結ぶことのできない、非合理なカオスを間に挟み込んで、思いもよらぬつながりを持って届く贈与は、何か非常に私たちの心を揺さぶるものがあるのです。

それこそ、先ほどのシュタイナーの述べた「カオスに霊的エネルギーが注ぎ込まれる」という言葉にも通じるものがあります。

すべてが貨幣による等価交換に置き換えられていく現代では、どんどん消え去りつつある大切な叡智ですが、私はとてもとても大切なことだと思います。

どうぞ「誰に届くとも知れない贈与」を積極的にして下さい。そして「誰からとも知れぬ贈与」を受け取っていたことに気づいて感謝しましょう。その身振りが「大きな流れ」の中にいる実感をもたらしてくれます。私たちは一人ではないのです。

みなさんが祭壇から持ち帰ったメッセージカードは、誰から届いたものか差出人の分からない手紙のようなものです。思いがけぬ言葉の贈与です。

さあそれでは、封筒を開いて受け取った言葉を読んでみて下さい…。

では書かれていた言葉を、お一人ずつ順々に読んでご紹介いただけますか?

みなさん、ありがとうございました。本当に素敵な言葉ばかりでした。

今日のワークでは、自分の内側深くへと入っていき、その中心、自分の体験が凝縮され結晶となったところに光を見出しました。

これから冬至を過ぎると、その光はじょじょに強くなっていき、再び外側へと広がっていきます。それはこれから手足にまで満ちていき、みなさんの生活の中の行動へとなっていきます。

どうぞみなさん、今日これからそれぞれの生活に戻っていったときに、いま受け取ったその光の輝きを周りに拡げていって下さい。それはみなさんのこれからの意志の話になります。

そのときに、思いがけぬ贈与として届いた今の言葉は、きっとその実現の助けになってくれることでしょう。

今回のワークは、ローズメリアのスタッフのみなさんと一緒に創り上げていったものです。ですからこのワークには「ローズメリアの冬至のワーク」という名前を贈りたいと思います。これもいわば誰に届くとも知れぬ贈与であるのかも知れません。

20年の活動を終えて、みなさんがそれぞれの道へと進む最後にふさわしいワークになったのではないかと思います。

それでは最後に宮澤賢治の言葉で結びます。
ありがとうございました。

まずもろともに
かがやく宇宙の微塵となりて
無方の空にちらばらう

宮澤賢治『農民藝術概論綱要』より

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