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保育シリーズ|自分が保育していた子どもが小学生になり、事故で命を落とした時の無力感。

はじめに

すべての子どもに幸せになってほしい。
そう願わずにいられません。

保育園の生活は一生において短いです。
たったの数年間なのですから。
命とは時間のことだと言っていた人がいました。
子どもも保育士も1日の時間の大半を保育園で過ごすことになります。
そこで命をつかっています。
貴重な命、時間だからこそ楽しみたい、有意義につかいたいと思うのは当然です。
しかし、そこまで考えている保育士はどれだけいるのでしょう。
かくいう私も毎日、ずっと意識していたわけではありません。
ふとした時に思うぐらいで日々の業務に追われていました。

しかし、私の保育士人生の中で、卒園後に小学生になり、事故で命を亡くした一人の子どものことを思い出す度に考えさせられます。
事故は私の手を離れてからのことですが、相当ショックでした。
通夜や告別式にも参加したのですが、信じられません。
保育士も人の子ですから、子どもとの相性があります。
その子はとても可愛らしく、私のことを大好きと言ってくれて、特に親しみを持っていた子の一人でした。
私は受け持った子どものことは忘れたくありませんので、時折、保育園時代の写真を見返して、覚えているようにしています。
しかし、その子のことはすぐに頭に浮かぶぐらい、記憶に残っていました。
その子の明るい未来を楽しみにしていました。
それがこんな形でこの世からいなくなってしまうなんて。

それからというもの、命について考えない日はありませんでした。
自分自身は明日がくるとは限らない、生きていられるか分からないと思い、後悔しないように精一杯生きたいと考えていましたが、子ども達にはどうか。
子ども達も限りある命と受け止め、今日しか関われないかもしれないと思い、精一杯保育していたかと問われると、自信を持って「はい」と答えられませんでした。

今日という日で、子どもたちはいったいどれ程のことを感じることができたかな。
何かを楽しめたかな。
願いは叶ったかな。
また明日も夢見ることができるかな。


保育士として子どもと本気で向き合えたか。

保育をする上で大事なことは、このことに尽きると思います。

大切な子どもの命だからこそ、その命を預かる保育士の使命は重いと思います。

命の重みを感じながら保育する保育士は本物になっていくはずです。

私は本気の保育の途上で保育士を辞めてしまいましたが、我が子がいます。

我が子に対して、いつでも本気でいたいものです。

そして、最近思うのです。

いつの日か、保育士に復帰した時は子ども達と本気で保育することを突き詰めていきたいと。

最後まで読んでくださった方はきっと、子どもに限らず、人に対して本気の姿勢に興味を持っているはずだと思います。

出会いに感謝。

ありがとうございます。

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