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「〜向け」に惑わされないで

 男性向けということは、女性向けではない。子ども向けということは、大人向けではない。高齢層を狙えば、若年層には響かない。「〜向け」はそうやって、物事の届ける先を決めつけるために使われる。
 誰も、疑問に思わない。多くの仕事で当たり前にある「〜向け」は、それを理解しない人がいないくらいにポピュラーな考え方だ。何かを、誰かに向けて届ける。そのために行動する。それは仕事としても、そうでなくとも人間の考え方として当然で、疑うことなどありえない。

 でも、「〜向け」は勘違いを生むことは、あまり意識されていない。「これは〜向けだから」「〜向けということを忘れるな」「やめた方がいい、だって〜向けだから」。そういう決めつけを起こしやすくするものだと、私達に自覚がほとんどない。
 男性向け、女性向け。たとえばこの2つは、正反対のものか? 子ども向け、大人向け。これらもどうだろう。
 人という集団をあるカテゴリーで切り取って、分析する。その時に自ずと、私達は個性も人情も気持ちも削ぎ落としてしまう。「〜向け」とは傾向であり、数字であり、例外のないルールだ、そういうふうに思ってしまう。その方が楽だから。

 確かに「〜向け」は正しいこともある。人間の歴史の中で積み重ねられてきた、ある程度ブレない誰もが信じられる事実はある。それをベースに形作られた「〜向け」に間違いは少ない。
 ただ、それを私達は決めつけ、盲信し、そこから何も動かすことができなくなることが、問題である。

「〜向け」は真実ではない。事実からくる、単なる観測結果だ。常にそれは変化し、だからこそ「男性」「女性」「子ども」「大人」などの言葉に宿る伝統的なイメージとは、異なることも全くおかしくない。
 それはレッテルを貼る行為だからこそ、そのレッテルの意味は更新され続ける必要がある。いつでも、新しく、今を反映して。

「〜向け」に惑わされてはならない。それは多用される便利な道具だからこそ、メンテナンスを欠かさずに、常に最新を心がけねばならない。
 そうでなければ「〜向け」というイメージに私達は縛られ、現実を見られなくなり、固定化された頭の中のイメージだけと戯れることになってしまう。

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